2 −side k−


 

 結局、なしくずし的に――というより断りきれずに――その男との同居は始まった。
 男は名前を蓮(レン)というらしい。別にお互い自己紹介なんて気味の悪いものをしたわけではなく、同居する上で名前を知らないのは不便だったので俺が名前を聞くと、そいつは苗字も言わずただ「レン」とだけ言った。どんな字だと聞くと蓮と書くというので、ずいぶん名前と顔の一致している男だと思ったものだ。そして間髪入れずに今度は蓮が俺の名前を聞いてきたので、「時田。時間に田だ」と答えてやると、至極不満そうに名前を聞かれたので教えてやった。それから今日までずっと、出会ったばかりの蓮と俺は何故か名前で呼び合う仲でもないのに名前で呼び合っている。

 そんな蓮は、顔だけを見る限り俺と大して年は変わらなそうではあるが、別に学校に行くでもなく働きに行くでもなく、何をしているのかさっぱり分からない男だった。気付けば蓮と暮らして1週間は経過しているが、素性や職業は置いておくとしてもとにかく何もできない男で、料理ができないのはまだいいとして、掃除や洗濯までできないとなるとこれまでどういう生活をしてきたんだと不思議でしょうがなかった。

 本当に、一体どうして俺はこんな男を家に置いておく気になったんだろうか。それは自分でもまだよく分からないが、ただ、初めて会ったときに言われた言葉と、その時の蓮の表情が頭から離れなかったからかもしれない。


 あの時、蓮は確かに本気だった。

 


「ただいま」

 そう言って家に帰ってくるのもさすがに段々慣れてきた。だが、今日はそれに帰ってくる返事がない。どこかに出かけたんだろうと大して気にもとめずに家に入ると、何故か玄関には蓮の靴があった。ならトイレだろうかと思ってドアを叩くも、そこにいる様子はない。蓮はもう一足靴を持っていただろうかと思い返すがそんな記憶はなく、かと言って裸足で出かけることは普通なら考えられない。

 だが、と思う。

 毎日、何をするでもなく家でぼーっとしているらしい蓮は、この1週間で2日ほど夜中に家を出ている気配があった。眠気が勝ってしまってそのときの蓮がどんな様子だったかは覚えていないが、朝方帰ってきているらしい蓮の寝顔はどうしようもなく疲れているように見えた。

 それは自分でもよく分からない予感だった。
 家を飛び出し、蓮の行きそうなところを探そうとするが検討もつかない。とにかく家の周りを探してみようと思ったところで、ふと、以前蓮を見つけた場所に思い当たった。家からは歩いても5分とかからないあの小道は、街から住宅街へと通る近道なだけにあまり人が通らない。とにかくその場所に向かって走ると、そこに行く途中の歩道に蓮がいた。

 ふらふらとおぼつかない足取りで、一体どこに行こうとしているのだろうと思った。いや、多分目的地などないんだろう。その視線は一点に定まらず、生気の感じられないその顔はまるで夢遊病者のように見えた。そして、その足にはやはり何も履いてはいない。近付くことが憚られるような雰囲気の蓮に、近付かないといけないと俺に思わせたのはその裸足だった。

 一歩、二歩と足を踏み出すたびに蓮の顔がよく見えるようになる。その顔の痛々しさに目を背けたくなりながらも、俺はなんとかその欲求に耐えて蓮に近付いた。

「……蓮」

 名を呼べば、驚いたように蓮は俺の方を振り向く。そして。

「相良」

 そう言って、花が綻ぶように笑った。
 まるで、俺が何よりも美しいものでもあるかのように微笑む蓮の顔はあまりに綺麗で、目を奪われずにはいられなかった。それから俺を抱きしめて、「相良」という名前を繰り返し呼ぶその声は、愛しい人間を呼ぶそれでしかなくて、どうしていいのか分からなくなる。その顔は俺を見ているようで見ておらず、俺の向こうに見える誰かに思いを馳せているように見えた。

 

 家に帰り、抱きついてこようとする蓮をなんとか引き剥がして椅子に座らせる。そして足の裏を見ると、小石や砂で傷ついたのだろう、小さな擦り傷や切り傷がたくさんあった。とりあえずついている汚れを手で払い、それから水で濡らした雑巾で足の裏を拭く。その後で消毒液を吹きかけると、沁みるのだろう、時々詰まったような声が蓮の口から漏れた。

「…今日は、もう外出るなよ」

 両足に包帯を巻き、そう言いながら立ち上がる。すると、立ち上がった俺の腰に蓮が抱きついてきて、嬉しそうに笑った。

 

 その笑みは一体誰に向けられているのだろうと思いながら、これ以上、蓮に深入りするべきではないと頭のどこかで警鐘が鳴っていた。

 

 

 


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