8 −タカラ



 

 横断歩道を渡っている途中で、その向こうにあるオープンカフェに見知った二人がいることに気づいた。別に二人がどうこうとは絶対思わないけど、柏木先輩がいつもとは少し違った表情をしているのはきっと俺の気のせいじゃないだろう。
 あの二人が――柏木先輩とナナが一緒にいるところを見るのは、もうこれで2度目だったし。

 挨拶した方がいいだろうかとカフェの前で少し立ち止まって考えたけれど、何故かそうすることを躊躇った俺はその場から立ち去ることにした。別に寮で柏木先輩には会うし、ナナにだって会いたければ電話すればいいと思ったからだ。でも、それはもしかしたら言い訳に過ぎないかもしれない。
 ただ、あの二人の雰囲気に入っていけないような気がしただけなのかもしれなかった。

 とりあえずオープンカフェを後にしようとした俺の横を、とんでもなく綺麗な男の人が通り過ぎた。気づけば俺の周りにいる人間もその人のことを目で追っていて、俺も違わずつい後ろを振り向いてその人を見つめてしまった。彼が猛ダッシュと言っていいくらい急いでいたからというのもあるけれど。

 ――と、何とそのひとは二人がいたカフェに入り、5秒も経たないうちにナナを抱えるようにしてカフェから出てきた。

「ナナ!?」

 あまりのことに俺はかなりの大声でそう叫んでしまっていた。その声は俺から5メートルも離れていなかったナナとナナを抱えあげている男の人にも届いたらしく、二人は揃って俺の方を振り向いた。俺を見るその男の人の顔は本当に桁外れに綺麗で、俺は少し気後れしてしまう。しかし、もう友人と言っていいナナが、どう見ても拉致されそうになっているのを無視することはできなかった。

「な、んでナナを担いでるんですか?」

 ・・・相変わらず間抜けな台詞しか出てこない自分が情けない。つい俯いてしまった俺に、上の方からナナがかなり切羽詰っているような声を出した。

「ああよかった、フジ。ハチの誤解を解いてくれない?」

「え?ハチ・・・ってナナのお兄さん?!」

「そう。さっきまでカシと話をしていたんだけど、ハチが変に誤解しちゃって。」

「話するだけで男があんなに顔を近づけるか?」

「私の目を見てただけ。ほら、私の瞳、少し色が変わっているでしょう?」

「・・・だからナナを一人暮らしさせるのは反対だったんだ。」

 俺はふたりのやりとりにあんぐり口を開けるしかなかった。清嶺も相当なシスコンではあるけれど、絶対に目の前のお兄さんには適わないに違いない。いくらなんでも清嶺は亜矢子さんを担ぎ上げることはないし。そう思いながら目の前の兄妹の応酬を呆然と見ていると、向こうから柏木先輩が小走りにやってきた。その顔には別に何ら焦っている様子も見えなかったけれど、俺がいることに少し驚いていたようだった。

「あーよかった、捕まえられて。」

「・・・・・・何の用だ。」

「俺のせいでナナが最愛のお兄さんに怒られるのは忍びないので、誤解を解かないとと思いまして。」

「別にお前とナナが何かしてたなんて思っちゃいない。ナナがほかの男と二人で話してたってのが気にくわないだけだ。」

 そう言って柏木先輩を睨み付ける顔は、なまじ綺麗な顔だけに物凄く怖い。俺がどうしようと一人あわあわしていると、ナナがお兄さんの肩からストンと飛び降りた。そして一つ息をついて、ゆっくりとお兄さんの前に回る。それからお兄さんをじっと見つめたかと思うと、静かに両手をその頬に当てた。

「じゃあ、もうしないよ。・・けどね、ハチ。私が愛してるのはハチだよ。すごく、愛してるんだよ。」

 ―――それは、俺が知っているどんな告白より切実だった。

 愛なんて俺はよくわからないけれど、それでも、ナナがお兄さんに向けているものは、愛にちがいないと思った。

 それが、向けられているお兄さんに分からないはずはない。お兄さんはとても綺麗な笑みを顔に浮かべて、そしてナナの唇に触れるだけのキスをした。

 綺麗だった。

 キスされる瞬間のナナの顔も、キスしている二人の表情も、二人をとりまく全てが綺麗だと思った。

 だから、二人が兄妹だということを思い出すのに、俺はかなりの時間を要した。気づいたときには二人はもういなくて、俺は我に返ったように隣にいた柏木先輩を見上げた。すると、柏木先輩は困ったような顔をして肩を竦めた。

「・・・あの二人、本当の兄妹じゃないんだよ。本当は従兄妹なんだってさ。」

「え?」

「そ。しかもナナのお腹にはお兄さんの子供がいるんだって。」

「ええ!?」

「つーかお兄さん綺麗だってナナから聞いてたけど、今日初めて会ってびっくりした。あんなに綺麗な顔してるとは思わなかった。なぁ?」

 それに俺は返事をすることができなかった。ナナがお兄さんの子供を妊娠しているという事実に俺は目を剥かんばかりに驚いていたからだ。この10秒の間に衝撃的な事実ばかり脳みそに入ってきて、俺の思考回路は少しばかり鈍くなっているらしい。二人が従兄妹同士ということより、「妹」であるナナに「兄」であるハチさんとの子供がお腹にいるという事実があまりにショックだったからかもしれない。

「こども・・・・・・。」

「そ。二人が兄妹から恋人になってもう5年経つらしいんだけどな、ナナが東京に出てきた時からお兄さんが避妊しないでセックスするようになったんだって。だから妊娠することは分かってたってナナは言ってた。」

 そのこれでもかという直接的な表現に、俺は一気に顔をぼっと赤くした。

「じゃ、じゃあ結婚するのかな、あの二人。」

「・・・籍が別だから一応できるらしいけど、多分しないんじゃないかってナナは言ってた。」

「え、なんで?」

「お兄さんは結婚っていう紙一枚でできる関係より、血っていう確かな関係の方を望むだろうから、ってナナは言ってた。むしろ、結婚じゃなく、ナナをお兄さんの家族の籍に入れて、義理の兄妹になる方を望んでるからってさ。」

「な、にそれ。」

「血のつながりほど濃いものはないって、お兄さんは信じてるみたいだな。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 わからない、と思った。さっきまで綺麗にしか見えなかった二人の姿が一気におぼろげになる。お兄さんの言っていることは、俺には考えも及ばないくらいよく分からない。従兄妹という関係から恋人になって、子供ができて、それなら結婚するのが普通だと思った。なのに、むしろ兄妹になる方を望むお兄さんは、一体何を考えているんだろう。あれほどナナが愛しくて仕方がないという顔をしていて、愛し合うことができない兄妹という形にわざわざなろうとするお兄さんが、俺には理解することができなかった。

「そういうのを抜きにしても、あの人、清嶺とよく似てる。」

 ナナとお兄さんがいなくなった方向に目を向けて、柏木先輩が独り言のようにそう呟いた。その台詞に、おれの心臓がびくりと一つ跳ね上がる。

 ――それとまったく同じことが、さっきからおれの頭から離れなかったから。

「あの二人、お互いとしかセックスしたことないんだってさ。まあそう考えるとお兄さんは清嶺とはちょっと違うか」
 
 そう言ってアハハと笑う柏木先輩の声を、俺はどこか遠くで聞いていたのに、何故か耳元ではっきりと囁かれたような気もした。

「・・・・・・じゃあナナとだけ、なのか。」

「そ。ナナ以外に勃たないらしい。多分、愛情とセックスがあの人にとっては一体なんだろうな。」

 それは、女のひとにとっては至上の喜びに違いないかもしれない。愛している人が、自分以外の女の人に絶対に目を向けないことは、きっとこの世の何よりも幸せなことじゃないだろうか。

 そして、それは別に女のひとに限ったことじゃない。

 俺は、そんな愛情を向けてくれるひとはいないから分からないけれど、それでも、そんな愛し方をしてくれる人にもし出会えたら、きっと幸せすぎて泣いてしまうだろう。

「・・・いいね、ナナ。」

「え?」

「俺も、そんな人に会いたいって思うから。」

「お、藤縞もとうとう彼女でも欲しくなった?」

「んー・・・別に彼女が欲しいってわけじゃない。ただ、俺だけを愛してくれるひとがいてくれたら、それはすごい幸せだろうなって。」

「・・・・・・昔はアレだけど、清嶺はいい線いってると思うけど?」

「アハハ、何言ってんの柏木先輩。清嶺は亜矢子さんが一番に決まってるじゃん。」

 くぐもった笑いが止まらなかった。そんな俺を柏木先輩が怪訝そうな目で見ているのを分かっても、それでも俺の口からは乾いた笑いが零れ続けた。

 だって、笑うしかないじゃないか。

 俺の傍にずっといると言いながら、その体すべてで俺じゃない人を愛しているなんて。

 

 そして、清嶺がずっと傍にいてくれないことは、俺が一番よく知っているなんて。 







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