「どうすればいい」

 蜂谷の自室に入ってドアを閉めた途端、直知は振り向きざまに後ろにいる蜂谷に向かってそう言った。

「どうすれば、とは?」

「とぼけるな」

 くすくすと蜂谷は声を出して笑う。そんな蜂谷に業を煮やし、直知はぐっと胸倉を掴み上げて今にも顔同士が触れそうなほど顔を近付け、その双眸を睨みつけた。

「…どうすれば、いい」

「どうすれば、彼を逃がしてやるんだと、そういうことですか?」

「そうだ」

「どうしてです?」

「…何が」

「どうして、貴方はあの人を逃がしてやりたいんですか?」

 その、直知の頭の中を読んだかのような蜂谷の台詞に、直知は思わず胸倉を掴んでいた手を離した。そして、そのまま蜂谷から少し体を離す。だが、直知と蜂谷の間に隙間が出来た途端、蜂谷はそれを狙っていたかのように素早く直知を窓際のベッドの上に押し倒した。

「ねえ、どうしてです?」

 直知の両手首を頭の上で押さえ込みながら、ひどく愉しげな表情で蜂谷は直知に問う。見られるだけで心の中を探られているような気になって、直知は蜂谷から顔を背け、目を閉じた。
 ――どうしてか、なんて、直知にすら言葉にできない。
 だが、どこか己と重なり、そしてどこかが己とは決して重ならない彼のことを、直知はどうしても逃がしてやりたかった。
 いや、そうじゃない。
 どうしても、亨という男娼が心の底から愛しているのだろう恋人のもとに、彼を戻してやりたかったのだ。

 だが、そこまで考えたところで、直知の服の間にするりと手のひらが入り込んできた。

「…っ、こんなことしてる場合じゃないだろうが」

「何故?私にとってこんなこと以上に優先させたいものなんてないんですが」

「う、そ、つけ…っっ、」

「嘘じゃないですよ?これ以上に楽しいことなんて、私は他に知りませんから」

「っ、…ま、じで、やめ…っ、んっ」

「嫌ですよ。…もう3日も、あなたのココに、入れてない」

「……っっ!」

 意識が、おぼろげになってゆく。
 いつもこうだ。蜂谷に体中を貪られているうちに、もう、何もかもがどうでもよくなってしまう。そして、そうこうしているうちに蜂谷が中に入ってきて、それからは、自分はもうただの動物でしかない。
 本能を追い、快楽を追うだけの、一匹の獣だ。

「あっ、あっ」

「…ああ、やっぱり、気持ちいい、貴方の中」

「んあっ、あっ、ア…っっ」

「ねえ、直知さん。私ねえ、苅田さんを誘拐しようとしてる男の気持ち、分からないでもないんですよねえ」

「……や、も、やめ…っ、あっ、あっ」

「…っ、宮路さんに、聞けば聞くほど、私と王は、その性質が酷似しているのが分かって」

「も、駄目…だ…っ、蜂、谷…っっ」

 

『って言っても、お前は王が企んでることをもう実行に移してるからな。奴は2年待っただけお前よりマシかもしれねえぜ』

 

「失礼な、人ですよねえ」

「はち、や…っっ」

「……ちょっと、休憩しましょうか。貴方に、教えたいこともあるし」

 そう言って、蜂谷は腰を突き入れる動きを止める。それから蜂谷の下で息も絶え絶えな直知を見やって、愛しそうに汗に濡れた髪の毛を額からかきあげた。
 だが。

「……おしえ、たい、こと?」

 薄く目を開いてそう問うた直知に、蜂谷は小さく目を見開く。
 そして、こういうところに、どうしようもなく惹かれるのだと蜂谷は思った。

 身も心も己に狂いきっているように見えて、実はその目も耳も決して理性を忘れない。もし、亨がいたという高級クラブに直知が入ったのなら、きっと瞬く間に上に上り詰めるのではないかと蜂谷は思う。
 この、蜂谷が知る誰より艶かしくて、そして誰より強かな靭さを持った、目の前の情人は。

「逃がしてやりたいと、そう、おっしゃいましたね?」

「……ああ」

「いいですよ」

「!」

 

「貴方が、けして、私から離れないと言うのなら」

 

 その台詞に、直知はひゅっと息を呑む。そして、目を見開いたまま、目の前の男をじっと見つめた。

「はなれ、ないって」

「言葉のままです。ドアの鍵が常に開いていたとしても、貴方がこの部屋からけして出て行かないというのなら…私の側を離れないというのなら、あの男娼を逃がしてあげましょう」

 笑いもせず淡々と言葉を紡ぐ蜂谷は、嘘を言っているようにも冗談を言っているようにも見えなかった。
 本気で、直知を自分の手元に置きたいと。

「どうです?」

 その声とともに、中に入っていたままの蜂谷が軽く体を揺する。途端背筋を突き抜けるような感覚が直知を襲って、直知は思わず高く声をあげた。そしてそんな己の声に驚き、やめろという意味を込めて蜂谷を睨みつける。だが、そんな直知の視線など意に介さないかのように、蜂谷はまた前のように直知を突き上げ始めた。

「ねえ、どうです、直知さん?私のお願い、聞いてもらえそうですか?」

「…っ、あっ、あっ」

「聞いて、くれますよね?」

 耳元で囁かれる、低くて甘い、蜂谷の声。
 その声に煽られるかのように直知はさらに甲高い声を上げ、思わずそのまま達した。だが、それでも蜂谷は動きを止めようとはしなくて、痛みなのか快楽なのか分からないぐらいの強い刺激が直知の体を幾度となく襲った。
 しかし、それでも。
 おぼろげになりそうな意識の中で、直知は思う。
 この男が、一体どういうつもりで己をその側に置きたいというのか、それは今でもよく分からない。分かるのは、この男が自分に執着しているということ。
 そして、その事実に確かに悦んでいる己がいるということ、ただ、それだけ。
 この、自分の心がというより、自分の存在全てで欲してしまうような蜂谷陣という男に、多分己は、彼が自分にそうするのと同じぐらい執着しているに違いない。

「あ…っ、わ、かっ、た・…っ、んっ」

 だから、切れ切れになりそうになりながら、直知は言葉を紡いだ。

「お、前の、そばに、いるから」

 そしてそう言って、何故か酷く驚いた表情をしている蜂谷に、小さく笑ってやった。
 すると、それまで一度も表情を変えなかった男がその表情を崩して、だが、一瞬してそれは元の蜂谷に戻った。それから、まるでその感情の全てをぶつけられているかのように激しく抱かれて、直知はいつの間にか意識を失うように深く寝入ってしまった。

 

 

 

「…ついさっき、ご依頼どおり彼を送り届けましたよ」

『そうか、悪かったな。こんな面倒な依頼押し付けちまって』

「いえ、面白かったですよ。一度に二人の人間からその身の誘拐を依頼される男っていうのも」

『ハハ、でも一人は違うだろ?苅田の恋人なんだから』

「そうですね。・・・しかし、王という男は諦めないと思いますが。まるで蜘蛛のような執着心だ」

『かもな。まあ、それは向こうの男がどうにかするだろ。世間も恋人もずーっとだまくらかしてるような食えない男なんだし。――それより、お前なんでこんな面倒な依頼二つ返事で承諾したんだ?頼んだ俺が言う台詞じゃねえけどよ』

「…それは企業秘密ですよ。じゃあ宮路さん、また」

『へいへい。じゃあな』

 

 パタン、と携帯を閉じる。
 そしてクスと小さく笑ってから、蜂谷はテーブルにあったコーヒーに手を伸ばした。電話をする前に入れたコーヒーは、既にぬるくなってしまっている。常の自分なら捨ててしまっているようなまずいコーヒーも、蜂谷は今日ばかりは何も気にすることなく口につけた。

 ――手に入れた。
 己がずっと、もしかしたら生まれたその時から渇望していたものを。
 その性質が己と酷く似ていて、けれど、己にはない情というものを持っている少年を、その情を利用してまんまと手に入れた。
 しかも、そうなるまで3日もかからなかった。たった2日で、直知は亨に情を移した。
 だが、その情を己が持っていないからこそ、自分は直知をこうも求めてしまうのだろうと思う。そしてその情を持ってしても尚、直知が心の底に隠し持つ暗い空虚は己を誘惑してやまない。
 まるで、直知が見せたあの美しい剣舞のように。


 ク、と小さく笑い蜂谷はコーヒーを一気に飲み干す。
 そして、今私室で寝ている少年を起こしに行くべく、ソファからゆっくりと立ち上がった。

 

 己の側にいると言った少年に、その意味を教えてやらなければと。

 

 

  

                                                     End.




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