2―タカラ



 

「…おい、この女寝ちまったぞ。」

 ボソリとそう清嶺が耳元で呟いたので、何故か着いて行くことになった女の人を見てみると確かに眠っていた。名前も年齢も知らないが、絶対にいい人に違いないこの人は、眠っていると起きているときよりずいぶん年齢が下に見える。

 今から20分くらい前、清嶺と柏木先輩、そして奥野先輩と学校から1時間ぐらいの場所にある海岸通をぶらぶらしていたとき、遠くで彼女が3人の男に絡まれているところだった。それをひやひやしながら見ていると、どう見ても合意じゃなく男たちが彼女を連れていこうとしていて、咄嗟に俺が走り寄ろうとした瞬間だった。

 ――彼女の身のこなしは本当に綺麗としか言い様がなかった。

 多分急所を突いたんだろうこの人の突きや蹴りに男たちは簡単に地面に倒れていった。そして彼女は何を思ったのか男たちをなるべくくっつけて地面に並べると、足早にその場を走り去っていったのだ。

 そしてしばらくしてから、何を思ったか柏木先輩が彼女を追って走り出した。

 

「まじこんなおもしろい女のコ初めて見た。って言ってもひとつかふたつは年上だろうけど。」

「…柏木…本当に彼女の家に行くつもりなのか?」

「あったり前じゃん。つーか起こした方がいいかもな、ってことで起きてー。」

「……ん…何?」

「ごめんね、寝てたのに。でも駅どこで降りるんだろうって思ってさ。」

 1ミリも謝っているような声色でなくそう言う柏木先輩に俺はある意味尊敬の念を抱く。彼女はまだ寝ぼけているのか柏木先輩を見て不思議そうな顔をしていたが、しばらくすると思い出したように、ああ、と小さく呟いた。そんな彼女の様子に俺は本気でびっくりしてしまう。柏木先輩ほど綺麗な人をもう忘れてしまっていたなんて。

「…ありがとう起こしてくれて。次の駅で降りる。…あ、そういえば手合わせするのは駐車場でいいの?」

「いいよな清嶺に藤縞?」

「俺はいいよー。」

「…おい、何勝手に決めてんだ。」

「あ、勝てる自信ないのか、女のコに?」

「あぁ??」

 一触即発。そんな四文字が相応しい雰囲気が二人の間に流れる。が、これは日常茶飯事で、俺も奥野先輩も傍観するだけで当然止めることはない。だが、大抵の人間はこの二人のこういう雰囲気に皆気圧される。それは二人の顔がやたらと整っているのも一因なのだが、どうやら柏木一族の顔は彼女に影響力はそんなにないようで、二人の喧嘩もただの言い合い程度にしか見えていないらしい。手を口で抑えながら欠伸までしている彼女に、おれは小さく笑ってしまった。

 

「ここがアパートよ。手合わせするなら食事の前の方がいいと思うんだけど、どう?」

 駅から歩いて15分くらいのところに彼女のアパートはあった。どこにでも見かける2階建てのアパートだったが、女のひとが好むようなアパートではないように見える。築20年は経っているだろう含蓄のある外壁がそれをありありと物語っている。

「俺もごはんの前のがいいや。多分清嶺もそう。」

「そう?じゃあ小と大どっちから?」

 ぶっと柏木先輩と奥野先輩が吹き出す音が聞こえた。俺はと言えば怒っていいのか笑っていいのか分からず奇妙な表情になっているに違いない。いくら名前を知らないからって、そんな風に誰かを呼ぶ人間に俺は初めて会った。

「…俺の名前は藤縞宝。こいつは保坂清嶺。」

「フジ、にホサ、ね。」

「…………………。」

 そんな呼ばれ方をしたのも当然初めてだ。

「中ともうひとりの大の名前は?」

「……………柏木玲一、こっちは奥野善也。」

「カシ、にオク、ね。」

 さすがの柏木先輩も顔じゅうに苦笑が浮かんでいる。柏木先輩を中などと呼んだのは後にも先にもきっと彼女一人だけにちがいない。

 それにしてもただ苗字の最初の2文字をとっただけなのだが、何故か一気に自分の名前がポチやらタマやらと何ら変わらないものに思えてきた。なんとなく彼女はそんな感覚で俺たちを呼んでいるんじゃないだろうか。

 目の前でその2文字を繰り返しながらふんふん頷いている彼女は、はたから見れば普通の女のひとだ。綺麗と言っていいだろう柔和な顔に、俺と同じくらいはあるだろう高めの身長。そして長くて細い手足。多分カンフーと少林寺が手足を使うスポーツだからじゃないだろうかと思う。

 …なのに、このぶっとんだ内面は一体なんなんだろう。と、思ったところで俺は「あ」と声を出した。

「おねーさんの名前は?」

「あ、言ってなかったか。私は市ノ瀬ナナ。できれば名前で呼んで。イチだと長兄と一緒になってしまうから。」

「おにーさんイチっていうんだ。長兄ってことはもっといんの?」

「次兄がひとり。彼はハチ。」

「…イチとハチ?」

「母の家族がおいちょかぶが好きだったのよ。それで長兄にイチってつけたのはいいんだけど、次兄が生まれたときにキュウってつけるわけにもいかないってことに気づいたのね。それで、1ひいてハチにしようってなったみたい。長兄は市ノ瀬イチだから苗字とかぶるでしょう?そのことによく文句をぶーたれていたし、次兄もまるで犬じゃねーかとよくぶーたれていた。それで、次に生まれる子供には本当はアラシってつけようと思ってたみたいなんだけど、生まれたのは女で、じゃあまた1ひくかってことでナナになったのよ。結果的に、私は普通っぽくて良かったと今でも思う。」

 笑った。とにかく俺は笑った。あまりに笑いすぎて本気でお腹がよじれるかと思ったぐらい笑った。彼女の…ナナの母親が何を思ってそんな名前をつけたのか分からないが、絶対に面白い人に違いない。そしてそのおにーさんたちにも物凄く会ってみたいと思った。

「まあ笑われることには慣れているけど…というかお腹もすいたしさっさと済ませない?」

「それもそうだ。じゃあ清嶺、お前先やれよ。藤縞笑いおさまってないし。」

「…ったくなんで俺が…。」

 俺が目尻に涙をためながらなんとか笑いを収めようとしていると、清嶺がぶつくさ言いながらも吸っていた煙草をじゅっと地面に押付けて立ちあがった。なんだかんだ言いながら負けず嫌いな清嶺ではあるが、女のコ相手にどういう戦い方をするんだろうと少し興味がある。

「で、ルールはどうするつもりなんだ玲一?」

「んー女のコだし、顔はダメだろ?手ついたら負けとかでいいんじゃない?」

「ああ、そんなのは気にしなくていいよ。好きなようにやってくれれば。」

「え、清嶺結構強いよ?確かなんとか級のチャンプ倒したこともあるし。」

「でも足が使えないじゃない?それだけでも大きなハンデだと思うから。」

「…ならそれで。」

「OK。じゃあ…Ready?」

 

「Start!」

 

 

―――一瞬だった。

「………っ。」

「大丈夫?」

 多分1分もなかったんじゃないだろうか。彼女の突きが清嶺の鳩尾に入った後、清嶺は膝を落として手をついた。

「…ねえ、おねーさんもしかしてすっごい強い?」

「んー…世界大会で優勝しかしてないぐらいには。」

 それは、世界でいちばん強い、ということでしょうか?

「…そういうことは早く言え………ったく胃が出てくるかと思ったぜ。」

「でもホサは相当強い。30秒持つ人間はそうそういない。大抵私のスピードについてこれないから。」

 あんな細い体で清嶺を一発でのす力があるとは…と俺は少し背筋がぞぞとした。だが細いからこそあのスピードが出せるかもしれない。素人の俺でも、彼女の強さは多分あの尋常じゃないスピードにあるに違いないということは分かる。目にもとまらぬ早さというのはああいうのを言うんだろう。

「で、次はフジか?」

 できれば辞退したいところだが、やってみたいという好奇心の方が俺は勝ってしまった。

 

 ―――――――そして案の定、1分ほどで俺は負けた。

 だが、「フジもスピードが持ち味だろう?同じタイプの人間はけっこう分かる。お前も強いな、フジ。」と誉められたので、少しいい気分になった。

 彼女の笑みはどこか人をホッとさせる笑みだと思った。

 



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