You can never lose what you never had.   - Dican

 

 

1−タカラ


 

 母親が死んだのは俺が5つのときだった。
 あまりに昔のことなのに、その日の記憶だけはひどく鮮明に残っている。
 棺の中の母親は眠っているようにしか見えなくて、その顔はまるで生きているかのように綺麗だった。だが、母親が眠っているわけではないことも、だからもう目を覚ますことはないことも俺は分かっていた。確かにそのときの俺は幼くて、何も分からなくてもいい年のはずではあったけれど、黒しか見えない通夜の場で俺は確かに分かっていたのだ。

 
あのときの俺には理解することのできない言葉とともに、痛ましいものでも見るような目で俺を見る弔問客の人達と、そして。
 涙を流して俺を抱きしめる親父が、俺に母親が眠っているのだとは思わせてくれなかった。


 祖父が死んだのは中学のときだ。
 その半年前に家で倒れて、そのまま祖父は入院生活に入った。だからなのか、祖父とした会話を思い出そうとすると、記憶と一緒にツンとした消毒薬のにおいがする気がした。
 祖父の病気は入院した時点でもう手遅れに近い状態だったらしかった。そのことを知ったのは祖父が死んでかなり経った後だったけれど、病院のベッドの上の祖父はそれを億尾にも出すことはなく、いつも穏やかに俺の話を聴いてくれた。
 そんな祖父が息をひきとったのは真夜中で、祖父の心音が途絶えた機械音を祖母とふたりで聞いた。
 医者が機械を止めるまで続いたあの高音は、今でも俺の頭からは消えてくれない。
 音楽の時間にその音が聞こえるたびに、祖父の死に顔が脳裏に浮かんでは、消えた。 


 祖母が死んだのは高校の入学式の日だった。
 電車の中で鳴った携帯電話の着信音。虫の知らせというんだろうか。その電話を取りたくないと切実に思ったのを憶えている。普段の2倍のコール音を聞いてなんとか通話ボタンを押すと、向こうから焦ったような女の人の声が聞こえた。
 何も考えられなくなって、ただひたすら病院を目指して走った。ドアを壊すぐらいの勢いで祖母の病室のドアを開けると、俺の方を見てうなだれる医者と看護婦たちの姿があった。
 ゆっくりと祖母が横たわっているベッドに近づくと、祖母は、もう息をしていなかった。
 俺は、あの命が終わる音を聞くことはできなかった。
 ――ごめん、と繰り返した。
 俺しかいなかったのに、そばにいてあげられなくてごめん、と。
 医者に後ろから抱きとめられるまで、おれはただひたすらそう繰り返した。
 なのになぜか、涙は一滴も出はしなかった。

 

 

 その後のことはあまりよく憶えていない。
 睦美や七瀬のおじさんたちに助けられて、よくわからないうちに祖母の通夜を終え、その翌日には火葬場で祖母の体を焼いた。祖母の体を焼くために俺は棺の蓋を閉め、その体が骨と灰になって外に出されるまでかまどの前から離れなかった。
 上を向くと、長い、長い煙突から吐き出される祖母の体を焼いた煙が、まるで消えるように空に吸い込まれていった。


 ほとんど何も考えずに、祖母の骨を骨壷に移していった。その作業はひどく早く済んで、こんな小さな壷に入ってしまった祖母を思うと涙が出てきてもいいはずなのにやはり俺の目からは何も流れてはこなかった。

 全てが終わってから、睦美やおじさんたちは何度も家に来るようにと言ったけれど俺はそれに頷くことはしなかった。最後まで睦美は泣きそうな顔で俺の顔を見ていたけれど、俺は睦美の顔を見返すこともしなかったし、睦美の言うとおりおじさんの家に行くこともしなかった。

 

 

 

 静かな夜だった。
 久しぶりに自分の部屋のベッドの上に仰向けて寝転がって目を閉じると、何も見えないはずの俺の目に見えたのは、祖母だった。
 ああ、これはまだ祖母が家にいた頃の風景だと思いながら、空想の中の祖母に俺は笑いかける。すると、空想のはずの祖母は――俺の望み通りの姿を見せてくれるはずの祖母は――、スウッと消えていってしまった。

 途端襲ってきた暗闇に堪らず目を開ける。するとそこには母親が生きていた時からずっと変わらない天井があって、なのにこの家にはもう俺しかいないんだと思った。

 『おかえり』

 そう言って、学校から帰ってきた俺に静かな笑みを向けてくれた祖母はもういない。
 あの笑みを見ることも、あの声を聞くことももう決して叶わない。
 この家には、俺一人しかいない。

 そんな当たり前のことを、おぼろげにもはっきりとわかってしまった夜だった。
 シンと静まり返る家で、俺はほとんど眠ることもできなかった。

 

 時折家の前を通る車の排気音を何度聞いたか数えられなくなったあたりで、ようやく眠気が襲ってきた。眠れるかもしれないと思ってふと窓に顔を向けると、もう日の光が差し込んできていた。チュンチュンとすずめの鳴き声もして、ああ、学校に行かないとな、と重い体を起こした。
 ドアを開けて一歩廊下に踏み出すと、ギシリと足音が響いた。

 

「ばーちゃ…」

 

 ばーちゃん、そう言おうとして、結局言えなかった。

 

「…バッカだなあ」

 何を言っているんだと笑いがこみ上げてくる。
 呼んでも、祖母はもうどこにもいないのに。それに、たとえまだ生きていたとしても、祖母はもうずっと病院のベッドの上で、どっちにしろ返事をしてくれることはなかったのだ。 

 そういえば、祖母に「おはよう」と言われなくなって、一体どれほど経つんだろうか。

 

『おはよう』

 

 あのやさしい声は、もう二度と聞けないのだ。

 

 

 

 体中の力が抜けて、俺はその場にズルズルと座り込んだ。
 そうだ、忌引きで学校には1週間の休みを申請してあった。
 今日も、明日も、あさっても、まだ学校には行かなくていい。
 この、誰もいない家でひとりうずくまっていてもいい。
 ――そう、思った。

 

  

 親父が帰ったのは、祖母の葬式が終わってから5日後だった。
 祖母が死んだその日に親父の仕事場に電話をいれてはみたが、当然カメラ片手に世界中を駆けまわっている親父にすぐに連絡がつくはずもなかった。結局、キムさんが言うには親父が祖母が死んだのを知ったのは祖母が死んで3日経った後らしかった。
 家の前で車が止まる音がして、多分すごい勢いで帰ってきたんだろう親父はそれこそ壊れるんじゃないかと思うくらいの音をたてて玄関の戸を開けたようだった。
 その音は確かに俺がいる場所からは遠くて、どこか自分じゃない誰かが聞いているような音だったけれど、そのとき、何故か俺のまわりからは日常の色んなものが消えていた。それは温度だったり匂いだったり、もしくは音だったりした。

 祖母が暮らしていた畳の部屋でひとり横になって、祖母の気配を感じようとしていたせいもあったんだろう。親父が色々なところのドアや襖を開けて俺を探している声や音が、かすかには聞こえていた。生前の、とは言っても入院する前の祖母だから相当前ではあるんだろうけれど、それでも何とはなしに祖母の見ていた風景を見てみたくなって、畳にからだを横たえてみていた。どうせ学校も休みだし、することも大してないのだからと。

 胸に抱えていた骨壷はやはり焼いた後と変わらずいっそ泣きたいほどに軽くて、なのにどうして一滴も涙が出ないんだろうとずっと考えていた。そして心の中で「何でかな」とずっと祖母に話しかけていると、目の前の風景を一緒に見ているような気分になれた。


 気付くと、誰かに体を抱きしめられていた。その腕の力の強さに、ああ、祖母じゃないんだと分かってしまって、でも、たとえ嘘でも幻でもいいから、何でもいいから、祖母に抱きしめてもらいたかった。しわくちゃの顔で俺の名前を呼んで、そしてふわりと笑いながら俺の頭を撫でる祖母に、幽霊でもなんでもいいから会いたかった。

「宝」

 低い、男のものの声に、何かが終わる音が聞こえる。
 ずっと俺のそばにいてくれた祖母はもういない。
 時には母親の、そして時には父親の代わりになってくれた、厳しく心優しい祖母は、もうこの家にもこの世のどこにもいない。

 今俺を抱きしめる親父だけが俺に残されたたった一人の家族なんだと分かって、俺にはまだ親父がいる、一人じゃないんだと思うと同時に、俺は確かに何かに絶望していた。

 

 

 

 3人の位牌を持って寮に入ったのはその10日後だった。
 同室が清嶺だったことは、もうそばに誰もいなくなった俺への、神様のちょっとしたやさしさだったのかもしれない。
 清嶺は俺より体も中身も大人びていて全く同い年には見えないような男だったけれど、その実電気をつけ、音楽を聴いたままでなければ寝ることもできない男だった。何もかもに恵まれているような体のどこに、そんな暗闇を抱えているんだろうと思った。

 付き合いを深めていけば、清嶺のすべてはたった一人のお姉さんであることを知り、そのお姉さん以外はどうだっていいことを知った。

 過去の、信じられない境遇を知った。

 ――虐待、というものがどれだけひどいものかなど、されたことのない俺には分からない。
 殴られ、蹴られ、煙草の火を押し付けられる毎日が続いた5歳の清嶺の6ヶ月が、一体どれほど清嶺にとって地獄だったのか。痛みは人間にとっていちばん分かりやすい感覚だというのに。
 痛みなんて、体が大きくなってから、日々を生きるために知ればいいもので、
 5歳なんて年で、知らなくたって全然いいものなのに。
 知っちゃ、いけないものなのに。

 だから、そのことを聞いたとき、別に清嶺が気の毒だとか可哀想だとか思ったわけじゃなかった。
 涙を流してしまった俺に、柾也さんがどこか嘲るような笑みを向けたけれど、そんなことを思って涙を流したわけじゃなかった。
 ただ、痛かっただけだった。
 5歳の清嶺を思うと、痛くて痛くて仕方がなかっただけだった。

 俺は、愛されていた子供だった。
 親父も、母親も、祖父も祖母も、この上なく俺を愛してくれた。
 だから、母親が死んでから17になる今日まで、俺が知ったのは「喪失」だけだ。
 ずっと、そばにいてほしいと願ったひとは、決してそばにはいてくれなかった。

 清嶺は、5つのときまで喪失していたこどもだった。
 俺は、5つのときから喪失していたこどもだった。
 いったい、どちらか哀れなんだろうか。

 あいつにも、俺にも、同じような空虚と絶望がある。
 その穴の埋め方も絶望からの這い上がり方も、俺も清嶺も知らない。
 でも、たとえ一生そこから這い上がれなくても、清嶺には亜矢子さんがいる。

 清嶺にとっての亜矢子さんは、俺がほしくてほしくて仕方のなかった、ただひとつのものの象徴だった。


 ずっとそばにいてくれる誰か。

 

 おれは、ずっとそばにいてほしかった。

 

 そばにいてほしかった。

 それだけでよかった。

 

 



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