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「……誰?」

 零の予想に反して、玄関のドアを開けた先にいたのはスイではなかった。スイよりはるかに小さい身長と華奢な体、そして、その顔には隠しきれない憎悪のようなものがあった。

「凪くん、いますか」

 その台詞に、その憎悪の矛先が自分の子供であることを零は悟る。ナギに「物の見方」を教えたのは紛れもない父親である零で、その零がカイトの内心を読み取ることなど赤子の手をひねるより簡単だった。

「僕は君を知らないし、それにそんな顔してる人に凪と会わせるわけにはいかない」

「貴方の子供がっ、僕から恋人を奪った!!1年も付き合ってた人を奪ったんだ!」

「だから何?その八つ当たりをナギにぶつけるつもりかい?」

「っっどいて!」

 そう言った途端カイトは零の肩を突き飛ばすようにして家の中に入っていった。零は軽く笑って、そして中に入っていったカイトの後を追うように零は居間へと足を運ぶ。居間へ続く廊下の途中にあるタッチパネルを操作してから。すると、ソファに横になっているナギの体の上にナイフを振り下ろそうとしているカイトの姿があって、零はいつもの零からは想像もできないほど低い声で口を開いた。

「それを振り下ろしてごらん、僕は君を殺すからね」

「……っっ」

「さっさとナギの上から体をどかしてくれないか。住居侵入で訴えられてもおかしくないってことは分かっているだろう?ああ、さらに殺人未遂もだ」

 途端、カイトの顔がスッと青褪め、そして零の方を振り向いた。

「僕は言ったことは絶対にやる。さっさと降りろ」

「…なら!この子に日下くんに近付かないでって言って」

 その台詞に、零はカイトの行動の理由やその背景がやっと見えてきた。あまりの馬鹿らしさに怒鳴ることすら面倒だと思う。と、自分の頭上で起こる騒ぎにナギが目を覚ましてしまい、ナギが身じろぎしたことでカイトはその視線を零からナギに戻した。

「え?…カイ、ト?」

「そうだよ。ねえ朔田くん、日下くんに近付かないって約束してよ。僕が彼のことどれだけ好きか君だって知ってるだろ?」

 起きたばかりのナギには何が何だか分からないのだろう。怪訝そうに眉を寄せている顔に零はチッと舌打ちをし、まだか、と時計を見た。パネルを操作してから4分弱――もうそろそろだ。それまで、どうにかカイトという男が逆上しなければいいと思いながら零は一歩二人に近付いた。

「聞いてくれるよね?」

「え、あ、よく意味がわかんねーんだけど…」

「しらばっくれないでよ!君が…君が現れなきゃ、日下くんはウリやめるなんて言わなかったんだから!ずっと僕のこと抱いてくれてたはずなんだから!」

「…スイ、ウリやめるのか?」

「そうだよ…君が言ったんだろ?ウリなんかやめろって。なんで、君なんかに僕と日下くんの仲を引き裂かれなくちゃなんないんだよ!」

 

「そこまでだ」

 

 その声にカイトが振り向くと、居間には数人の男たちがカイトを取り囲んでいた。事態が飲み込めずカイトが呆然としている間に男たちはカイトをナギから引き離す。そして二人の男たちがカイトをはさむようにして拘束し、そのことにカイトはやっと自分が置かれている状況が飲み込めた。

「…言ったことは絶対にやる、って言っただろう?」

 零が酷薄そうな笑みを浮かべてカイトを見やる。美しいだけに圧倒的に冷たいその表情にカイトは背筋がゾクリとして、一瞬だけ自分が拘束されていることすら忘れそうになった。――だが。

「連れて行ってくれ。証拠の画像はそっちに送られているはずだ」

「分かりました」

 そんな会話が聞こえてきて、否が応でも今の状況を思い出さずにはいられなかった。だが、今更「いやだ!」と声をあげたところでそれを聞いてくれる人間はこの場にはおらず、唯一人聞いてくれそうなナギは零によって居間から連れ出されてしまっていた。

 

  

 スイがナギの家に着いたとき、ちょうどカイトを乗せた車がナギの家の前から出たところだった。その後に続いて2台の車が一斉に発車し、それを怪訝に思いながらスイはナギの家のインターフォンを押す。すると思いのほか早くドアが開けられ、そこには予想していたように零が立っていた。が、聞こえてきた言葉は予想とは全く違っていた。

「…今度は僕の予感も当たっていたようだね」

 スイを中に通しながら零はそう言った。こんなにも容易く中に入れると思っていなかったスイは内心首を傾げながら零の後に続く。居間に入ると、何故かナギが急いだように服を着替えていて、そしてスイに気付くとナギは目を見開き、焦ったように口を開いた。

「スイ!カイトが警察に連れてかれる!」

「…何?」

 どういうことだ、とスイは零を見る。

「彼、ついさっきいきなり家に押し入ってきて、ナギをナイフで刺そうとしたんだよ。それで頼んでいる警備会社の人間に警察に連れて行ってもらった」

「な…!」

「でも、彼、君の恋人なんだろう?もし僕の言う条件を飲んでくれるなら、警備会社の人間に電話して連れて行くのをやめてやってもいい」

 その台詞に、スイはそれまで激昂していた気持ちがスウッと冷めていくのが分かった。いや、冷めていくというのとはまた違うかもしれない。むしろ、落ちていくといった表現の方がふさわしいような感覚だった。
 人より聡いスイには、零が言うだろう「条件」がどういうものなのか、容易に想像がついた。
 それを零も分かっているんだろう。そんなスイにニコリを笑みをよこし、そして口を笑みの形にしたまま口を開いた。

 

「君が、二度とナギに近付かないって約束してくれるなら」

 

 予想は外れてはくれなかったな、とスイは目を伏せながら思った。そして目の端に映るナギの愕然としたような表情に、ああ、ナギも少しは悲しんでくれるのかと何故か少しだけ気分が晴れた。だがその晴れ間は瞬時に黒く覆われて、二度と光を見せてくれることはなかった。

  

 

「日下くん!!」

 車から降りてくるカイトが抱きついてこようとするのを、スイはその寸前で止めた。そんなスイにカイトが傷ついたような表情になったが、それでもスイはカイトに優しくしてやることはできなかった。カイトの後から警備会社の人間だろう男が降りてきて、スイに1本のテープを渡す。スイはその場でテープを踏み潰し、近くにあったゴミ箱に捨てた。そしてそのまま踵を返す。後ろからカイトがスイを呼び止める声が聞こえて、スイはゆるりとその声の方を振り向いた。

「もう二度と、お前とは会いたくない」

 

  

 スイが家に戻ったのはもう夜が明けたころだった。
 部屋に入りベッドに仰向けに横になる。窓から見える朝日に、ちょうど半日前、ここでこうやって夕日を見ていた人間のことを思い出してスイはきつく目を閉じた。

 初めて――生まれて初めて傍に置きたいと思った人間を傍に置くことができないのなら、彼のいないところに行こうと思った。
 どうせいつかは日本を出るつもりだったのだから、いいきっかけになったのだと思えばいい。

 

 きっかけと呼ぶにはその存在が脳裏に焼きついてしまった人間のことを、スイはいっそ忘れたかった。

 

 


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