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 目が覚めて、部屋に零がいないことにナギは両手で顔を覆った。きっと、隣の客間にスイはもういない。多分、12の時から零に抱かれ続けてきて、今日ほど声をあげなかった日はないというぐらい声を抑えてはいたが、それでも一度も声が漏れなかったといえばまったく自信がなかった。慣れ親しんだ零の手はナギの体のすべてを知っていて、ナギはいつもその手に翻弄されるだけなのだから。

 ゆっくり体を起こすと体の節々に痛みが走る。その痛みに、つい数時間前のスイとのそれを思い出して、こうも違うのかとナギは自分を痛めつけるように小さく笑った。なんとか立ち上がって部屋を出ると、居間には煌々と明かりが点いていた。そのことに何ら驚くことなくナギが居間に足を踏み入れると、ソファには零の姿があった。

「…なにしてんの」

 確かに小さい声ではあったが、零の耳にははっきりと聞こえるぐらいの声だった。だが、零はまるで聞こえていないようにナギの問いを無視し、ナギにその背を向けたままだった。
 その背を、ナギが畏怖とともにしか見れなくなって一体どれくらい経つだろう。
 昔――もう思い出せないほどの昔ではあるが――、ナギはその背に飛びつき、おぶってもらいながら零が絵を描くのをよく見ていた。零の顔の横から顔をひょいと出すと、零はそれこそ楽しそうに笑ってナギの頭を優しく撫でてくれた。その、ナギを優しく撫でてくれる手は、それと同じくらい綺麗な絵をキャンバスに描いていって、絵の中の赤や緑にナギは夢中になった。

 ―――幸せだった。

 本当に、幸せだったのだ。

「……なあ、なんで俺を抱くんだ、父さん?」

 それは、この5年、聞きたくても聞けなかった問いだった。
 あの、初めて抱かれた日の翌朝、あまりに嬉しそうに「おはよう」と声をかける零にナギが何も言えなくなって、その朝からずっと心の奥底に仕舞っていた問いだった。
 今思えば、なぜずっとそれを聞けなかったのか―――なぜ、嫌だと言うことができなかったのか。零は確かに最初は無理やりナギを抱いたが、その次の日にナギを抱いたときは、まるで優しさしか感じられないようなセックスをしたというのに。
 だが、だからだったのかもしれないともナギは思う。
 たとえその優しさが「父親」としてのやさしさでなくても、ナギは人一倍それに飢えていたから。

 1年の間ずっと苛めを受けてきて、そばにいない父親にそれを訴えることもできず、ナギにできたのはただ耐えることだけだった。自分を痛みの渦に投げ込むクラスメイト達に、早く殴るのにも蹴るのにも飽きて自分の上からいなくなってほしい、ただそれだけを願うしかできなかった。
 そんな悪夢のような時間から救ってくれたのは確かに父親である零で、ナギが零に抱かれるその瞬間までは、零は、本当にただひたすらやさしい父親でしかなかったのだ。
 自分を取り囲む全てが怖くて仕方がなくて、日本人の黒い髪、黒い瞳を見るだけで怖気が立って。
 そんな毎日で、零の金色と青色は、ナギがいちばん安心するものだったのに。

「……俺は、父さんの子供にはなれないのか?」


 できるなら、あの瞬間のほんの数日前に時間を戻してほしい。
 零の背にくっついて、零の絵を見て喜んでいたあの優しい時間に戻りたかった。



「ナギ、君は勘違いしてる」

「……え?」 




「僕が君を抱くのは、君が、僕の血を分けた唯一の人だからだ」



 


「言ってなかったけれどね、君の母親と僕は、愛し合っていたわけじゃなかった。彼女は死に場所を求めて日本を離れていて、僕は死に場所を提供するかわりに君を産んでもらうことを頼んだ。それで君が産まれてすぐ、僕は彼女の求めるがまま自殺に手を貸してあげたんだよ。彼女は、誰も自分を知らないところで死にたいと言っていたから」

 ――声が、出ない。

「僕は、自分以外愛せないと思ってた。13のときに両親が死んで、清々したって思ってたぐらいだよ。でも、やっぱり一人は寂しいってことに気付いたんだ。だったら、僕の血を分けた子供を作ればいいんだって思った。そうすれば、僕はその子を心置きなく愛せるから」


 ――息ができない。


「だからね、もし君が僕から離れるって言うのなら、君の子供をちょうだい?」



 そうしたら、君と同じようにその子を愛してあげるから。

 

 零がいつの間にかナギの前に立っていて、ナギはそれに驚くでもなくただただ零の顔を見上げた。年々近くなっていく目線もとうとう同じになることはなく、高1で止まってしまった身長は零より数センチほど小さい。画材を持つためについた筋肉も零のそれには到底及ばない。体も顔もすべてが違うのに、その肌の白さと目の色だけがナギと零が親子だと教えてくれる。
 なのに。

「…そんなこと、優しいナギにはできないだろう?」

 その血のつながりが、ナギを絶望の淵へと落とした。
 ただただ目から流れ落ちる涙を零がその指で掬い、そしてナギの唇に零のそれが押し当てられても、ナギにそれに刃向かう気力などどこにも残っていなかった。
 もうほとんど本能のように目を閉じる。途端激しくなる口付けに、ナギはその両手を零の腕にかけて体が崩れ落ちそうになるのを堪えた。だが、結局そんな動作は何の意味もなかったかのように床の上に押し倒され、零の右手がナギの服の中に滑り込んでくる。そしていつもより性急に衣服を剥ぎ取られて、片足をぐいと抱えあげられたと同時にナギの中に零が入ってきた。

「…ナギ…ナギ」

 零の声を聞きながら、ナギは前のセックスで声を抑えていた分を取り戻すかのように声をあげた。ぐいと体を起こされ、座位になって下から突き上げられれば、その度にナギの口からは大きな声が漏れた。
 まるで自分のものではないような声が絶え間なく吐き出されて、その声を出しているのは紛れもなくナギ自身であるのに、ナギは同時に自分の声をひどく冷静に聞いている自分がいることに気付いた。今零に抱かれている自分以外にもう一人の自分がいて、そしてこの居間の上の方からナギを見下ろしているかのような。
 一体、そのもう一人の自分からはどう見えているんだろうか。
 実の父親に抱かれ、父親に与えられる快楽に酔い、その父親の首にしがみついてみっともない声をあげる自分が。

 きっと、もう人間には見えないんじゃないかと。

 

 一際大きな声をあげて精を吐き出し、ナギは零の肩にぐったりともたれかかった。そんなナギの背を零はゆっくり撫ぜる。するとその手が傷を掠めて、その感触にナギがびくりと背を震わせた。
 そのことに微かに笑みが漏れながら、零がその傷を避けてナギの背を撫ぜようとしたその瞬間、突然インターフォンが鳴った。
 それが一体誰によって鳴らされたものなのか、零には簡単に予想がついた。気を失ってしまっているナギをソファに横たわらせ、上着を被せてから零は玄関に向かった。

 




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