4―レイイチ



 

「ナナは、ふたり好きなひとがいるって言ってたよな?」

 柏木の息のかかったホテルのショットバーにナナを連れてきたのはつい30分ほど前だ。さすがに藤縞は浮きすぎるので、清嶺と一緒に寮に帰らせて、今ここにいるのは俺と奥野とナナの3人だけ。会社の付き合いで酒を飲む機会が多かった俺は、別に老けているというわけではないがバーで飲んでいてもそう若くは見られない。奥野はと言えばもともとの顔が大人びているために溶けこんでいると言ってもよかった。

 そしてナナも、顔というよりは雰囲気が18の女のコには見えなかった。

「うん。」

「なんで、清嶺とは違うわけ?」

 ナナが清嶺にした話。あれは多分それまで清嶺が目を逸らしていた、けれど見なくてはならなかったものをまざまざと清嶺に見せ付けた。命を預けているような亜矢子さんと、全てを手のうちにおさめたくなるような藤縞。清嶺にとって、他の誰よりも大切だと言える人間が二人もいることは、きっと幸せというだけでは済まされない。

「……わかっているから、すべて。私も、彼らも。」

「それじゃわからないけど?」

「…ふたりを愛しているけれど、きっと私が愛しているのは一人だけなんだ。けれど、もう一人が私に死ねと言ったなら、その言葉どおりにしてあげたいと思うぐらいには、私はもう一人も愛してるから。」

 意地悪な質問だと思いながらもした俺の質問へのナナの答えは、俺の想像していたものとは大きく違った。そして間を置かずにナナに問われた言葉も。

「カシは清嶺が心配なのか?」

 ――心配、と言ってもいいのかもしれない。あの大人びているようで、その一部が子供のまま成長してしまったような従弟の亜矢子さんへの執着を、俺は楽観視することがもうできない。

 清嶺の命綱が姉である限り絶対に一生傍にはいられない。しかも、亜矢子さんが皓さんを愛するのを許そうとしない清嶺は見ている方が悲しい。依存、執着、その様は色々な言葉で言い表せるだろうが、俺から言わせれば、清嶺の亜矢子さんへのそれは妄執にしか思えない。

 その妄執を、あの小さな存在が少しでも和らげてくれるのなら、と思うのだ。

「…あいつは、亜矢子さんの…姉のことになると見境がない。それまで大事にしていたものすら、亜矢子さんの前では塵同然になってしまう。そんなんじゃ、一生彼女から離れられないだろう?」

「……そう。でも、もうひとりいるんでしょう、ホサには?」

「ああ。片時も離さないって言っていい。全部を自分の目の届くところにおかなきゃしょうがないような感じ。」

「…ふたりを手にすることがどれほど難しいか、きっとホサはまだ知りたくないんだ。」

「え?」

「・・・・・・なんでもない。そうだ、カシはホサとそのもう一人の子が幸せになってほしいって思ってるんでしょう?なら、お姉さんに、ホサから少し離れてみるように言ってみたら?」

「んなことしたら清嶺に殺される。それに、多分亜矢子さんは絶対清嶺から離れることはないよ。清嶺がそう望まない限り」

「…そう…お姉さんもホサも、一生お互いに縛られることを望んでるんだね」

 

「お前が俺に縛られてるように?」

 

 突然すぐ後ろから聞こえてきた声に驚いて振り向くと、ちょうどナナの真後ろに長身の男が立っていた。

 ――夜目にも分かる、ひどく甘ったるく整った男の顔。そのあまりお見かけでない顔と、その腕がナナの首に回されていることから、多分この男はさっき話しに出ていた兄たちのどちらかじゃないだろうかと思った。

「何やってんのこんなトコで。」

「…イチ兄こそ…。」

「んー?俺は連れがここに来たいって言うから着いてきただけ。ナナはどこでこんな高校生と知り合ったの?」

 ナナの台詞に彼が長兄だと分かり、やっぱりと思っていたところで出た彼のそんな言葉に俺は少し目を見張った。俺と奥野が高校生だと見破られることはこれまでほとんどなかったのだ。だが一瞬して、ああ、彼はナナの兄だったと納得した。まるで占い師のようなナナの兄ならば、俺たちがまだ未成年だと気づくことなど相当容易いにちがいない。

「駅のホーム。」

「へぇ。…なぁ、高校生たち、もうナナ俺が連れて帰ってもイイ?」

「私が断る。連れがいるんでしょう、彼女のところに戻って。今彼らと大事な話をしているから。」

 と、ナナが言った瞬間。

「――――俺と帰るよな、ナナ。」

 イチという名前の長兄は、ナナの顎をグイと掴んで自分の顔に触れるまで近づけた。その顔もその声も、大抵の人間なら絶対に抗えないだろうと思うくらいのものだった。だが、ナナはそうじゃなかった。長兄がどれだけナナをすぐ傍で射殺すように見つめても、ナナは決して目を逸らさなかったし、そして長兄の命令と取れる言葉に頷くこともなかった。

「断る。今は彼らの方が大事なの。」

「何、ナナ。もしかして女と一緒だったことに怒ってんの?」

 お互い一歩も譲らないような尖った雰囲気を俺と奥野はただ傍観しているしかない。兄弟の話に口を挟むほど余計で、そして面倒なことはないことを俺は誰よりもよく知っている。ただ、ナナとこの長兄は清嶺と亜矢子さんのような兄妹には見えない。どうにも「家族」という雰囲気が感じ取れないのは何故だろうか。

 と、思った瞬間だった。

「――――。」

 ナナが長兄の手を外したかと思うと、いきなりナナの唇が俺のそれに触れそうになった。が、あと数ミリで触れるというところで止まる。それは多分俺以外には分からなかったと思うけれど。

「…こういうことよ、イチ兄。それに私はイチ兄の女性との付き合いに反対したことなんてないでしょう?ほら、ドアのところにいるのが貴方の連れの女性なんでしょう?早く戻ってあげて。」

「ナナ…ずっとそう思ってたのか?」

「そうよ。私はイチ兄のこともハチのことも誰よりも愛してる。だから、貴方とハチがすることなら全て受け容れられる。当然イチ兄が女性と付き合うことも。二人とも、自分たちの思うが侭生きてくれればいい。私は貴方たちを愛せればそれでいいから。」

 ナナの言う兄たちへの愛は、確かに唯一無比のものだろうし、ナナの中の一番大切なところに彼らはいるんだろう。けれど、ならナナ自身は?

 ナナは、兄たちを誰よりも愛しているのに、どうして愛されようとは思わないんだろう。

「……イチっ!?」

 そんなナナの声に我に返ると、ナナは長兄の肩に担がれているところだった。さすがに驚いて止めようとするが、長兄の、本気で俺たちに殺意すら抱いているような双眸に俺も奥野も声を出すことができなかった。すると、ナナは視線を俺たちによこして、それでいいんだとでも言うように柔らかく微笑んだ。

 客の視線を一身に浴びているにも関わらず、長兄は颯爽と出口までナナを担いで歩いていった。出口で待っていた女性に何か一言声をかけると、その女性をその場に置いたまま長兄はバーから出て行った。

 

 今更ながら、俺はナナのいう「普通じゃない育ち方」のことを聞いていなかったことをひどく後悔した。

 




HOME  BACK  TOP  NEXT

                    


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送