−7−

 

「………………………」

「おい、なんか言えって」

「………何を」

「何でも。ああ、たとえば花嫁に逃げられた間抜けな男のことで…」

 清嶺が全部言い切る前に、宝の渾身の裏拳が清嶺の鳩尾に入った。

 今、清嶺と宝は新郎控え室にいる。が、そこには新郎であるはずの奥野も、その親友(という触れ込み)の柏木もいない。宝と清嶺の二人が何をやっているかと言えば柏木に命じられて祝儀の番犬をしているのであって、そして、奥野と柏木の二人が現在何をしているのかと言えば、

「つーかあの野郎確実に計画犯だろうが…今だって本当に女探してんのかあ?」

 逃げた花嫁を追っている、ことになってはいる。式場に車で来ていた柏木が、奥野と花嫁の両親の前で自ら手助けの名乗りをあげたわけだが、宝は、もしかしたら…とありえない推測が脳みそに浮かんでいた。だが、まあ推測に過ぎないしと気を取り直そうと思った途端、隣の男がまるで宝の頭の中をそのまま読んだかのように口を開いた。

「絶対玲一もグルだろうな」

「やっぱりそーなの!?」

 ぶん、と物凄い勢いで宝は清嶺の方に顔を向ける。

「へえ、お前にしちゃ冴えてんなあ」

「だ、だって柏木先輩も奥野先輩も全然焦ったような顔してなかったし」

「まーな。…つーかここで待ってんのも面倒だし、とりあえず祝儀だけ預かってホテル帰るぞ」

「え、でもいいのかな」

「別にいいんじゃねえの?どうせあいつらがガックリした表情作って戻ってくんのは夜だろうし」

 清嶺がそう言うなら…と、宝は祝儀を一つにまとめ、式場を後にした。

 

 が、ホテルの部屋のドアを開けて見えた光景に、宝はその場で卒倒しそうになった。

 

「久しぶりだな藤縞」

「遅かったじゃん、お前ら」

 

 まったく花嫁に逃げられた花婿とは思えないような穏やかな笑みを浮かべる奥野と、その花嫁を追うのを手伝うと言っていたはずの柏木が、二人揃って普段着でルームサービスの食事を取っていた。宝と清嶺の部屋で、堂々と。

「ど、ど、どーゆーこ…っ」

「まーまー藤縞。話すと長くなるからとりあえずお前も何か食えば?披露宴で食べるからってあんま昼飯食ってなかっただろ?」

「…おい、ここに来てんの他の奴らにバレてねえだろうな。片棒担いだなんて思われんのは真っ平ゴメンだ」

「大丈夫だ。柏木の方でうまくやってくれたらしいからな」

「ならいい。―――で、コトの真相は?結婚する気のなかった善也が上司に勧められる縁談を断り切れずに見合いしたら、女の方に上手い具合に好きな男がいて、女の家族はその男と女との付き合いを認めなかったから、これ幸いと善也が女を言いくるめて結婚式で「卒業」させることにして、その片棒を玲一が嬉々として担いだ、ってこと以外に何かあんのか」

 まるで、それまでの経緯を見てきたかのように淀みなく喋る清嶺を宝がぽかんと見上げていると、柏木がパンパンと拍手をし始めた。

「パーフェクトだ、清嶺。わが従弟ながら本当に頭がキレるな」

「…お前らの性格、さっきまでの態度、今の状況。この3つがありゃあ誰でも想像つくだろうが」

 まったく想像できなかった俺は何なんだ、とは宝の心の中での呟きである。すると、奥野はどこかすまなそうな表情を宝に向け、口を開いた。

「悪いな、藤縞。あと3時間だけ匿ってくれ」

「い、いいけど。…じゃあ、女の人はもうどっかに逃げたの?」

「そ。今日の朝一番の便で愛する恋人と逃避行済み」

「…ったく、函館くんだりまで来てお前らの茶番に付き合わされるとはな…」

「え、いーじゃん。どうせ中標津行くんだろ、お前ら」

「……おい、玲一。お前は帰れよ」

「ヤダね。折角北の大地に来たんだから満喫しないと」

 そう言ってニッコリ笑うその姿は、高校時代に宝を始めほとんどの寮生が恐れ慄いたそれで、その笑みに宝は二日後の中標津に柏木がいる様子が容易に想像できた。そして柏木に振り回されている自分と清嶺の姿も。

 


 結局、柏木と奥野はそれからきっかり3時間後に部屋を出て行った。その10分前に二人はおもむろに着替え始め、出来上がったのは髪を軽く乱れさせたタキシード姿の花婿と、意気消沈してスーツのネクタイを緩めているその友人。あまりの見事な変貌振りに、宝は一瞬本気で奥野が花嫁に逃げられた新郎に見えてしまったぐらいだった。

「…あいつら、役者にでもなった方がいいんじゃねえか」

 ハァと呆れたように煙草をふかす清嶺に、今回ばかりは宝も反論しかねる。むしろ、諸手をあげて賛成したいぐらいだ。そのせいか、宝にしては珍しく気弱な台詞が出た。

「……黙って行く、ってのはダメかな」

「そうしたいのは山々だけどな、そう大きな街じゃねえだろう。それにお前、馬鹿正直に玲一にあの葉書見せただろ。あいつのことだ、地番まで覚えたに決まってる」

 そういえば、と宝は思い出す。柏木にその葉書を見せろと言われ、何のためらいもなく柏木に手渡した時、清嶺は明らかに「バカ」とでも言うような表情を宝に向けていた。

「だ、だって、まさか着いてくるつもりだとは思わなかったし」

「あいつに常識が通用するワケねえだろ。あいつの基準はおもしろいかおもしろくないかだけって言ってもおかしくねえからな。それに行動が伴うからタチ悪ぃ」

「……うぅ」

「まあ、今あーだこーだ言っても仕方ねぇだろ。さっさとメシ食ってヤるぞ」

「ハ?何を?」

「セックス」

「……………」

 ここで「バカか!?」と怒鳴るのは物凄く容易い。
 容易いが、宝も清嶺との付き合いはもうかれこれ10年になり、清嶺が宝の内心を読み取ることに恐ろしく長けたのと同時に、宝も清嶺の扱い方にそれなりに慣れてきた。

 この10年で学んだのは、清嶺は言ったことは絶対に、何が何でもやるということだ。

 以前、まだ宝が堂島について回っていた頃だ。その時は中東にいたのだが、急遽南アに取材に行くことになり、帰国が遅れそうだと清嶺に電話したのだ。

『…どれくらいそっちにいる』

「んー、多分2週間前後。そんなに長引かないって堂島さん言ってたし」

『南アのどこ』

「ターバンってとこ。でっかい港があるらしいよ」

『ホテルの名前は?』

「へ?携帯通じるけど?」

『名前は?』

「わ、わかったからそんな怖い声出すなって…えっと…あ、ビーチホテルだって。今回は普通のホテルだから心配しなくてもヘーキだけど?」

『3日後に行く』

「ハ!?」

 そこで、電話は切れた。
 それから宝は何度も清嶺に電話をかけたが、一向に出る様子もない。ま、まさか本気じゃないよなと思いながら翌日中東を発ち、南アに着いたのが夜。そして休む暇もないままその取材に行き、ホテルに戻ってきたのは翌夕方の4時を回ったところだったのだが…。

「よお」

 ロビーのソファにでんと座っていたのは、紛れもなく清嶺だった。

 しかも何故か堂島に既に話はついていて、一緒にホテルに戻ってきた堂島から「宝ちゃんは明日から3日間お休みだから。最近不眠不休で働かせてたのがお上にバレてね、こっぴどく怒られたワケよ。つーことで、じゃあ3日後ね」と肩をぽんと叩かれたのである。

 その時、宝は清嶺に冗談は通じないということも、清嶺の行動力はムラはあるもののずば抜けていることもようやく理解したのである。

 

「オラ、さっさと食え。多分あと2時間もすりゃ玲一が善也連れて戻ってくる」

「……………」

 

 なら、ヤんなきゃいいだろう。

 この台詞を、一体これまで何回心の中で唱えただろうか。

 

 そう思いながら、宝はぼそぼそと目の前の食事に手を付け始めた。

 そんな宝を清嶺がおもしろそうに見ていることも知らず。

 

 

 

 

 

「おーー、見事に何もないな!」

 空港から出た途端、柏木に拉致されるように乗り込んだ車でまず連れてこられた場所は、どうやら中標津では有名な観光地らしかった。そしてそこに隣接されている形でキャンプ場があると聞いてやってきてみれば、何故か広がっているのは原っぱのみ。聞けばスペースを貸し出すだけのキャンプ場で、しかも利用料は無料らしい。なんとも良心的というか大雑把というか…と、宝はこれぞ北海道!というような広い大地を目の前にそんなことを思った。

「…おい、いい加減古我知蒼とやらのとこ行くぞ。玲一に付き合ってたら日が暮れる」

「うるさいよ清嶺。ったく、お前には自然を愛する心ってのはないのか?」

「お前にもねぇだろうが。おいチビ、行くぞ」

「この車は俺のだけど?」

「世の中タクシーってもんはどこにでもあるからな」

「あーあー本っ当に可愛くない。ほら、さっさと乗れよ」

 可愛くてたまるかと清嶺は内心毒づき、宝を押し込むようにして後部座席に乗り込んだ。宝はと言えば、いざ蒼に会いに行くとなると少し緊張してきたらしく、ポケットに入れていた葉書を取り出し、それに視線を移す。そこには、蒼らしい字が書き連ねてあって、あれからもう3年も経ったんだなあ、と最後に見た蒼の顔を思い出した。

 ―――と、そこで宝は気がついた。

「電話してない!」

「あ?どこに」

「蒼くんに!」

「はぁぁ??」

「うーわー、さっすが藤縞。会うの3年ぶりなんだろ?ほとんどドッキリだな」

「ど、ど、どうしよ」

「ここまで来たんだし、こうなったら会いに行くしかないだろ。つーか、3年ぶりの再会ってなんかいいよなあ。しかも相手にとっちゃ青天の霹靂だろー?すっごい楽しみ」

 柏木にとっては楽しみ以外の何でもないだろうが、宝にとっては楽しみ以外でしかない。が、確かにここまで来たら蒼に会いに行くしかないのは事実で、しかも「今から1時間後ぐらいに行きます」と電話するのも憚られた。

「…大丈夫なんじゃねえの。あの文面からすれば」

「そ、うかな」

「着いてみりゃ嫌でも分かんだろ」

 そう言って、宝の頭をぽんと軽く叩く清嶺の手に、宝は緊張していた心がゆっくりと解きほぐれていくのが分かる。こういう時、自分がどれだけこの手に――清嶺に頼り切っているのかを自覚して、宝は堪らない気持ちになることが多かった。

 この手がなくなったら、俺は生きていけるだろうか。

 そんな、考えてもどうしようもないことを、本気で考えてしまったりする。
 でも、そういう時にも清嶺は、宝が考えてしまっていることを敏感に感じ取ってしまう。

「…大丈夫だ」

 

 そう言って、宝の頭を抱え込む清嶺の腕だけに、宝は自分のすべてを預けることができる。

 

 宝はうん、と小さくうなずいて、そのまま目を閉じた。

 すぐにやってきた睡魔に、きっと、しばらくしたらこの温かい腕が目を覚まさせてくれるだろうと思いながら。

 

 

 

 目が覚めて、目に入ってきたのは車の窓から見える青い空だった。

 背中には慣れた体温があって、そのことに宝は酷く安堵する。少し体を起こすと、どうやら車はもう止まっていて、運転席に柏木の姿は見えなかった。

 清嶺に抱え起こされるようにして、車の外へと出る。

 

 見えたのは、見渡す限りの放牧場。圧倒的な緑。

 

「宝さん!!」

 

 その声に振り向くと、向こうには3年前より少し大人びたように見える蒼がいた。その右隣には柏木がいて、そして、左隣には一人の女性が立っていた。

 小さな、赤ん坊を抱いて。

 

 

 そのことに、宝は心の底から笑みが浮かぶ。

 向こうから走ってくる蒼の顔は、絶対に宝が考えていることが間違っていないだろう表情で、その何もかもが宝を堪らなく嬉しくさせた。

 

 

 きっと、蒼と彼女の恋は叶ったのだ。
 見ているだけで、辺りが明るくなるような、そんな空気がそこには確かにある。

 

 

 それは、とてもとても幸せな光景で。


 背中の体温と同じくらい、あたたかくて、きれいな。

 

 

                                              End.

 


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