13−タカラ



 

 ――国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。


 あまり頭の良くない俺でも知っている、川端康成の有名な小説のフレーズだ。けど。


「……なんで目が覚めたら雪国なんだよ!」

 起きたら誰かの車の中だったということより、窓の外に見えた木々が雪で覆われて真っ白だったという事実の方があまりに衝撃的すぎて、俺は思わず窓にべったり手をつけながらそう叫んでいた。

「あ、気付いたか?ずいぶん寝てたぞ」

 隣から突然聞こえてきた声にさらに驚いて隣を振り向くと、そこには人の悪そうな笑みを顔に乗っけているナナのお兄さんがいた。

「な、な、な、」

「お、察しがいいな。確かにここは長野だ」

「違う!」

 イチという名前だったはずのこの人は、アハハハと笑いながら雪道を車で走らせている。ついさっきまで海を見ていたはずなのに、なんでいきなり視界が真っ白なんだとは思ったけれど、この人に鳩尾を殴られたことを思い出して俺はゲンナリした。多分、いや確実に俺は相当な時間気を失ってしまっていたらしい。
 少なくとも、この時期に既に積雪してる場所に連れてこられるぐらいの時間は。

「ほら、着いたぞ」

「へ?どこに」

「ペンション。まだスキー客もそんなにいないらしくてな、当日でも予約取れたんだ」

 会話ができない。一体全体なんだって長野くんだりまで連れて来られないといけないのか。そんな疑問やら不満やらは山ほどあるけれど、このまま車の中にいたら凍死するのは間違いない。ハアと一つ溜息をついて外に出ると、ジャケットなんて何の役にも立たなそうな寒風がビュウと吹いていた。

 

 イチさんの言うとおり、確かにペンション内に人はまばらだった。それでも制服のままの俺は十分浮いているし、これからホストクラブにでも出勤しそうなイチさんの黒スーツ姿も相当浮いていた。そんなことは露ほども気にしていなさそうなイチさんは、ペンションの中の暖かいレストラン内に入って席に着くと、スーツの上着を脱いでシャツ一枚になる。そのさり気ない動作に俺は何故かドキとさせられた。

 俺の周りにいる人間――清嶺とか柏木先輩とか奥野先輩は、顔は整っていても、それでもやはり高校生だから。

 目の前のこの人には、なんというか高校生からは絶対に感じることのできない色気があった。

「お前もそれ、脱げば?」

「え?・・・あ、でも学ランだと目立つし」

「別に関係ねーだろ?どうせ明後日にはここの客の誰とも会わねーんだぜ?」

「まあそうですけど・・・・・・って、なんで明後日?」

「明日は朝顔合わせるだろうが」

「ハ!?泊まんの!?」

 予約というのはこのレストランの予約のことだと思っていた俺は、あまり広くはないレストラン内に響き渡るぐらいの音量でそう叫んだ。途端中にいた客が一斉に俺たちの方に顔を向け、俺はあまりの恥ずかしさに顔を下に俯ける。

 そんな俺をイチさんは笑っているようで、クククと抑えたような笑い声が聞こえる。くそと思いながらおそるおそる顔を上げると、イチさんは肩を震わせて笑っていた。

「・・・お、お前の台詞で、ここの客、俺らのこと絶対誤解してるぜ。お前遠目だと女にしか見えねーからな」

 そう言われた途端、俺はペンションに来たときから締めていたジャケットのジッパーを開け、ガバリと脱いだ。これで遠目にも学ランを着ている俺は男にしか見えないだろう。そう思って自信満々にイチさんを見上げるも、イチさんはさらに笑いを濃くするばかりだった。

 

 運ばれてきた料理はそりゃもう美味かった。名前は全然覚えていないが、ナントカのナントカ添えとか、ナントカのナントカ風煮込みとか、全部がめちゃくちゃ美味しかった。

「・・・その細っこい体のどこに入ってんだ・・・」

 俺が食べた量の半分も食べていないイチさんは、ワインを飲みながら呆れたようにそう呟いた。

「普通じゃない?」

「普通だったら、お前の食べた肉やら魚やらはお前の肉になってるはずなんだよ」

「それは俺が聞きたい」

「なるほど。太れない体質ってヤツか。それとも・・・食べても痩せるのか?」

「え?」

「お前、ほとんど食ってねーだろ」

「――――――――。」

 ――そうだった。

 俺は、あの日の翌日からよく食べることを忘れる。最初は単に喉が痛くて食べられなかっただけだったけれど、その痛みをほとんど感じなくなってからも、食べたらまた喉が痛むかもしれないからと無理やり理由をつけてほとんど食べなくなった。その分体重が減っているだろうことは確かに予想していたし、時々スゥッと頭の先から力が抜けて視界が真っ黒になることもある。でも、別にそれでもよかった。

「・・・食べてるよ。ちょっと食欲ないだけで」

「嘘つけ」

 そう言うと、イチさんは身を乗り出して俺の左手首を掴んだ。

「この腕、親指と人差し指で回る。多分お前の足首も俺の手なら優に回せるはずだ。」

「た、たまたま今は痩せてる時期なんだよ」

「いつも一緒にいる奴は何も言わねーのか?」

 ひゅっ、と声にならない声が上がる。まるで、俺のすべてを知っているかのようなこの人は、初対面のはずなのに。

「・・・それとも、そいつが原因か?」


 それに、そうだ、と答えることができれば、俺は楽になれるんだろうか。

 でも俺は言いたくない。言ってしまえば、その通りになってしまう。

 

 俺は平気なはずだった。

 平気でなければならなかった。

 誰の手も期待せずに生きてきて、これからも期待しないで生きていくつもりだった。

「ち、がう」

 体中の力を振り絞るようにして言った言葉は、ほとんどかすれていた。

 

「……なら、なんで泣いてる」

 


 親父は、縋る俺の手を掴んではくれなかった。

 清嶺は、亜矢子さんのためなら俺の手なんか簡単に振り解く。

 

 それでも、俺はちゃんと生きていける。

 生きていかなくちゃ、ならないんだ。

 

 

 ひとりで。

 





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