1 −side r−




 多分、ただひたすら愛していただけの人間を亡くして、ちょうど3ヶ月が経とうとしていた頃だった。

 色々なことがどうでもよくて、自分の周りの世界が色を失って、もしかしたら今自分が生きていることすら怪しいんじゃないかと思っていた。食べるとか寝るとか、そういう当たり前のことが当たり前にできなくなっていて、そんな俺を心配そうに見る二人の友人を見ているのが耐えられなくなって、家に帰らない日々が続いた。

 その日も家に帰らず、亡くした人間を思って街をあてどもなく歩いていた。コンビニで買った酒を煽り、現実と夢の境が分からなくなる時間だけが俺が彼に会うことのできる時間だった。なのに、何故かどれだけ酒を飲んでも酔うことができず、体だけが限界を迎えていた。
 今いるのがどこなのかも分からず、その場にあったガードレールにズルズルともたれて上を見上げると、ひたすら真っ暗な夜空が広がっていた。都会の空に星を見つけることはやはりできなくて、そのことは以前彼と一緒に行った北海道の夜を思い出させた。きっと、今も変わらない星と空があの大地の上にある。なのに俺の隣には彼がいなくて、いっそこのまま死なせてくれ思った、本当にちょうどその時だった。

「ヘーキか?」

 そんな声が聞こえて、声がした方を振り向けば、どれだけ酒を飲んでも会えなかった彼がいた。やっと、俺は現実との境界線を超えられたのかと嬉しくて、涙が出た。会いたくて会いたくて、でも目の前の彼がホンモノじゃないことは分かってしまう今が、俺には耐えられなかった。だから、殺してくれと頼んだ。夢でも、幻でもいいから、死んだはずの相良(サガラ)に殺してほしかった。

 だが、途端鳩尾にひどい痛みが走って、堪らずそのまま道路にうずくまるように倒れた。そして何が起こったのかも分からないままいきなり後ろから襟首をつかまれ、ずるずると体がひきずられる。一体どこに向かうのかと思ったが、そんなことはどうでもいいなと思いながらそのまま意識を闇に落とした。

 

 

 目が覚めると、どこか知らない部屋だった。二人の友人の部屋であるはずがないことは、その部屋の狭さから想像できる。体を起こすと尻と太ももに痛みが走って、そういえば昨日誰かに道路をひきずられたことを思い出した。とするとここはその人間の部屋かと思いながら周りを見渡す。多分一人暮らしだろう部屋の中は、それにしてもあまりに殺風景だった。今寝ている畳間には机と本棚しかない。そして向こうに見える台所には小さな冷蔵庫とレンジ、そしてテーブルがあるだけのあまりに質素な部屋だった。

 喉の渇きに台所に行って冷蔵庫を開けると、やはりというべきかミネラルウォーターなど置いていなかった。なら水道水でも飲むかとシンクのある方に体を向けると、その間にあったテーブルに紙が置いてあることに気がついた。

『家を出るときは鍵を閉めて、鍵はドアポストに入れておいてくれ。あと、腹殴って悪かった。 時田』

「……ふうん」

 あの男は時田というのかと思いながら鍵を手に取る。小さな銀色のそれは持ってみると思ったより重量があったが、別に何の変哲もないただの鍵だ。なのに、何故かどうしようもなくこれが欲しいと思った。この鍵を自分のものにしてしまいたいと。

 ふ、と小さく笑いが漏れる。この突発的な感情が何から来るのか、俺は多分知っている。

『ヘーキか』

 そう言って俺をここで寝かせてくれたお人よしの男は、俺が愛した男にひどくよく似ていた。

 

 それからすぐ、引越し業者に連絡して入るだけの家具を時田という男の部屋に持ってこさせた。荷物の量と部屋の狭さの釣り合わなさに奴らはかなり驚いていたようだったが、入りきれない家具は持って帰らせた。
 気付けば時計の針は夜の6時を過ぎている。そういえば腹が減ったなと思い、よく頼んでいたデリバリーに電話して食事を持ってこさせた。20分後に届いたチキンをつつきながら、相良が死んでから初めて「食べたい」と思ったかもしれないことに気付く。前に友人に無理やり食べさせられた一流ホテルの料理は、まるで砂を噛んでいるようにしか感じられなかった。その料理よりもはるかに質の落ちるだろうこの料理は、なぜこうも美味いんだろうか。

「な…な、な…」

 その声に玄関の方を振り向くと、時田というらしい人間がそこにいた。こういうときは何と言えばいいんだろうかと思ったが、とりあえず「おかえり」と言ってやると、彼はまるで魂の抜けたような顔になっていた。少し口を開けて何かに呆然としているような彼の表情に、俺は家から持ち込んだ椅子から立ち上がる。近くに寄って見ると、やはりその顔の頬は触り心地がよさそうで、つい指でつまんでひっぱってしまった。

「やっぱり気持ちいい」

 薄すぎず厚すぎず、彼の頬は俺の期待通りのつまみ心地だった。だが、そう言った途端彼は突然顔を険しくして首を左右に振った。俺は指を離さざるを得なくなり、つい恨めしげに彼を見ると逆に睨まれてしまった。

「…なんでまだ家にいる」

 なんだそんなことか。そう思った俺は当たり前のことを口にした。

「一緒に住むから」

「……ハ?!」

「だって、鍵くれたじゃん」

「かっ…そ、その下のメモ見たか?家出るときは鍵閉めて、鍵はポストに入れといてくれ、って書いといただろう!」

「うん。でもまだ家出るつもりないし」

「……なら、今出てけ。今すぐこの家具もって出てけ」

「え、やだ。鍵もらったし、それに」

 あんた、相良に似てるんだ。

 そう言おうとして、押し止まった。そんなことを言っても彼は相良を知らないし、それに、相良に似ているから一緒に住みたいと言うのは、彼に失礼すぎることぐらい俺にも分かったからだ。

 だから。

「俺、あんたのこと好きんなった」

 そう言って、俺は時田にキスをした。唇の感触はやはり相良とは全然違うし、似ていると思った顔だってもちろん瓜二つというわけでは決してない。

 だが、彼の顔は確かに、俺が好きだった相良の顔によく似ていたのだ。






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