美しい人






 彼女と会ったのは、秋も深まりそうな頃だった。




1―ナナ



 

 私は小さい頃からひとりでブラブラするのが好きだった。

 大学生になってもその性格は変わることはなく、その日もついふらふら知らない街をひとり歩いていた。実家の目の前が海だった私にとって、まわりが高い建物しかないような所はあまり向いていなかったらしい。授業が午前中で終わる日は電車で30分の場所にある港に行くことが多くなった。けれどその港の海は私がいた海とは全然違う海で、いつも絶えず聞こえていたかもめやうみどりの声がしなかった。あの、懐かしいような潮のかおりも。そのことはとても淋しいと思ったけれど、でも目の前に広がる海があの海につながっているのだと思えば、そこで半日過ごすのは何よりも私の楽しみとなった。

 だが、どうしても都会の近くにある海辺の街には暴走族とかヤンキーとか呼ばれる男たちがいるらしい。私は別に取り立てて顔が整っているわけではないが、かと言って寄りたくもないくらいの醜女というわけでもなく、少し日が暮れた頃にひとり海を見ているとよく男たちに声をかけられた。いや、あの時のあれは声をかけられたというような生半可なものではないのかもしれない。両脇に1人と2人、挟まれるようにされたかと思うとあまり見ていたくはないような笑みを浮かべながら話しかけてくる男たち。私が生まれた街ではこういうことはまったくなかったから、対応に慣れていない私はさらに男たちを得意にさせたらしい。いきなり腕をとられたかと思えば、どこかに連れて行かれそうになったのだ。

 さすがに私は焦った。絶対にこのままでは危ない目に遭うと。

 ――が、私は別に危険な目には遭わなかった。当然カッコよくて背が高くてステキな男の子が颯爽と現れて男たちから私を救ってくれたわけではない。

 ただちょっとばかり私の手と足が横に出ただけだ。私は武術系の運動がやたらめったら得意だった。

 そして3人の男たちが起き上がってこないことを確認して、私はすたこらさっさとその場から逃げた。少々気がとがめないでもなかったが、まだ寒い時期ではないし、それにあと30分もすれば目を覚ますだろうからよしとした。

 駅までは港から走って10分ほどで着く。あまり人口の多くない港町の駅は人気があまりなく、私はホームのベンチに腰掛けながら電車が来るまでの15分をぼーっとして過ごそうと目を閉じた。

 しかし。

「おねーさんすごいなあ。」

 突然男の子の声が耳元で聞こえて、私は閉じていた目を時速1000kmぐらいの勢いで開けた(つもり)。音がなりそうな勢いで首を横に向ければ、やたら綺麗な顔をした男の子が4人。身長的に上手い具合に大2人、中1人、小1人。小は最初女の子か?と思ったが、よく見れば男の子だ。私に話しかけてきたのは中のようで、私の顔を見ながら何がそんなに楽しいのかニコニコ笑っていた。ただ、ニコニコしながらもあまり人を信用しないような顔をしていると思ったけれど。

「さっき港で3人くらいコテンパンにのしてたでしょ?」

「…ああ、それのこと。」

「そうそう。ケンカ慣れしてるなあってこいつらと話してたんだー。」

「……そういうわけではないけど。」

 私が中の言う「ケンカ慣れ」しているように見えるのは、単に兄達の趣味に付き合わされた結果だった。私の家族というのはちょっとばかり普通とは言いがたく、別に道場を開いているわけでもなんでもないのに父親が趣味でそんなものを建てたのがもともとの原因だった。「道場があるんだったら子供たちは強くないと!」というわけのわからない理屈で、兄達は父親がどこからか連れてきた武闘の達人と呼ばれているらしい老人に毎日稽古をつけられるハメになったのだ。長兄はやるなら極めるべしの人で、空手にいちばん興味を持った彼は結局3年連続でインターハイで優勝してしまったし、大抵のことはこなせる次兄は「何となくかっこいいから」という理由で剣道と弓道に凝り始め、彼も長兄同様インターハイで優勝してしまっている。ただ二つの競技に出ることが日程的に不可能だったために、1年と3年のときは剣道、2年のときは弓道というとんでもない出場の仕方をしてはいたけれど。

「え、そうなの?じゃあなんで?」

 女の子にも見える可愛らしい小はそりゃもう期待満面の顔で私をじいっと見つめてきた。そんな小の顔を見ながら、あのときどこで見られていたのかと私はとんちんかんなことを思った。

「…兄がひととおり正統派って呼ばれるものをやってしまっていて、残ったのがカンフーと少林寺だったのよ。」

「へ?」

「父が二番煎じは許さないって言うし。それでやってみたら結構性に合ってたから。」

「うわ!すご!ちょっと清嶺、手合わせしてもらいなって!」

「…はぁ?いきなり何言ってんだ玲一。」

「だってお前はボクシングやってんだろ?こういう人と手合わせするとどうなるか興味ない?」

「あ、それ俺も興味ある。つーか俺も手合わせしてみたいなあ…。」

 当の私抜きで話を進めるのはやめてほしい。その会話内容も18の女にする内容ではないだろう、と思ったところで、ちょうどよく電車が来た。

「それじゃあさようなら。」

 挨拶は誰にでも礼儀正しく。空手のせいでやたら礼儀に厳しくなった私より5つ年上の長兄に、私は9つの頃からそう教えられてきた。が、礼儀には厳しいくせに、長兄は高校の入学式当日に3年生の男子数名と一悶着を起こした男である。それが中学の頃にその数名のなかの一人の男子の彼女を寝取ったというのが原因というのだからとんでもない。そしてさらに何がとんでもないかと言えば、まだ9歳だった私にそんな話を平気でする長兄である。

「え、ちょっと待って。どこ行くの?」

「家。とは言っても実家じゃなくてただのアパートだけど。」

「へー、俺らも一緒していい?」

 その言葉に私は少々首を傾げた。身なりからしてかなりいいトコのぼっちゃん達に見えるのだが、実は違ったりするのだろうか。とすれば、人情に厚く、という母親の言葉どおり、ここは食事ぐらい食べさせてあげるべきだろう。

「粗末なものしか出せないけど、それでもよければ。」

「……貴方、ものすごくいい人すぎ。なんか俺心配になってきた。」

「別にいい人と言われたことはないけれど。ほら、電車出ちゃうし早く乗って。」

 知らない人には例え年下だろうが敬語を使え、と言う長兄の言葉が頭をよぎったが、食事を食べさせてやるのだから別にいいだろう。そう思いながら空いていた座席に腰掛けると、目の前に黒い影が四つ分できた。まだ席は空いているのに座るつもりはないらしい。立っている人間が目の前にいると息苦しく感じるのだが、そんなことを言う権利は私にはない。仕方ないなと思いながら目を瞑り、アパートの最寄駅までの30分を眠ってやりすごそうと思った。

 



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