「多分…最初で最後の懺悔だ」

 そう言って、人を食うような笑みを浮かべた男は、確実な死を約束された人間だった。
 死刑囚に与えられる、執行前の1時間だけの自由。
 それを神父への懺悔に使うという男に、とんだ物好きな囚人もいたものだと思った。
 ――だが。

「俺は昔から、神父にだけは嘘つけねえんだ」

 そう言って、罪人には似つかわしくない笑みを浮かべた男に、小さく息を呑んだ。
 だから、決めた。
 男を――この死刑囚を、見極めてやろうと。

 

 

Kiss will kill me.

 

 

前編


 

 2年前の12月24日、名の知れた避暑地の一軒の別荘で、殺人事件が起きた。
 殺されたのは、父と娘。父親には十数か所に及ぶ刺し傷があり、娘の方は心臓を一突きされていた。
 殺したのは、一人の若い男。
 匿名の通報で警察が駆けつけた時、男は血濡れのナイフを握ったまま、静かにベッドに腰掛けていたらしかった。
 そして、その男の刑が確定したのが1ヶ月前。
 第一級殺人の代償として男に下されたのは、死刑判決だった。

 

「…あいつは――千春は、小学校んときからのダチだった。家が近くて、よく一緒に遊んだ。すげえ男勝りで、泥まみれになるの気にもしねえで、男どもに混じってサッカーしてた」

 千春。
 突然話し始めた男の口から突然出てきた女の名前を、神父はどこかで見聞きしていた。一体どこだったかと記憶を辿ると、それは案外すぐに思い出せた。
 この男の事件記録の中の被害者欄に、その名前があったはずだ。

「…終業式が終わったとき。式が終わって、これからクラスの奴らと遊びに行くってときに、あいつは、『ばいばい』って言って、いなくなった。…なんとなく最近様子が変だとは思ってた。だから次の日あいつの家に行った。そしたら、千春が父親と一緒に伊豆に行ったって母親に言われた。」

 それは、初めて聞く事実だった。事件記録にも判決文にも、そして当時の新聞の報道にも、この男が伊豆に行ったのは、男が女をストーカーしていて、女の後をつけたからだと書いてあったはずだ。
 だが、その事実に疑問を覚える声があったことも確かだ。この男が彼女をストーカーするはずはない、男と女は昔から仲が良かったのだと何人かの友人が証言していた。しかしそれは彼の善性格をほのめかすものでしかなく。結局、あまりに多すぎる証拠の前に彼らの証言は踏み潰されてしまった。

「別荘に着いたときには、もう日が暮れてた。…今でも覚えてる。別荘の周りには誰もいなくて、葉の一枚もない木立だけが広がってた。…なんとなく妙な予感がしたんだ。だから、急いで別荘のドア叩いた。でも、何回叩いても返事がねえ。それでおそるおそるドアノブ回してみたら、呆気なく開いた。中に入ると、部屋ん中だって信じられねえぐらい、寒かった」

 それも、報道されていた事実とは違った。
 新聞には、男はたまたま開いていた裏口のドアから入ったようだと書かれていた。

「声をかけても、やっぱり誰からの返事もなかった。最初は、出かけたのかと思ったんだ。それで人んちで勝手に待ってるわけにもいかねえし、外出ようと思った。…そん時だ。千春が、小さく俺を呼ぶ声がしたのは」

 そう言うと、男は下げていた視線を初めて神父に合わせた。
 ――視線を合わせた男がその時見たものは、一体何だったのか。人の記憶を覗きみることはできないが、男が見たものは男を絶望させたのだろうと、その目を見た神父は思った。

「…声のした方振り向くと、奥のドアが少し開いてた。多分その中に千春はいるんだろうと思って、急いでドアに向かった。…ドアを開けると、ギイって鈍い音がしたよ。それから、千春って、名前を呼ぼうとして」

「………呼ぼうとして?」

 

 

『来たんだね、チハル』

『………な、んだよ、これ…』

『…ねえ、チハル。私ね、中学のときから、父さんに、性的虐待ってやつされてた。中に入れられること以外のいやらしいこと、全部。…もうね、嫌になっちゃったんだ』

『…ち、は…』

『呆気ないもんだったよ。覆いかぶさってきたところを、隠してたナイフで刺したら、たまたま心臓だったみたいで、すぐに死んじゃった。でも、私はもう汚れまくってるのに、父さんだけは無傷だなんて許せないじゃない?だから、いっぱいいっぱい刺してやった』

『…もういい…もういいから…』

『でもね…――許せないのは、それでも、この人を好きだった、自分なの』

『千…春』

『……お願い、チハル』




『私を、この人がいるとこに、逝かせて』

 

 

 

「…そんなことできるかって思った。……でも、それと同じぐらい、そうしてやりたいって思ったんだよ」

「………」

「綺麗だったよ。すげえ、綺麗な死に顔だった。あいつが…あんなに綺麗な奴が、人殺したって責められるなんて、おかしすぎる。そう、思った」

 男の事件記録を見て、不思議に思ったことがある。
 匿名の通報があったと駆けつけた警察官は供述しているが、その、匿名でかけてきた人間は、いつ、どこで、どうやって別荘の中で行われた殺人を見ることができたのだろうと。
 司法解剖の結果、父親と娘の死亡推定時刻は、午後5時前後。通報があったのが、午後5時35分。冬の山間の別荘地で、街灯という街灯もないあの別荘の外から、どうやって中の惨劇を覗いたのだろうと。
 覗けるはずが、ないと。

 

「…ああ、時間だ」

 男の声――チハルの声に、神父は我に返る。時計を見ると、チハルに与えられた時間は、確かにあと10分もなかった。

「そうだ、アンタの名前、何て言うんだ?…って、教えられねえか」

 まるで、さっきまでの悲愴な表情が嘘のような顔をして、チハルは朗らかに尋ねた。

「…ウッドロウ・バトラー」

「ウッドロウさんか。外人さんなのに、日本語上手いなあ」

「どーも。…ああ、曽祖父の母親が日本人らしいから、少し日本人の血も入ってみたいだけど」

 そう言って神父――ウッドロウが微笑むと、チハルは少し押し黙り、それから内緒話でもするかのように小さな声で口を開いた。

「……最後だから言うけどさ、アンタが入ってきたとき、マジで天使かと思ったんだ。俺が孤児院で見た、子供向けの聖書に載ってた…ああ、ミカエルとかいう天使にそっくりだったから」

「…光栄だね」

「いや、こっちこそ有難かったよ。俺ぁ死んだら天国に行けるような人間じゃねえし、あの本の天使には会えるはずねえからさ」

 ま、顔の割に口悪ィみたいだけど。
 そう言って笑った男は、やはり罪人には似つかわしくない柔らかな貌をしていた。

 

「時間です」

 ガチャリとドアが開けられ、刑務官だろう男がそう告げる。それに「はい」と言ってチハルは立ち上がり、神父の横をゆっくりと通り過ぎた。そのとき、獄舎ではもちろん存在しなかった花のような香りがして、いい匂いだと思ったのを覚えている。

 そして、それを最後にチハルの意識は途絶えた。

 

 


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