Only two things are infinite,
 the universe and human stupidity, and I'm not sure about the former.    
                                          -Albert Einstein

 


3−カンザキ



 僕が彼に初めて会ったのは、今から4年前だった。
 彼は、僕が担当していた老人の見舞いに来ていた。たまたま回診にまわっていた僕がその老人の病室に入ると、どう考えても女の子にしか見えない子が学ランを来て椅子に座っていた。部屋に入ってきた俺の方を振り向いた彼の顔があまりにも綺麗で、しばし見入ってしまったのを覚えている。
 その老人の回診に行く時間が、ちょうど彼の下校時間と一緒だったんだろう。ほとんど毎日顔を合わせることになって、少しずつ話もするようになった。
 その老人の病室には、彼一人で来ることもあれば、老人の妻であろう老女が一緒のこともあったが、彼はその年の男子生徒には珍しく、毎日祖父の見舞いにきているようで、それがひどく好ましく思えた。
 しかし、老人は入院してから半年で息をひきとった。
 進行しすぎていた病状と老人自身の老衰があいまって、僕が思っていたより早く彼は死んでしまった。
 老人は死ぬ前日には既に意識がなく、いつものことながらやりきれない気持ちで、老人の妻に彼の死期が近いことを告げていたから、彼は息をひきとったのは真夜中ではあったが、妻と孫のふたりに看取られて安らかに逝った。
 ピーーという心音が停止した音が響いたときの、二人の、とりわけ小さな彼の表情を僕はいまだに忘れることはできない。
 隣で泣き崩れる老女の背をさすりながら、目をつぶって何かに耐えている彼の姿は、痛ましくて仕方がなかった。

 それから、彼に会うことはもうないだろうと思っていた。

 なのに。
 彼の祖父が亡くなって半年後、今度は彼の祖母が入院してきた。
 何の因果か彼女の担当となった僕は、またそれから彼女が亡くなるまでの約半年間、顔見知りということもあり、彼と毎日たわいない会話をするようになった。
 彼は、祖父が死んでから祖母と2人暮らしをしているそうだった。
 母親は彼が小さい頃に亡くなっており、父親は、仕事でほとんど家にいないらしい。
 毎日、学校が終わってからすぐ来ているのだろう。制服姿の彼を見るたびに、どこかやりきれないような気持ちになった。
 会話をしていくうちに、彼は学校生活があまり楽しくないとも言っていた。それがどうやら彼の容姿のせいらしいことも。
 そんな、たわいもない話を、僕はいくらでも聞こうと思った。
 祖母とふたりで暮らしていた、今は彼しかいない家に帰っていく彼を見送るたびに、どうか、どうかこの老女が逝くのができるだけ先ならいいと、祈るように願った。

 ――そんな、彼から話を聞くのをどこか楽しみに思うようになった矢先のことだった。
 奇しくも、彼の入学式の夜、老女の容態が夕方に急変して、そして呆気なく彼女は逝ってしまった。
 看護婦が急いで彼に連絡をしたが、彼が病室に駆け込んできたときには、老女はすでに息をひきとった後だった。

 病室の入り口で、彼は呆然とした表情で俺や看護婦を見ていた。

 そして静かにベッドに近づき、老女の顔を見た。
 ――それから、どのくらい経った後だっただろうか。数秒だったのか、それとも数分だったのか。
 小さく、ごめん、という声が聞こえた。
 それは、聞いている方が泣きたくなるような声で。
 彼は、何度も何度も、ごめんと繰り返した。
 それが、あまりにも痛々しくて、可哀想で。
 僕が、うしろから彼を抱きとめるまで、抱きとめても、彼は謝ることをやめなかった。
 なのに、一粒も涙を流していない彼が、不憫でしょうがなかった。

 

 彼がその父親という人間とともに僕のところに挨拶に来たのはその1週間後だった。
 僕は、彼の父親に会うことがあれば、絶対に言おうと思っていたことがあった。だから、お父さんと話をさせてほしいと言って、彼に僕と父親の2人にさせてもらった。
 そして、僕は堰を切ったように父親に向かって口を開いた。

 きっと、医者としてあんなことを言うべきではなかっただろう。
 けれど、僕はひととして、言わなくては気が済まなかった。

 



 ――あなたが、何の仕事をしていようが、どんな事情で家にほとんど帰ってこなかろうが、どうでもいい。
 たった15の子供に、独りでおばあさんの死を看取らせて。
 あんな、血を吐くような台詞を言わせることを正当化する理由なんて、何もない。
 彼は、言ったんです。
 目の前で既に息を引き取ったおばあさんにしがみつきながら、
『おれしかいなかったのに、そばにいてあげられなくてごめん』って。
 なんども、なんどもごめんと繰り返していました。
 僕がうしろから抱きとめなければ、きっと一晩中言っていた。
 僕は、その場で涙が出そうだった。彼は、あんなに血を吐くような台詞を言いながら、一滴も涙をこぼさなかったっていうのに。
 ねえ、あなたが、あんなことを言うような彼を、たったひとりで放っておいた理由は一体なんなんですか?
 あなた、彼の父親じゃないんですか。
 ――なんで、15の子供に、あんな台詞、言わせるんだよ。

 



 最後はもう、哀願に近かった。
 お願いだから、彼にもうあんな顔をさせないでくれと。
 ただただそれだけを繰り返した。

 

 どこまでも沸きあがる感情をどうにか鎮めて父親に顔を向けると、彼の父親は何かに耐えるように目を強く瞑っていた。
 父親にも、父親なりの事情があるんだろう。
 そんなことは、社会人になった僕にも容易に想像がついた。
 けれど、どんな事情でも、あれは、言わせてはならないことばだと、人間としての自分も、そして医者としての自分も思っていた。


「・・これまで、ありがとうございました」

 

 それが、それだけが父親が僕に発したことばの全てだった。

 

  


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