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「おいチビ、さっさとこれコピー取って来い。」

「…………………へいへい。」

 清嶺に言われるがまま、宝は手渡された書類を持ってコピー機のところまで行く。が、先客がいたために宝は近くにあった丸椅子に腰掛けて待つことにした。なぜなら尋常じゃなく下半身がだるいからだ。

 ハア、と溜息が出る。昨日好き放題しただけでは鬱憤が晴れなかったらしい清嶺は、時々こうやって清嶺の秘書のようなことをさせる。どうにもヨルダンのこと以来清嶺にあまり頭が上がらなくなった宝は、そのたびに性に合わない書類整理やら記録作りやらをするハメになる。大体こんな大きな弁護士事務所にいるのだから、秘書がいるんならつけてもらえばいいじゃないかと宝は思う。だがそれを清嶺に言ってみると「お前以外だったら秘書はいらない。」という返事が返ってきて宝の提言は呆気なく却下された。

「宝さん、コピー機空きましたよ。」

 と、物思い(?)に耽っていたところで事務員のひとりに声をかけられた。ここの事務員は宝がイレギュラーな存在であるにも関わらずほとんどの人間が親切に接してくれる。そのことはとても嬉しいと思う。しかし。

「ほんと保坂弁護士とラブラブですね。」

「…………………。」

 これだけはいけない。いや、もともとはヨルダンから帰ってきていきなりここに顔を出した自分が悪いということは分かっている。どうしても一番先に清嶺の顔を見たいという気持ちが先走ってしまったのだ。だが、

「保坂弁護士って近所の弁護士さんの間でも愛妻家で有名なんですよ〜。」

 というようなことを言われるたびに「違います!」と声を大にして言いたいのに、あんなことをしてしまった後ではどうにも反論できないのだ。もし違うとでも言えば、「じゃあどういう関係なんですか?」と聞かれるだろうことは、いくら宝でも簡単に想像がつく。何よりヨルダンの件以後、清嶺はいやがらせのように宝の写真をデスクの上にこれでもかと飾っている。最初それを発見したときには、宝は清嶺のいない隙にその全てをゴミに捨てた。だがその3ヵ月後清嶺のオフィスに来てみれば、前の倍の写真がデスクに飾ってあって、宝は溜息とともに写真廃棄計画を諦めたのだ。

 消え入りそうな声で「ありがとうございます」とその事務員にお礼を言い、宝はどーんと落ち込みそうになる気持ちをなんとか奮え立たせながらコピーを取り始めた。そしてハアと特大の溜息をつく。どうして26になったっていうのに皆が皆女と間違えるんだろうと泣きたくなった。

 だがそれは宝本人にも大いなる原因があるのである、というより、すべて宝のせいである。

 宝は高校のときには短く切っていた髪を、写真を撮るようになってから長く伸ばすようになった。それは以前宝がアシスタントとして着いてまわっていたカメラマンである堂島一輝の「髪短いと幼く見られるよ」という一言が発端だった。

 宝は撮影の行く先行く先で、女子中学生やら女子高校生に毎度毎度間違われた。そして堂島にとっても撮影スタッフにとっても、アシスタントが女に間違えられるより中学生に間違えられる方がかなりの面倒をともなった。身分証明書を見せろで済めばまだいいが、一度堂島が警察にしょっぴかれそうになったときすらあるのである。

 それにさすがの堂島もなんとかしなければと思い、顔を整形させるわけにもいかないしとりあえず髪でも伸ばしてみたらどうだろうと思いついたのだ。

 そしてそれは結果としては大当たりだった。

 堂島に言われるまでもなく、自分が中学生に間違えられたことにかなりのショックを受けていた宝は、堂島に言われるがまま髪を背中につくぐらいまで伸ばした。そして髪を長くして初めて行った撮影先で、見事宝は未成年とは思われなかったのである。

 ――――だが。

「なんて綺麗な女性なんだ!そんな華奢な腕でカメラは持てるのかい?」

「堂島、とうとう嫁さん同伴で撮影に来るようになったのか?」

「彼女はモデルなの?すごくキュートな女性だね。」

 その他うんぬんかんぬん。

 髪が短かったころの数十倍は「女性への賛辞」を宝はあらゆる人種、あらゆる年代の人間に言われた。だがそのことにショックを受ける暇もなく、「やぱり伸ばして正解だったな宝ちゃん!誰も高校生なんて言わないし!」という堂島の喜びの声から始まり、まわりのスタッフも同じようなことをそりゃもう嬉しそうな顔で宝に言ってきたため、宝はもう3年も髪を短くすることができないでいる。

 

 考え事をしているうちにコピーは終わり清嶺のオフィスに戻る。すると宝が来たときに一度は清嶺のオフィスに来ている女性が今日もいた。派手目の綺麗な女性である。宝が来ているときですら必ず一度は来るのだから、普段はそれでは済まないことは予想がつく。清嶺の仏頂面に苦笑が浮かびながら、「この人も諦めないよなあ」と宝は半ば感心したい気持ちだった。

「ほら清嶺、コピー。」

 その女性の前を通りすぎると微かでは済まない香水の匂い。この匂いだけで清嶺の不快指数は上がるばかりだろうにと宝は思う。だがこの女性が来ているときは、宝はとにかくそそくさと清嶺のオフィスから出て行くことにしている。清嶺の手伝いをするのは今日で5度目で、家に帰ってから何度も「今度は出て行くな」と念を押されるのだが、一度も守ったことはない。毎度顔を合わせるたびに射殺しそうな目線を向けられるというのに、同じ部屋にいたら本気で殺されそうな気がするのだ。

 ということで、宝は今回もその約束を破るべくコピーを渡して部屋を出ようとした。が、今回は清嶺は逃がしてくれなかった。

「う、わっっ……・!!」

 グイと腕を引かれたかと思うとそのまま腕の中に抱き込まれる。こういうとき自分の体重の軽さが恨めしいと思いながら宝は天井を仰いだ。さすがに今逃げようとすればまたとんでもない目に遭わされかねない。

「昨日も思ったけど、お前また体重減ったな。40切ったんじゃねぇか?」

「……最近寝不足なもんで」

「あ?そりゃ俺のせいとでも言ってんのか?それなら俺の方が体重減ってねぇとおかしいだろうが。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

 ちょっと嫌味を言ってやろうとしただけなのに、どうしてこんな恥ずかしい目に逢わなきゃなんないんだと宝は泣きたくなった。

「――つーことで俺にはこいつがいるんでさっさと諦めてくんない?何度も言ったけど迷惑以外のなんでもない。」

「…だってそのコが貴方の奥さんだなんて嘘でしょう?」

「マジだけど。」

「嘘。貴方の戸籍謄本に妻の欄なんかなかったもの。」

 なるほど、と宝は思った。多分その戸籍がこの女の人が清嶺を諦めなかった最大の理由なんだろう。奥様奥様言われている人間の戸籍が清嶺の戸籍にないことを知って、彼女は清嶺が本当は独身だと分かったのだ。さてどうするんだ清嶺?と宝は心の中で清嶺に突っ込むと、当の清嶺の口からとんでもないことが吐き出された。

「そりゃあこいつは日本国籍じゃないからな。」

 ―――――――――――ハ?

「このツラと肌の色で分かるだろうが。こいつ純粋な日本人じゃねーよ。俺とこいつの結婚はこいつの国でしたからな。」

 オオカミ少年もびっくりな嘘八百。

 法を預かる人間のくせにどうして清嶺がこんなに堂々と真っ赤な嘘をつけるのか宝には不思議でしかたがない。だが清嶺が言うには「弁護士なんぞ嘘でも何でも相手を言いくるめりゃいい職業なんだよ」だそうだ。そういえば以前、宝が清嶺にどうして弁護士になろうと思ったのかと聞いたところ、この男は「口で金が稼げるって楽じゃねえ?」とのたまった。それを聞いたときには困ったことがあっても清嶺にだけは絶対に頼むまいと思ったものだ。

「それに俺は超面食いだから、化粧しないと外出れない女なんてゴメンだね。」

「なっ…、失礼じゃない!」

「人の戸籍覗き見るような女に言われたかねーよ。つーかまじうぜぇんだよこのドブス。事務員だと思って甘く見てりゃどんどんつけあがりやがって。本気でオロスぞこら。」

 目の前の彼女の顔がどんどん蒼白になっていく。それを横目に見ながら、25になってもこの口の悪さは直ってないわけね、と宝は苦笑いを浮かべる。前も、映画館で女子高生にナンパされそうになったときに清嶺は同じような台詞を彼女たちに吐いたことがあった。

「なに笑ってるのよ…っ、もういいわよ!保坂弁護士はロリコンだったってことよね、そんなガキみたいな子と結婚してるなんて!」

 あ、と清嶺は思った。それだけは言っちゃいかん台詞だというのに、と。

「………………ガキだぁ??」

 案の定、普段はあまり出すことのない低音を効かせた声が宝から発せられた。後ろから抱きかかえている清嶺には見ることはできないが、少し怯えたような顔の女を見れば相当凄みのある顔になっているに違いない。年を経るたびに宝は顔から幼さが少しずつ抜け、代わりに前より数段綺麗な表情をするようになった。が、そのせいで怒ったときや表情をなくした時の宝の顔は普段の顔からは想像もつかないくらい怖いのである。顔の整った人間が怒ると怖いというのは本当らしい。

「おれはれっきとした26だ!清嶺に聞いたけどアンタ俺より3つも下だろうが!なんで年下の人間にガキ扱いされなきゃなんないんだよ!」

 そして一旦口を開けば、その顔からは絶対に想像できないような言葉遣いの連続。しかも髪を伸ばしたことで女に間違われることが多くなった…というよりは、初対面の人間に女と断定されることが格段に多くなった宝にとって、「ガキ」やら「子供」やらはいちばんの禁句キーワードである。しかも今回はロリコンとまで来たものだから、宝の怒りはMAXだった。その証拠に「女には優しく」がモットーの宝が目の前の女にこれでもかと怒鳴りつけている。

「どこの国に行ったって20より下に見られることはもうほとんどないんだよ!なのにロリコンってのはどういう意味だ!?清嶺が少女趣味の変態とでも言ってんのか?大体ロリコンの対象は15歳くらいまでの女のコだぞ!?おれのどこが15才に見えるって!?」

 20より下に見られることはないということは、つまりは大抵20歳と言われるということなんだろう。しかも「ほとんどない」ということは、未成年に見られることが未だにあるということである。まったく自慢にすらならない。そして別に言わなくてもいいだろうロリコンの対象年齢まで持ち出して怒っている。ただの変態童女趣味のことだと思っていた清嶺は、宝が知っているところを見るとそうじゃないらしいなと半ば感心しながら聞いていた。

「や、こ、こわい…!保坂さん!!」

「あぁ??じゃあさっさと出てけよ。」

 泣き出しそうな23歳の女性に言う台詞では決してないだろうが、清嶺の視界にもともと彼女は入っていない。というより、清嶺に「弱い自分」をアピールするなど、犬に求愛するより馬鹿らしいに違いないのだが。

 そんな清嶺の態度にとうとう彼女は泣きながら清嶺のオフィスを出て行ってしまった。それに驚いたのはやっと我に返った宝である。やばい言いすぎた!と彼女の後を追おうとしたが、何分清嶺の膝の上。そして当然清嶺が宝を簡単に離すはずもなく。

「ちょ、ちょっと!やばい泣かせちゃったって!」

「あーこれで諦めるだろあのバカ女も。やっと清々する。」

「そんなこと言ってる場合じゃな……ってオイ?なんで机乗せんの?」

「法廷出るまで少し時間あるし、遊ぼうぜ?」

「ふ、ふざけんな!昨日散々人の体で遊びまくったくせに何言ってやがる!俺はあと1ヶ月はやりたくない!」

「ムリ。」

「ちょ、ちょっとマジやめ」

 

――――――バタン!

 

「保坂弁護士!事務員に何を言った、ん、で…………・。」

 

「……………………。」

「……………………。」

「……………………。」

「ナニ?」

 

 

 




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