4 −side r−


 

「時田ちゃーん、メシ食い行こうぜー」

「そんな金ない」

「俺が奢るって」

「タダより怖いもんはないっていうからな」

「うわっ、年寄りくせえ」

 杜がそう言った途端、桐は手に持っていた30センチ定規で杜の頭をベシと叩いた。角ではなく側面で叩いても当然大した痛みがあるわけではなく、いてぇと頭をさすりながら今度は杜は桐の後ろからベターと張り付いて離れない。そんな杜から体を離そうとすることを既に諦めきっている桐は、杜を背中に乗せたまま大学の課題に取り掛かっている。

 あれから、杜と万里はちょくちょく桐の家に遊びに来るようになった。万里は杜に引きずられて来ているだけらしく、部屋に入ってもあまり口を開かず、杜と桐の応酬をどこか呆れたような目で見ていたが、杜は完全に桐に懐いてしまっているように見えた。
 来るたびにこうやって桐を夕飯やら遊びやらに誘い、その度に断られても全くヘコたれない。結局桐が根負けする形になって、これまででもう3、4回は4人でどこかに出かけている。

「なーなー時田ちゃんってー」

「がーーーーーーーーーーー!!分かった!分かったから!!でもな、俺はこの課題をやんなきゃ今度は5時間も教授にコキ使われるハメになるんだよ!だから明日だ!明日ならいいぞ!メシだろうが何だろうがどんと来いだ!」

「やりぃ。じゃ、明日大学まで迎えに行くから」

「来んでいい!」

「イ・ヤ」

 そう言って、杜はじゃあね〜と家から出て行った。桐はと言えば髪の毛をわしゃわしゃ掻き回し、一つ深呼吸をすると途中になっていたレポートに向き直る。何冊もの本を片手にパソコンのキーをカタカタ叩いてる桐の横顔は頭の良さそうな学生にしか見えない。
 なのに、その顔はやはり相良と似ているとしか思えない。

 相良は、勉強と聞くだけで発狂すると言っているような奴だったから、今の桐のような横顔は一度も見たことがないというのに。

 いや、というより、俺は相良の横顔をあまり見たことがないのだ。
 
 俺の隣に相良がいるとき、俺はいつも正面から相良の顔を見ていたような気がするから。

「…桐ー」

 後ろから抱きかかえるようにして座ると、桐は「あー」と声を出しただけで後は何も言わなかった。首を曲げて桐の肩口に埋めると、そこからは何の匂いもしない。桐は香水と名のつくものをつけたことは過去一度もないらしく、桐の体はただひたすら空気の匂いしかしなかった。両手を桐の腹の前で結び、胸と桐の背中をさらに密着させても、桐はいつも穏やかな表情のまま「重い」と言うだけで決して俺から体を離そうとはしなかった。

 この穏やかさが最近少し恨めしい。

 相良は恐ろしく気性が激しく、人を殴ることなど何の躊躇もなくしてしまえる男でありながら、相良に惹かれる女も男も後を絶たなかった。それは、渾身の力で人を殴ると同時に、全身で笑うことができる人間だったからかもしれない。感情が全て表に出て、その正と負の差があまりに激しくて、だからこそ惹きつけられずにはいられない男だった。


 桐はまるで逆だ。

 むしろその存在を感じさせないほど全てが希薄なのに、何故かその表情や仕草の一瞬一瞬が決して忘れられない。

「蓮?」

 

『蓮』

 

 その声も、全く違う。



 なのに、声を聞いた途端、俺の頭に浮かんだのは、そう俺の名を呼んだ相良の姿だ。



『蓮、したことあるか?』


 そう言って、俺に笑いかけた相良の鮮やかな笑みと、そして。


 
『キモチ、いいかよ?』
 


 俺の上で腰を振っていた相良の姿。



 俺の名前を呼んでおきながら、それに返事を返す間もなく俺の唇を塞いで、それから、不遜な笑みを向けてきた相良の顔。

 

「……っっ!?」

 その首筋に唇を落とすと、桐は息を呑んで体を強張らせた。

 違う。
 相良はこんな反応はしなかった。

 俺がこうやって首筋を吸ったことなど一度もなくて、相良だけが俺の首元や胸にただひたすら赤を散らせていった。相良の体からはいつも香水の匂いがして、その香りがいつも同じでないことにひどく嫉妬した。相良は香水の瓶など一つも持ってはいないのに、なのにいつも体からは香水の匂いしかしなくて、一体どこで誰の香りをその体に纏わせてきているんだろうと。

「桐…」

 ――――相良。

 心の中で、今でも会いたくて狂いそうになる男の名前を呼ぶ。


 分かっている。
 今俺が抱いているのは桐で、相良じゃないということは。


 でも、桐を抱けば、その間だけは俺は相良に会えるかもしれない。

 相良にいつもしていたように下から突き上げてやれば、桐は相良になるかもしれない。

 

 顔をぐいと振り向かせて口付けて、そのまま畳の上に押し倒した。

 本当に、ただの一度も俺が相良の上になったことはなくて、なのに、こうやって桐を押し倒している自分は一体何なんだろうと思いながら、もう一度桐の首筋に唇を落とす。

 この後、どうやって桐を――相良を、俺の上に乗せようかと思いながら。

 

  


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