2 −side r−


 

 ああ、また桐が相良に見える。

 目の前の男は「時田桐」であってけして「藤野相良」ではないのに、その顔のどこもかしこも相良にしか見えない時間が日に日に多くなる。それは俺にとっては何よりも幸せな時間で、だがそれと同時に相良がいないことをどうしようもなく思い知らされる時間でもあった。

 なのに、最近夢とうつつの境界線がひどくおぼろげになる。
 桐が本当に相良にしか見えなくなって、桐が相良じゃないと分かるまでだいぶ時間がかかるようになった。

 だから、桐が相良に一瞬でも見えたときは、それが昼だろうと夜だろうと桐が見えないところに行くことにしていた。まだ、俺の精神が現実にとどまっていられるうちに、相良にしか見えない桐から遠く離れて、相良が死んだことに気付ける場所に行こうと思った。

 

 相良の墓は街外れの寺の敷地内にある。
 坂を上って辿り着く相良の墓から見える街の景色が綺麗だと思えるようになったのは、多分桐と暮らし始めたからだ。以前なら、景色どころか相良の墓すらまともに見ることができずに、ただただ墓の下にうずくまって泣いていた。

 あの時――桐と俺が初めて会った時も、半日以上相良の墓の前で立ち尽くしていた。墓の下にいるのは相良で、二度と俺の名前を呼んではくれないんだと思いながら、それでも尚、現実ではない世界で相良に会いたいと思っていた。酒を煽り、頭が働かなくなり、景色が歪むと、その向こうに俺が望む世界がある。その世界を得られずに道路にへたばっていたところに、桐が現れたのだ。

「…相良」

 墓に刻まれた碑銘が何と読むのかなど興味はない。だが、その碑銘を指でなぞれば、まるで相良の肌を撫でているように思えるから不思議だった。その墓を抱くようにして腰を降ろす。そして目を閉じれば、次に目が覚めたときには体は勝手に街を彷徨っているんだろうと思いながら意識を閉ざした。

 

 だが、目が覚めるとそこは街ではなく、桐の家のベッドの上だった。いつの間に戻ってきたんだろうかと思いながら体を起こすと、足に微かに痛みが走る。見てみれば両方の足に包帯が巻いてあって、そういえば、靴を履かずに外に出たかもしれないと思い出す。そして、この手当てをしてくれただろう人間を探して部屋を見渡すと、ベッドの下の畳間に桐はいた。

「…桐?」

 眠っていることを知りながら、俺は桐の名前を呼ぶ。もちろん桐は俺の呼びかけに答えることはなく、俺は静かにベッドを降りて布団の脇に腰を降ろした。

 こうやって近くで見ると、桐と相良は思っていたよりも似ていない。その顔は確かによく似ているが、寝ているときの相良は桐のように眠ることは決してなかった。

 桐は、まるで死んだように眠っている。
 相良は寝ているときもその存在を主張するように寝息や鼾をよくかいていたから、呼吸していることすら怪しい桐の眠りはひどく不安を掻き立てた。何故か急に堪らなくなって、深く眠っている桐を起こすくらいの強さで肩を揺する。そして何度も桐の名前を呼ぶと、桐は静かに目を開けて、ゆっくり俺に視線を向けた。

「…蓮?」

 そう、俺の名前を呼びながら、不思議そうな顔で俺を見る。相良にこんなことをしたら絶対に殴られているに違いないのに、桐はやはり俺に困ったような顔を向けるだけだった。

「どうした?」

 一つ欠伸をして、桐が静かに体を起こす。その動作も何もかもが相良とは違くて、それがむしろ残酷なほど相良を思い出させた。

「…俺、いつ戻ってきた?」

「……9時すぎだ。裸足で帰ってきたからびっくりしたぞ」

「手当て、ありがと」

「大したことしてないけどな。できれば次からは靴を履いて外に出てくれ」

「うん」

「…で、今何時だ?」

「……夜中の2時」

「そんな時間に俺を起こすってのは、よほどの緊急事態か何かか?」

「うん」

「…なんだ」

「一緒に寝よう」

「…………………」

 桐は明らかに「バカかお前は」という表情を顔に乗せていたが、それを口にすることはなかった。その代わりに一つ溜息をついた後で、「ほら」と言って布団をめくってくれた。

「……寝るぞ」

 そう言って微かに笑った桐の顔は確かに相良には見えなくて、俺も同じように笑って布団にもぐりこんだ。

 桐が寝ていた布団は温かくて、夏だというのにその温度がひどく心地よかった。

 

 


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