セックスの後、体に残ったのは冷たい残り香。




 二人で、映画を見ていた。
 試験期間も終わり、少し暇を持て余していた航にDVDを見ようと誘ったのは海老原だった。海老原の作った夕食を食べ終え、風呂に入って航がリビングに戻ってくると、そこにはアルコールと美味そうなつまみ、そして照明が消された空間が用意されていた。
 海老原という男は本当に非の打ち所のない人間だと航はしみじみ思う。一緒に暮らしてそろそろ3ヶ月が経つというのに、一つぐらいはあっても良さそうな欠点が海老原には何一つ見当たらない。航にしても、海老原を怒らせるようなことを仕出かしたとかそういうことは一度もないのだが、それにしてもまるで聖人君子のようにさえ思えた。

「ヒューマンドラマっぽいのにしといた。万人受けしそうなヤツ」

 に、と口の端を上げながら海老原はDVDを持った腕を軽く上げる。海老原が持っているのは、航は見たことはないが、確かに有名な映画だった。そんな海老原に航は軽く頷き、ソファに腰掛ける。すると、隣に腰掛けていた海老原がリモコンの再生ボタンを押し、途端黒かったテレビ画面に鮮やかな色が浮き上がった。

 

「……なんつーか、予定調和だよなあ」

 映画が始まって1時間半ほど経ったあたりで、海老原はそう呟いた。
 映画自体は、確かによくできたものなのだろう。目頭にグッと来るようなシーンが1時間半の間に数度はあって、演じている役者も皆上手いと思う。
 だが幸か不幸か、航もあまり映画で感動できるようなタチではなかった。映画は映画として、どうしても人物やストーリーの中に入り込めない。
 多分、それを海老原も感じ取ったのだろう。航が映画に感情移入していたのなら、海老原がそんなことを言うわけがない。

「…予定調和、ってまではわかんないけど」

「そうかあ?まだ半分まで来てないのに、あんな演出で人一人死んでるんだぜ?あの体のでかい男も確実に最後死ぬだろ」

 コク、と小さく喉を鳴らして、海老原は缶ビールを一口飲んだ。テーブルの上に置いてあった数本の缶ビールは既に全て空き、お互いの手にある缶で最後だ。だが、航とて2缶分のビールをきっかり消費してしまっているあたり、やはり海老原ほどではないにしても映画に夢中にはなれていないのが分かる。あまり酒に強くはない自分を分かりながらも、つい航も海老原と同じぐらいのペースでビールを空けてしまっていた。

「……でも、これってすげー評判良かったよな」

「らしいな。感動巨編とかいう煽り文句もついてたし。まあ、人が死んでりゃ何だってそうなるんじゃねーの?」

 テレビ画面を見つめながら、海老原は静かにそう呟いた。
 それは何気なく発せられた台詞ではあったが、航が隠れ見た海老原の横顔にはその声色にはそぐわない温度のない表情が乗っていた。
 そして、その分酷く際立つ強い双眸も。

 ――ああ、まただと航は思う。
 今と同じ顔を、時々航は自分の背に感じることがあった。普段あれほど穏やかな海老原が時々垣間見せるその表情は、たとえはっきりと正面から見れずとも何故か航にはそれが分かった。多分、普段の優しさや穏やかさを遥かに凌駕してしまうほどの冷え切った激しさを、その視線が持っていたからだろうと思う。
 というより、もしかしたら「それ」こそ海老原の本質なのかもしれないとさえ航は思う。
 全身を覆う、普段海老原が見せている優等生然とした殻を取り去ったその内側にあるのは、感情の見えない、なのにその双眸だけに鮮烈な冷酷さを宿した男なんじゃないかと。

 だが、そう思ってはいても、航はそれを口にする気は全くなかった。
 海老原という人間は、航に見せてくれている面だけでも酷く魅力的な男で、航にはない色々なものを持っている海老原に、航は確かに心を持っていかれていたから。そして、そんな航に気付いているのだろう海老原は、毎日、優しい目で航を見ていてくれたから。
 それは、航にとって、何より大切なものになってきていたから。


 ――しかし、少し酔ってしまっていたのかもしれない。
 この場に流れる空気の気安さに流されて、踏み入れまいとしていた海老原の内側の何かを掠めてしまうような台詞を、航はぽろりと吐いてしまった。

「海老原って、時々、凄い激しいよなあ」

「……どういう意味?」

「んー、何ていうんだろ…ああ、この映画で言うならさ、さっき、男を殺したヤツいたじゃん。すげー残虐な方法で殺して、その死に様に腰抜かして漏らした男。あいつは、ただ男が気に食わなかっただけで、まさかあんな死に方するとは夢にも思ってなかっただろうけど、海老原は、もし誰か殺すんなら、それがどんだけ残酷な方法でもさ、のたうち回って死んでく男を冷静に最後まで見ていることができそう、みたいな。…なんか訳わかんねーこと言ってんな、俺。」

 そう続けて航が視線を移した先にあった海老原の顔に、航は喉の奥がひゅっと鳴った。

 ――あの顔だ、と思った。

 ずっと航の背にだけ向けられていた海老原のその顔は、直視し続けることができないほど人間味がなく、そして、冷たかった。

「…なあ、崎谷」

 その顔のまま口を開いた海老原に、航は目にも明らかに肩を震わせた。
 そんな航を知っているだろうに、海老原はさらにその体を航に近づける。間近で見た海老原の顔には、いつもその顔に浮かべている穏やかさなど微塵も感じられなくて、その双眸だけが気違いじみた色を持っているように航には見えた。

「え、びは、ら」

 何とか海老原の名前だけを航が口にすると、海老原はその綺麗な形の唇を笑みの形にして、クと小さく笑った。すると、さっきまでの表情が嘘のように穏やかな笑みが海老原の顔には浮かんでいて、それが、怯えている航を宥めるために‘作られた’ものだと航は何故か気付いてしまった。



 そして、その唇が己の唇に重ねられるのを、航はスローモーションのように見た。

 

 唇に感じた海老原のそれはひどく冷たかった気がする。
 けれど、重ねられた海老原の唇が、航はどうしようもなく嬉しかった。
 いつもは見せてくれないその内側を、ほんの少しでも晒してくれたのだと、嬉しかった。





 たとえ、己の体に残ったのが冷たい残り香だけでも。

 

 




HOME  BACK  TOP  NEXT

 

  

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送