「…どういう、ことだ」

 直知は叔父になど一度も会ったことはない。だが、たとえそうでも親族には変わりはないというのに、どうして叔父が自分を誘拐しろと目の前の男に頼んだのか。とにかく、その理由が知りたかった。

「さあ?それは貴方の叔父さんに聞いてくださいよ。私が頼まれたのは貴方を誘拐することと、貴方のお祖父さんに身代金として10億円を用意してもらうことだけですから」

「な…!?」

「貴方のお祖父さんが死んだ場合、お祖父さんにはその叔父さんと貴方の死んだお父さんしか子供がいませんから、お父さんの息子である貴方と叔父さんで2分の1ずつ財産が相続されることになります。お祖父さんの推定資産はおよそ350億円。それを考えれば安いものだと思いませんか?」

「…そんなことはどうでもいい。知りたいのは、どうして俺の叔父が俺を誘拐させたかだ。お前は絶対理由を知ってる」

 知らないはずがない。そう、直知は確信している。
 自分を誘拐した男が、その声色ほど性根が穏やかでも優しくもないことを直知は知っている。そして、多分恐ろしく頭のいい男だということも。
 そんな男が、大金が入るという理由だけで自分を誘拐するとは到底思えない。

「答えろ、蜂谷」

 下から睨み付けるように直知はその顔を見上げた。光の加減でサングラスの奥の双眸が透けて見えたが、その視線の意味が分かるほどには蜂谷の目をよく見ることはできない。
 多分嫌がるだろうとは思いながらも、ゆっくりと蜂谷のサングラスを外すと、何故か蜂谷は別にそれを避けるそぶりも見せなかった。直知にされるがまま、その顔からサングラスを外し、そして感情の伺えない視線で直知を見下ろした。

 その、恐ろしいほど綺麗な顔に、直知はやはりまだ慣れることができない。
 だがそれ以上に、殴られ続けたときに感じた、蜂谷の底が見えないほど薄暗いその双眸に直知は微かに怯え、同時にどうしようもなく惹きつけられる。それは直知にとって認めたくない感情で、だからこそそんな己を奮い立たせるように直知はもう一度強く蜂谷を睨み付けた。

「……ほんと、ソソりますねえ」

 にも関わらず、飄々とそんなことを言ってのける目の前の男が、直知は本気で嫌いだと思った。

 そして唐突に、祖父の言っていたことを思い出す。

『お前が梃子摺るのは、対峙しているのに対峙していないような戦い方をする奴だろうよ』

 ――本当に、忌々しい。
 まさしく、蜂谷はそういうタイプだ。正面からぶつかっても、いつの間にか後ろを取られているような。

「…どうしたら、教えてもらえるんだ」

「へえ…そういう目もできるんですね、貴方」

「話を逸らすな!」

「そう怒らないで、教えてあげますから」

 ハァ??
 そう、直知はもう少しで口に出して言ってしまいそうだった。多分顔には内心がありありと浮かんでしまっていただろうが。

「貴方のお祖父さん、この間遺言を書いたんですよ。その内容がまた、叔父さんにとってはとんでもない内容でしてねえ。結論だけ言えば、会社は叔父さんに、それ以外は全て直知さんにという内容の遺言です。あの会社だけで相当な資産価値だと思うんですが、貴方の叔父さんにとってはそれだけじゃ足りなかった。それで、貴方を私に誘拐させて、誘拐された理由にお祖父さんが貴方に遺産を残したくなくなるようなことをでっちあげることにした、ってわけです」

「…遺産を残したくなくなるようなこと?」

「ええ。今、貴方は暴力団から麻薬を横取りして逃げて、暴力団の幹部に誘拐されたことになってます」

「はあ!?」

「それで、その麻薬の値段分、身代金として返せー、というワケですね」

 蜂谷は最初から最後までニコニコしながら説明していたが、直知にとっては最初から最後まで到底信じられるような内容のものではなかった。だが、何故かこの男の話が嘘でないことだけは自信があって、その分叔父への呆れやら軽蔑やらに感情は取って代わる。
 が、財産などむしろ受け取りたくなかった直知にとって、実はこの状況は願ったり叶ったりだった。だからか、会ったこともない叔父への感情はすぐに失せ、代わりに物凄い脱力感が直知を襲った。

「……で、じーさんにもうそう言ったのか」

「ええ。ですが、さすが一代であれだけの会社を立ち上げただけの人ですねえ、叔父さんの思惑に気付いていたみたいですよ」

 …まあそうだろうな、と直知は思う。
 一緒に暮らしている母方の祖父も相当頭のキレる人だが、そう何度も会ったことのない父方の祖父は、一目見ただけで切れ者と分かるような人間だった。会ったことはないが、こういう馬鹿げたことを仕出かす叔父がそう頭のいい人間とは思えず、だとすればあの祖父が叔父の企みに気付かないはずもないと。

「…遺言は」

「書き直していないようです。逆にもう公正証書にしたって言ってましたから、貴方に途方もない額の財産が転がり込むのは決定的らしいですよ」

「なら、何で俺は今ここにいる?」

「明日、貴方のお祖父さんの使いの方が10億持ってこちらにいらっしゃるんですよ。その時貴方とお金を交換することになってますから」

「―――そ」

『貴方とお金を交換』

 何故だろう。

 その台詞に、不意に心臓が軋んだ。

「直知サン?」

「…何でもねーよ。じゃあ今日でここともオサラバってわけだ。つーかだったら逃げようとした俺が馬鹿だったな。明日には帰れるのに」

 アハハ、と笑いながら直知は殊更明るく喋った。何故か、こうやって喋っていなければ己の感情が変な方向に向きそうな気が直知にはしていた。

「お前もせっかくだったら10億とか言わないで100億とか強請れば良かったのに。あ、でも俺にそんな価値があるとは思えねーし、そしたらじーさん払ってくれないかもしんねーな」

「…直知サン」

「あーあ、なんか疲れた!逃げようとして普段使わない筋肉使ったかも」

「直知サン」

「じゃ、俺もう寝るわ。明日よろしくー」

 

「直知」

 

 ゾクリ、と背筋が震えた。
 声でこんなにも人を怯えさせることのできるこの男は、やはり尋常じゃない。
 笑いながら人を殺せるように、きっと、声で誰かを恐怖に陥れることもこの男なら簡単にできるんだろう。
 ――だが。

 

「じゃあな、蜂谷」

 

 そう言って、直知は自分に与えられていた部屋に入り、ドアを閉める。

 己にない双眸を持つ男に惹かれるのは、多分自分の性だろうと直知は思う。

 だが、だからと言って、直知はその「誰か」になれるほど、恐怖も畏怖も知らない子供ではなかったのだ。

 

 




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