そんなこんなで、俺と日下、そして凪の交友は回数を増していった。いや、日下は俺と凪のやりとりをただ傍観しているだけなので友人と言えるような関係では絶対になかったが、少なくとも俺と凪はそう呼べるくらいの仲にはなっていたはずだった。
 というより、俺と凪の仲が深まるたびに日下は俺のことを一層邪険に扱うようになっていたので、俺と凪、そして俺と日下の交友の深まりは完全に反比例だったかもしれない。それでも、学校では科が違うせいでほとんど会うことのない日下だが、時折見かけるその表情はいつも無表情で、それに比べれば家での日下は断然人間らしかった。


 ――が、二人との交友を深める度にひしひしと感じるのが。


「ナギ、ページめくって」

「え、まだ読んでねーよ、俺」

「ならあと30秒で読め」

「ムリ!スイが速すぎんだろ!」

 会話の内容だけでもどこかおかしいというのに、その様子が目に入ってくるともなれば、はっきり言って公害だ。いや、家の中だけだから公害とまではいかないのだろうが、少なくとも俺にとっては四大公害なんぞ裸足で逃げ出すくらいの公害だ。

「つーか、スイ、肩に顎乗せんなって」

「これラク」

「…そーかい」



「…おい。なんでカンガルーの親子みたいな格好で新聞読んでんだよお前ら」



 つい、ついそんなことが口をついたのは絶対に俺のせいじゃない。
 あまり他人を気にしない俺でも、さすがにたった1メートル向かいのソファで「後ろからだっこ」状態の二人を見るのは、全裸にコートの変態を見るのと同じくらい嫌だった。

 だが、ここのホストは目の前の二人だ。
 俺にとやかく言う筋合いはないし、ホストのみならず恋人同士ともなれば、俺は馬に蹴られて死ぬのがふさわしい人間になってしまう。
 でも、それでもつい口に出てしまうのは、こいつらとの付き合いは今年で1年になるというのに、未だ新婚ホヤホヤのバカップルにしか見えないような二人だからに他ならない。これで凪が「やだ〜スイの意地悪〜」なんて言った日には俺はさすがにこの家にはもう来れないと思っていたが、どうやら凪のガサツな口調はそれを言うことは一生なさそうなので物凄く安心している。

「お前にとやかく言われる筋合いはねーよ」

 ああ、似たような台詞を一体何回言われただろうか。
 比率としては日下が4、凪が6という感じだが、日下に言われた場合その威力――この場合俺の恐怖心を呼び起こす威力を指す――は凪の10倍は軽くいく。それは日下の顔が必要以上に整っているせいもあるが、何より絶対にカタギじゃないと思わせるようなあの鋭い眼光は何度見ても慣れることがない。
 今日はどうやら日下の出番だったようで、俺はヘラヘラ笑いながら内心ダラダラ汗を流した。そんな俺に日下は全く笑っていない笑みを向けてきて、ぎゃー…と叫びそうになるのを凪ののほほんとした声が助けてくれた。

「あ、そーいえばさ、マナブ、今日ナントカさんとデートって言ってなかった?」

「え?あ、ああ、リリィのことか?待ち合わせが8時だからな、まだ少し時間ある」

「さっさと行け」

「…てめ、このクソ日下」

「あぁ??」

「なんでもありません。そーね、俺もう行くわ」

 ちくしょう情けないと思いながらも、あんな眼光で睨まれるのはもう二度とゴメンだと思いながら、俺はその辺に置いておいたジャケットを羽織る。
 もう少しでクリスマスだからか最近女からの誘いがめっきり増え、来るもの拒まずな気のある自分をじゅーぶん知っている俺は片っ端からその誘いを受けている。もちろん俺にも好みはあるし、多分人より好みにはうるさい方だが、俺の見た目のせいかそこそこイイ女じゃないと俺に誘いをかけてくることはない。あー役得と思いながら、俺は今晩味わうことができるだろうリリィの黒い肌を思い出して内心ニヤニヤ笑みを浮かべた。


 ――そこに、ジーとインターフォンが鳴った。


 その音を心底面倒くさそうに聞いた日下は、しょうがねえなとでも言うような足取りで玄関へと向かう。そして覗き窓から客を確認したが、そこで一気に表情を変えた。
 その表情を訝しげに見ながら、俺は何故かこのまま家を出る気にはなれず日下がドアを開けるのを見る。すると、ドアの向こうから見たことのない初老の白人が現れて、真っ先に凪に視線を向けた。
 老人の腕には大きな白いキャンバスがあって、彼はそれをとても大事そうに抱えていた。

『お久しぶりです、凪さん』

 流暢な英語がその口から紡ぎだされる。その表情は初老という年齢にふさわしい穏やかさを持っていたが、そんな老人とは反対に凪はこれでもかと顔をきつく強張らせていた。
 その表情に、そういえば、と凪と初めて会った時を思い出す。
 あの手錠が日下の趣味(少し語弊はあるかもしれないが)だと知ったのはそれから2時間後だったが、その手錠のことなど記憶の片隅に押しやってしまうほどの表情を凪はあの時していた。

 まるで、生きるのを忘れたかのような、そんな真っ白な表情を。

『零に、君にこれを渡してくれと言付かったんだ』

 その台詞に、凪はさらに顔を白くする。
 そんな凪を、いつの間にか凪の傍に腰掛けた日下が後ろから抱きしめていて、こんな穏やかな老人の何が二人をこうさせるのだろうと不思議だった。

 だが、老人が手に持っていた大きな白いキャンバスの包み紙が剥がされた瞬間、その理由は自ずと理解できた。
 理解、せざるを得なかった。


「……ヒ…ッ!」


 凪の口から、声にならない悲鳴が漏れる。

 



 Je vous aime, afin que je veuille tuer plutot.





 真っ白な、幅が1メートルはあるだろう大きなキャンバスに描かれていたのは、その一文だけ。







 ―――”
貴方を愛しているよ、いっそ殺してやりたいほど。”








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