『ああ…いい、気持ちだよ、トオル』

『ぁあっ、アッ、あっ、あっ』

『君の中は、この世のどこより最高だ』

『んあっ、あぁっ、お、王さ、もう…っっ』 

『まだ達っては駄目だよ。ほら、こうするともっとイイだろう?ホラ、ホラ!』

『ぃぁああああっっっ!』

 


「うわああっっ!!」

 ガバリと体を起こすと、自分が大声を上げて目を覚ましたのが分かった。ハアハアとつく息は荒く、額からは冷たい汗がだらだら流れている。そして、両目からは頬まで涙が伝っていて、亨はちくしょうと口の中で呟いた。
 ――最低な夢だった。しかも、それは夢ではなく、確かに現実にあったことだということがさらに亨を死にたいような気分にさせた。

 王という男は、抱かれる度に、お前は人間じゃない、ただの玩具なんだと貶められているような、そんな最悪な気持ちになる男だった。抱かれたときは、気付けばすでに世が明けているというのがほとんどで、その翌日は日常の動作すら簡単にはできないほど体じゅうが軋むように痛んだのを覚えている。そして、言われた台詞の一つ一つを思い出しては、惨めになりそうな気持ちをギリギリのところで堪える、その繰り返しだった。
 その日の前日も、王に抱かれて、体もそして脳みそも最悪の状態で、亨はフラフラと近くのコンビニに向かっていたところだった。冷蔵庫には水すらなくて、声をあげすぎたせいでガラガラになった喉をどうにかしようと水を買いに出かけたのだ。そして帰りがてら水を飲んだものの、一歩歩いただけで頭がクラクラしてどうしようもなくなって、亨はマンションへ帰る道の途中にあった人家の塀にずるずるともたれたのだ。
 もう、このまま野垂れ死んでもいいかもしれない、そう思いながら意識を閉ざそうとしたその時、亨の頭上で「うわっ」と男の声がした。

「…き、君?大丈夫?」

 それから聞こえてきた、気の弱そうな男の声に亨はなんとか目だけを上に上げる。すると、その声の調子に負けないほど、気弱そうな面をした男が上から亨を見下ろしていた。

「ね、もしかして、具合悪い?」

 見りゃ分かるだろ。
 そう心の中で呟きながら、亨はすうっと意識を闇に落とす。そして体が地面に倒れこみそうになったその直前、誰かに体を抱きとめられたことだけは分かった。多分この男がそうしてくれたんだろうと思いながら、亨は今度こそ完全に意識を閉ざした。

 




「…広一…っっ」

 耐え切れず、小さく彼の名前を叫ぶ。
 あれから素性のしれない亨を家で付きっ切りで看病してくれた、どこまでもお人よしな男と恋人になるまで1年もかかった。男を抱くことも、そしてもちろん抱かれることも知らなかった広一の家に毎日のように押しかけては、亨は何度も何度も好きだと繰り返した。
 この、もうすぐ70になるぶよぶよに太った醜女を抱き、そして、国の中枢を動かしているような男の性器を後ろに銜え込んでははしたないよがり声をあげていた自分を、彼が通う小学校の児童と同じようにとことん甘えさせてくれた男が、どうしても、欲しくて。

『君は、真っ白だよ』

『…何言ってんの』

『君自身がそう思っていなくてもね、君は真っ白なんだよ。だって、子供たちは、君の事大好きだもの』

 本当は、自分が白いはずがないことは十分分かっている。
 だがそれでも、広一がそう言ってくれるのなら、彼の前でだけなら己はどこまでも白くなれる。本気でそう思わせてくれた誰より愛しい男に、今、どうしようもなく会いたかった。


「大丈夫ですか?」


「ぅ、わっ」

 突然掛けられた声と、突然点けられた電気に亨は情けない声をあげた。声がした方を向けば、年の割りには大人びた顔をした少年が一人。その、静謐という表現が似合いそうな直知の顔に、亨は思わずふうと息をついた。

「悪い、起こしたんだな」

 そう言って笑みを浮かべると、直知は表情を変えずにつかつかと亨の方に歩み寄ってきた。何だ?と亨が怪訝そうな顔でその様子を見ていると、亨のベッドサイドまで近付いた直知はやおらにその手を亨の額に当てた。

「わっ」

「…熱は、ないみたいですね。でもすごい汗かいてるし、今着替え持ってきます」

「え?あ、いや、いいよ」

「良くない。風邪ひいたらどうするんです」

 そう言って、直知は徐に自分が来ていたパジャマの袖で亨の額の汗を拭う。その仕草がどうしようもなく広一を思い出させて、亨はぶわっと涙が出た。

「わ、悪い…っっ・・・」

 ――会いたかった。
 自分より5つは下だろう少年の前で世も末もなく泣き叫びたくなってしまうほど、あの、優しい笑顔を己に向けてくれた男に、どうしようもなく、会いたかった。

「……誘拐、されたんでしょう、貴方も」

 だが、そこに聞こえてきた直知の声に、亨は息を呑んで直知の顔を見上げた。

「なん、で」

「想像がつきますから。――で?どうして俺と貴方を2日も一つの部屋で暮らさせてるんです、あの男は?」

「それは…」

 言えない。それを言えば、自分の願いは叶わない。そう心の中で呟いて、亨は直知から目を逸らそうとした。だが。

「…暮らせば、逃がしてやるとでも言われましたか」

 核心をついた直知の答えに、亨は大きく目を見開く。その事実が、直知の言葉が間違っていないと証明しているようなものだった。

「…っっ、言わないでくれ!俺がお前に喋ったって思われたら、俺はもう、あいつに会えなくなる…っ」

「……あいつ?」

「俺は、男娼だ。俺が誘拐されたのは、俺を気に入ってた客があの男にそう依頼したからだ。でも、俺は愛してる奴がいるんだ。だから、王のところになんか行きたくない…あんな生活、もう絶対にしたくないんだよ!」

 あんな、人として生きているというごくごく当たり前のことを忘れそうになる、この世の地獄のような生活は、もう、絶対に。

「ただ…広一と、普通に、一緒に暮らしたいだけなのに。な、んで?なんで、俺は、こうなっちまうんだよ…!」

「……苅田さん」

「頼む。俺が誘拐されたことをお前に言わなきゃ、あいつは俺を逃がしてやるって。だ、だから」



 

「だから、言わないでくれと?」



 

 ドアの方から聞こえてきた声に、亨は思わずその声の持ち主の方を振り向いた。
 そこには、造作の整った男娼を見慣れている亨から見てもどこか異常なくらい美しい男が、くつくつと笑いながら立っていた。

「…蜂谷」

「ああ、明日からやっと貴方と一緒に眠れますねえ」

 きつく蜂谷を睨みつけながら低い声でその名を呼んだ直知に、蜂谷はやはり笑いながらそう答える。そのことに直知が纏う空気はさらに尖ったものになって、亨は二人の間を漂う空気に少なからず怯えた。
 ともに2日という期間を暮らしてみて、隣にいる少年は、亨が見た限りどうして蜂谷のような男とともにいるのか信じられないほど、穏やかで誠実な人間に見えた。だが、世の中の汚い部分を嫌と言うほど目の当たりにしてきた亨にだから分かるのかもしれないが、それだけでは言い表せない底知れない深さが直知にはあって。
 それはやはり、どこか今ドアに寄りかかっている男と酷く似ていた。

「では、苅田さん。お約束どおり、貴方は明日王氏のもとに行っていただきます」

「…っ!?」

 しかし、そこに聞こえてきた蜂谷の台詞に、亨はそれまで考えていたことを全て忘れる。
 けれど、嫌だと叫ぶことも、そして、頼むと懇願することも目の前の男にするのは許されないことは何故か分かっていて、亨は、声もなく一筋涙を零した。

『気をつけて行っておいで』

 そして、フッと、一番最後に聞いた広一の声を思い出す。
 ああ、もうあの声の元には戻れないのかと、亨はもう一筋、涙を零した。

 ――だが。

「…蜂谷、ちょっと来い」

「……いいですよ」

 そんな会話とともに、隣にいた直知がドアの方へと歩いていく。そしてドアを抜ける寸前、ふっと亨の方を振り向いて小さく笑みを浮かべた。
 その笑みに、亨は思わず息を呑む。
 普段表情をあまり変えない少年だっただけに、それはひどく奇麗で美しい表情だった。だが、それ以上に。

『大丈夫』

 そう、口の形が動いたような気がして、亨は閉じられたドアをしばらくじっと見つめていた。

 

 

 




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