悪い男
 




 

「やー楽しかったなぁアフリカ!」

 柏木が満面の笑みでそう言うのを奥野は疲れた顔で見遣った。拉致されるように飛行機に乗せられ、ドバイで3億ウン千万も稼いだ柏木に一晩中付き合わされ…思い出す限りでも相当な目にあっていたと思う。

「おい、奥野?なに物思いに耽ってんの?あ、もしかしてお前もドバイでカジノやりたかったのか?」

「……そんなわけないだろう。お前の非常識にもほどがある行動の数々を思い出していたんだ。」

「なんだそれ失礼な。」

 先輩二人にしては珍しくぎゃーぎゃー言い合いが始まりそうな雰囲気である。それを横目で見ながら、宝は隣でほとんど眠りかけている清嶺の頭を軽くはたいた。

「…なにすんだ。」

「真昼間から昼寝ぶっこくな。ただでさえ夏休みだからって昼近くまで寝てんのに。」

 この居眠り魔人め。そう言ってケッとでもいうような嘲笑を清嶺に向けてやると、どこからともなくにゅっと両手が頭にのびてきて、こめかみをぐりぐりとされた。

「いでででででででででで!!」

 眠りばなを起こされた清嶺は機嫌があまりよろしくないらしく、半ば本気で拳を宝に当てている。宝はそれを外そうと必死でもがいているが、如何せん力の差と体格の差がそれを簡単には許してはくれなかった。

「おーいおい、藤縞の可愛い顔に傷つける気かー清嶺。藤縞がやらなくても俺が慰謝料請求するぞ。」

 そんな柏木の横槍もなんのその、清嶺は今度は両腕を宝の首にがっちりとまわした。

「俺が傷つけるような下手な真似するわけねーだろ。愛情の裏返しだよ。」

「そんな愛情なら裏返ってなくても御免だよなあ。」

「安心しろ。てめぇには愛情のあの字もねぇよ。」

「うわーー可愛くなーー。」

 そんな柏木一族の応酬を聞きながら、宝は何度もギブギブと言って清嶺の腕を叩いた。にも関わらず清嶺は首にまわした腕を離してくれる様子はない。こうなったら最終手段だとばかりに宝は清嶺の前腕にガブリと噛みついた。

「…………ってぇ!なにしやがるこのクソチビ!」

「お前が腕離さないからだろ!俺を殺す気かこの筋肉バカ!」

「あぁ!?顔だけしか能のねぇ筋肉も脳みそも足りなすぎる奴には言われたかねぇなあ!」

「なんだと!性格の悪さと態度の悪さでおつりのきまくる男が何言ってんだ!」

「―――――やるなあ藤縞。」

 傍目には大型狩猟犬にキャンキャン吼える室内用小型犬。もしくは野生の黒豹につっかかる真っ白な子猫。とにもかくにも微笑ましいような恐ろしいような構図である。

 その構図の微笑ましい部分だけを見て取っている柏木玲一18才は、宝の稀に見る健闘振りに半ば感心する。…ただどうも話がどんどん横道にそれていってる感はあるが。

「あぁ!?好みでもなんでもねぇ女になんで俺が気ぃつかわなきゃなんねぇんだよ!」

「はぁ!?美人で年上でスタイル良くて、お前の高すぎる理想にはじゅーぶん当てはまる人だったじゃんか!」

「あんな香水臭い女なんてごめんだね!それに俺は物分かりのいい女じゃないと絶対イヤ。」

「くぉーぬぉーワガママ俺様最低男め!!」

 その語呂いいなあと思いながら、柏木は二人のやりとりが収束に向かっているのを感じた。多分あと1分もしないうちに清嶺が折れるか、もしくは清嶺お得意のセクハラ攻撃に出るかのどっちかだと柏木は予想を立てる。そして「前者だったら今日の夕食は中華で、後者だったらフレンチにしよう。当然奥野のおごりでー。」と勝手に決めた。隣でクスクス小さく笑い出した柏木に、奥野は背筋がゾワゾワするような嫌な予感がして仕方なかった。

「だいたい年上の女に弱いのはてめぇだろチビ?あんな腹黒そうな女にすら懐きやがって。ああ違うか。お前年上なら誰でも懐くもんなぁ、たとえば善也とか、もしくは善也とか、じゃなきゃ善也とかな!」

「うるさいうるさーーーい!奥野先輩は優しいの!お前の絶対裏がありそうなにせもんの優しさなんかじゃないんだよ!」

 べーーーと清嶺に舌を出す宝に奥野はくらくら目眩がしそうだった。どう見ても痴話げんかでしかないこのやりとりのとばっちりを食らうのだけは是非とも避けたいというのに、何がなんでも巻き込まれざるを得ない状況になりそうである。

「ああ!?玲一に尽くしてる下僕なんぞあの女以上に腹黒いぞ!玲一のためならお前を寮長にすんのも率先してやってた野郎だからな!」

「そ、それは柏木先輩がワガママなだけじゃん!」

「……ちょっと藤縞ー?なんか聞き捨てならないんだけど。」

 柏木の横槍に宝が「ひぃっ」と小さく声をあげた。その顔は後悔を通り越してありありと恐怖が浮かんでいる。あれほど言い合っていたはずの清嶺の腕を掴んでしまうほどの怯え振りだ。

「俺がなんだってー?もう一度言ってごらんフジシマー?」

 怖い。あのうさんくさすぎる笑みも必要以上に甘ったるい声も何もかもが怖いと奥野は思う。どうも柏木は藤縞に対して必要以上に可愛がる反面、同じくらい虐めたがる傾向がある。それを目にするたびに柏木と清嶺の血のつながりをひしひしと感じるのだ。

「お前がワガママだって言ったんだよ。俺も心の底から同感だな。」

「なーに言ってんの清嶺。お前にだけは言われたくないよ。アフリカでもこれでもかあれでもかって藤縞にベタベタベタベタ。見てる方が恥ずかしいっつーの。その独占欲に勝てるもんなんて俺は持ってないね!」

「ハッ!てめぇの善也への女王様みてーな態度こそ最強だろうが。奥野、喉が乾いた、って言えば無言で善也はお前のために飲みもん買いにいってたし、奥野、暑い、って言えばこれまた無言で善也は冷房強めたり。俺は善也に本気で同情したぜ。」

 さすが従弟、柏木の真似も堂に入っていると思いながら、宝は清嶺の台詞に心中大きく首を縦にぶんぶん振った。寮でもすべての家事労働は奥野がやっているし、その他そこかしこで奥野の下僕ぶりが窺えること多数。それがアフリカに来てさらに酷さを増し、まるで奥野は柏木の従者のようだった。

「奥野は喜んでやってるんだからいいんだよ!お前の場合藤縞はどうみても嫌がってるだろー?」

「ちょっと待て、喜んでるわけがないだろう柏木。」

 とうとう奥野が口をつっこんだ。

「え、そうなの?いつも嬉々として俺の面倒見てくれてるじゃん。」

「必要にかられて、だ。お前ほど生活無能力者という単語が当てはまる人間はいないからな。ったく頭は鬼のようにキレるくせに、どうしてそのほかはゴソっと抜け落ちてるんだか……。」

 それは清嶺にもばっちり当てはまるなあと宝は思う。そして実は高校の教師陣全員が清嶺をそう思っているということをここにいる4人は知らない。そしてそのせいで恐らく、いや確実に3年連続で宝と清嶺は同じクラスになるだろうことも。

「俺はそういう星の下に生まれてるんだよ。そして奥野は俺の面倒を見る星の下にな!」

「…………清嶺、俺この会話聞いてるの忍びなさ過ぎるんだけど。」

「耐えろ。俺はこんな会話をもう5年は聞いてきたんだからな。お前もこれからは巻き込まれやがれ。」

 ボソボソと宝と清嶺が話していると、それまでの疲れやら鬱憤やらが限界に来たのか、奥野の矛先が二人の方に向いた。

 かなり珍しい、というか初めてのことではないだろうか。

「……なあ藤縞。もし清嶺と俺だったら勉強教えてもらうのはどっちがいい?」

「え、…っとそりゃあ奥野先輩。」

 いきなり何を言い出すんだと清嶺と柏木は思ったが、宝はバカ正直に答えた。

「そうか。じゃあ一緒に外出するとしたらどうだ?俺と清嶺とどっちとお茶を飲みたいと思う?買い物でもいいぞ。」

「えーーやっぱり奥野先輩かなあ。」

「そうか。じゃあ藤縞ちょっとこっちおいで?」

 へ?という暇もなく、宝は奥野に腕を引かれたかと思うとすっぽりその腕の中におさまった。清嶺と同じくらい縦にも横にも大きい奥野である。ただでさえ小さく細い宝の体は完璧に抱え込まれてしまった。

「へぇ、いつもは抱きつかれてるのがほとんどだったけど、抱いてみると藤縞ほんと抱き心地いいなぁ。」

 ぴくり、とただでさえ引き攣っていた清嶺のこめかみがさらに引き攣った。そして、表面には出ていないが柏木の内心もあまり穏やかではない。あまりに例を見ない組み合わせにお互いどう突っ込んで良いのかまだ分からなかった。

「うん、なんか新鮮ー!っていうか奥野先輩って体温低いよねぇ。清嶺は俺よりも体温高いみたいでさ、冬はいいんだけど夏とか暑いんだよねぇ。これから夏は奥野先輩の傍にいようかなー。」

 無邪気。この3文字がこれほど憎く感じたのは初めてだと柏木一族の二人は思った。いや、柏木は憎いとまでは思っていないが、どうにも胃のあたりがムカムカするような感じが否めない。そんな二人が恨みがましい視線を宝と奥野に向けていると、奥野はあの爽やかな笑みを顔に乗せ、その爽やかな顔にまったくふさわしくない行動をした。

 ちゅ。

「「!!!!!」」

 可愛らしい音は奥野の唇から出たものである。そしてその唇が触れているのは宝の目尻のすぐ脇。アフリカでつけた擦り傷の痕がかすかに残っている場所である。いつも清嶺で慣れているとは言え、それが奥野となると宝もただただ顔を真っ赤にするしかなかった。

 そしてそのことに地獄の鬼のような形相になったのは清嶺である。別に宝が自分のスキンシップに慣れるのはやぶさかではないが、自分のそれには平気な顔をしている宝が、奥野のそれには顔を真っ赤にしているという事実に清嶺は活火山のように怒り狂った。

「てめぇこらチビ…なに善也に頬染めてやがる…。」

「え?あ、わ、だって。」

「だってもクソもねぇ!さっさとこっち来やがれ!」

 そう言って清嶺が宝の腕を掴もうとしたその瞬間、なんと奥野がそれを阻んだ。

 それに驚いたのは清嶺、宝、そして柏木の順番。3人が3人怪訝な顔で奥野を見ると、あの「ただのいい人」と呼ばれるに相応しい笑みを奥野はその顔に乗せていた。

「今日ぐらいいいだろう?清嶺はいつだってできるんだし。」

 爽やかとしかいいようのない笑顔である。が、その笑顔は清嶺と柏木にとってはうさんくさい以外の何物でもない。宝は完全に騙されてしまっているようだが。

「ちょっと奥野?なに円満夫婦の仲をぶち壊そうとしてんの?」

「変な言い方はやめてくれないか柏木。俺は今日だけ藤縞を抱かせてくれないかって言ってるだけじゃないか。」

「……言い方が怪しいんだよ…。」

「い、いいよ柏木先輩。奥野先輩の腕の中気持ちいいし。」

 何も分かっていない男がひとり。無知は時には凶器になるものだと奥野は他人事のように思った。

「おいこらチビ。ふざけたこと言ってんじゃねぇ。」

「そうだよ藤縞。そんな男の腕ん中いてもいいことなんて一つもないよ。」

「え、でも、なんかすごい包まれてる感じで気持ちいいよ?」

 正直も時には罪になるものだと奥野はこれまた他人事のように思う。

「俺だっていつも包んでやってんだろうが!」

「えー清嶺のはなんか違うんだよなぁ。気ぃ抜いたらあちこち触りまくるし。」

「てめぇ…自分の行動棚に上げて何抜かしてやがる…。」

「わかったわかった。ほら藤縞。保坂の腕の中に戻ってやりな。」

「えーーーーーー!」

 これ以上嫌がらせを続ける気がなくなった奥野は、ひょいと宝を腕から解放してさらに清嶺のところにとすんと抱き下ろした。そして清嶺はそのまま宝の体をこれでもかと拘束する。その様子に軽く笑みが浮かびつつ、ああ少しはいいストレス発散になったと思った奥野だった。

 

「……ずいぶん今日は人が悪いんじゃないか、奥野?」

 二人から少し離れたところに腰を降ろした奥野に、柏木がボソリと呟いた。その声はどう見ても機嫌がいいとは言えない声色である。

「そうか?ちょっとからかってみただけなんだが。」

 内心湧きあがる笑みをなんとか堪えながら奥野はそう返した。向こうではすでに蒼陵高校の公認カップルとまで言われているれっきとした男子高生二人が、どうみてもただのバカップルにか見えないような激しいスキンシップを繰り広げている。あの顔じゃあ仕方がないな、と思いながらも、確かに抱き心地はすこぶるよかったと奥野は思った。あれは一度体験するとやみつきになるような気がするなあと少し不穏なことも考える。

 しかし、あのちょっと程度を超えた嫌がらせで、隣にいるこれまた男にしては綺麗過ぎる顔を持った男が、相当臍を曲げてしまったということが、奥野にはなにより楽しくてしょうがない。

「へぇ。にしては度が過ぎてないか?あ、藤縞の抱き心地が良すぎたとか?」

「ああ、それはあるな。」

 その返答に柏木はどう見てもおもしろくなさそうな顔をした。それにまた内心笑いが浮かぶあたり、奥野はこの4人の中で群を抜いて腹黒い人間ということの証明のようなものである。

 そのキれる頭、爽やかな笑顔、裏方に徹する謙虚さ、そして柏木一族さえ叶わない溢れんばかりのフェロモン。

 そのすべてを存分に利用して、奥野は柏木に付き従っているようで、実は手綱をひいているのは紛れもなく奥野なのかもしれない。「悪い男」という表現がここまでぴたりとはまる人間もそうはいまい。

「……・・ほんと、ときどきお前怖いよな。」

 そう柏木が小さく呟いたのを聞こえない振りをして、奥野は口の端を軽く上げてみせた。

 

 

 

                                                               End.


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