後編


 

「かずちゃん、それ取ってー」

「・・・・・・・・・・」

「ありがと」

 どういたしまして、と数人は来年小学6年生になるらしい美少女に、心の中だけでそう言った。どうしてそんな大したことじゃないことを口に出さないのかといえば、数人はこの世に生まれでて18年経ったわけだが、その18年で紛れもなく今現在が最悪に不幸だからである。
 目の前に広がる光景は、まるでテレビドラマに出てくるような優雅な昼食風景だ。これが本当にドラマの中の出来事であれば、数人は人前もはばからず号泣して大喜びするだろう。

「どうしたのかずちゃん?手が止まってるわよ?」

「・・・・すみません」

「やだ〜謝らなくっていいのよ。かずちゃんのペースで食べていいんだから!」


 …そう思ってくれるのなら、どうか今すぐこの家から出してください。


 と、数人は心の中で思ったが、当然それも口に出すことはできなかった。

 



 つい数時間前、常識も法律も日本国憲法も裏切って、数人は18歳にしてめでたく結婚した。

 



 

「おはよう、かずちゃん!昨日はよく眠れた?」

 そんな挨拶で始まった土屋家2日目の朝。数人は寝ぼけ眼を擦りながら声のした方に目を向け、そこにいる自分の母親とは似ても似つかないキレーな存在に過去にないスピードで覚醒した。

「あ、起きたのね。じゃあ朝ごはんにするから着替えて下に降りてきてね」

「は、ハイ」

 数人がなんとかそう返事をすると、彼女――冴子は、きゃぴきゃぴという擬態語を振りまきながら部屋から出て行った。ドアが閉められる音に数人はほうっと肩を下ろし、いつものようにぐでーとベッドに上半身だけをうつぶせる。が、うつぶせたときのベッドの硬さが家のそれと違って断然柔らかく、今いるのが家の自室のベッドでないことをはっきり教えてくれた。
 はあと溜息をつきながら体を起こせば、数人に与えられた20畳ほどの部屋が逆に数人に変なプレッシャーを与える。さらに部屋の中にバス・トイレつき。ああ、家の6畳間が恋しいぜと思いながら、数人はだらだらとベッドから降りた。

 着替えて1階の居間に行くと、そこには昨日初対面の数人を小ばかにした妹と大笑いした兄が二人仲良くソファに腰掛けていた。その二人にウッとなりながら、至極不自然に目を逸らしつつ数人はその二人から最も遠い位置にあるソファに腰掛ける。そしてちょうど良く目の前に新聞が置いてあり、しめたと思いながらそれを手に取った。普段新聞のテレビ欄と4コマ漫画しか見ていない数人にとってその内容は当然ちんぷんかんぷんだったが、あの兄妹を視界に入れるよりは断然マシとばかりに数人は新聞を本のように縦にした。――が。

「よお。起きてすぐ新聞か?見かけによらずずいぶん真面目なんだな」

 その新聞をくいとどかされ、兄妹の兄の方が数人の目の前に立った。見かけによらずとはどういう意味だと思ったが、この兄に反論する勇気は数人にはない。というより、数人が反論できる相手はこの世界でも相当数少ないだろうが。

「で、何をそんなに一生懸命見てるワケ?」

 知らん。

 とは当然言えなかった。

「に、日本の政治の行く末をだね」

「・・・へ〜そりゃまあ高尚な。じゃあアンタは二大政党化は反対ってワケだ」

 にだいせいとうか?
 ど、どんな漢字をあてはめるのかすら分からん、と数人は思い切り眉間に皺を寄せた。当然その表情は目の前の男にはバレバレである。

「ま、まあな」

「じゃあ一党制のがいいのか?下手したら旧ソ連みたいになるかもしんねーぜ?」

「・・・・・ちがう、と思う」

 もちろん今度も数人は何も分かっていない。が、そう言う以外に何が言えただろうか。旧ソ連が崩壊したことぐらいは数人だって知っているのだ。

「じゃ、アンタはどーすべきって思ってるワケ?」

 どーすべき・・・・どーすべきって・・・そんなの知るかーーーーーーーーーー!!

 ・・・と、怒鳴りたいのは山々だが、のみの心臓の数人にそんな真似ができるはずもない。足りない脳みそでうんうん唸って考えた末、出た答えが


「しょ、消費税はなくすべきだ!」

 

 しーん。

 

 ・・・イイワケさせてくれ、と数人は思った。誰に言い訳するのかは数人自身よく分かっていないのだが、とにかく言い訳をさせてくれと。

 というのも、数人は別に馬鹿というわけではない。確かに平均はないかもしれないが、ちゃんと希望の大学の合格通知ももらっている。ただ政経が大の苦手であり大嫌いであるというだけだ。その証拠に数人が合格した大学はかなり名の通った難関私大である。……入試科目は国語と英語だけではあったが。
 何のことはない、数人は英語がやたらめったら得意なのである。それこそ外国に一人置いていかれても、言語の不安だけは絶対しなくていい程度に。

 ただ、言い換えれば、英語以外は壊滅的である。やっとのことで国語が日本人並みというぐらいで。

 

「ぶははははははははははははははは!!」

 

 にーかーいーめー・・・・。

 心のなかで間延びさせながらそう呟くと、数人はさらに気分がめりこんだ。

「お、お前、まじおもしれぇなあ・・・は、腹いてぇ・・・」

 くそくそくそ!
 下品な単語をこれまた心の中で何度も繰り返す。この家に来て時間にすればまだ半日しか経っていないが、たった12時間だというのに一体何度心の中で文句をぶーたれたか、と数人は頭をかきむしりたくなった。それにこのままではただのアホな男になってしまう!とも思う。…事実そうなのだが。が、とにもかくにも数人は、いくら態度がでかいからって目の前の男は同い年なんだっ、と自分に言い聞かせ、いざ言い返そうとした――その時。

「あのさ、コレ、書いてくれる?」

 そんな台詞がその男から聞こえてきて数人は見事にタイミングを逃した。

「・・・なんだこれ」

 男が目の前でピラピラさせているのは何かの用紙のようだったが、あまりに顔の近くでピラピラされているためにまったく書いてある字が読めない。そう言おうとすると、男はいきなりその紙を数人の顔から離しテーブルの上に置いた。そして、おもむろに数人の右手にペンを持たせる。

「ここに名前書け」

「は?」

「いーから。時間ねーんだよ、さっさとしろ」

「あ、ああ」

 いきなり声のトーンを下げた男に慄き、数人は言われるがまままず名前を書き、そして何故お前が知ってるんだと尋ねる暇もないまま、言われたとおり自分の本籍と住所を書いた。そして書き終わったところでいきなり右手を取られ、印鑑を持たせられたかと思えば、それをここに押せとばかりに男が数人を睨みつける。その視線に怯えながら数人がこわごわ男が指し示している場所に判子を押すと、男は小さく声をあげて笑ったかと思うと顔を綻ばせた。

 数人はその顔に目を丸くした。
 もともと整っている顔ではあるが、どちらかと言えば冷たく見える容貌をしている男の顔は、笑うと一転ひどく甘ったるい顔になる。人間こーも変わるのか〜ととんちんかんなことを思いながら、数人は「人間ギャップって大事だよな!」とさらにとんちんかんなことを当の男に向かって口にした。すると男は当然なんだそりゃ?とでも言いたげな顔になったが、小さく笑みを浮かべるとすぐに元の顔に戻った。

「さえこー、サイン頂いたぜー」

 そして自分の母親を名前で呼び、今度はその顔に嫌な笑みを乗せながら数人をじいっと見つめた。

「あら、思ってたより早く納得してくれたのね。さすがいっちゃんねえ」

「…こいつだったら昨日の夜でも出来たんじゃねえか。オラ、さっさと手続きしてこい。こいつが訳わかってねえうちに」

「ま、じゃあ早く行かないと。・・・ということで行ってくるわね。朝ごはんはできてるから早く食べてね」

「へーへー」

 何がなんだか分からないうちに、冴子は数人がたった今書いたばかりの書類を持って家を出て行ってしまった。その後姿をぽかんと見送っていると、目の前にいた男がぽんと頭を軽く叩いてきた。

「お前、俺の名前知らねえだろ?」

 言われてみればそうだと思いながら、数人はこっくり頷く。

「土屋一居(ツチヤイチイ)。あっちの妹は三重(ミエ)」

「あ、俺は高田数人」

「知ってる。まあその名前もあと・・・1時間の命ってとこだろうがな」

「ハ?」

「…なんでもねえよ。おら、メシ食うぞ」

「あ、ああ」

 

 

 あのとき・・・あのときちゃんと聞き返していれば・・・!!

 悔やんでも悔やみきれないと数人はぎゅうっと拳を握り締める。
 冴子が出かけてからおよそ3時間後、彼女は紙袋をしこたま抱えて帰ってきたものだから、てっきり買い物にでも行っていたのかと思いきやそうではなかった。その買い物袋の半分を突然冴子に手渡されたかと思えば、

「今日からかずちゃんはうちの家族の一員ねっ!あ、今日はつい嬉しくって私一人でお洋服買ってきちゃったけど、今度は一緒に買いに行きましょうね!」

とそりゃもう満面の笑みで言われ、中身を見てみればブランド物の服がこれでもかこれでもか。そして「こんなの受け取れません!」と数人が顔を青くして言ったその直後、服のことなど頭からすっぽり抜けてしまうものを数人は目の前に見せられた。

 

「じゃじゃーん!いっちゃんとかずちゃんが夫婦になった証でーーす!」

 

 婚姻届受理証明書

  夫 土屋一居
  妻 土屋数人

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」

「は?じゃないわよ〜かずちゃんたら!これで、あなたといっちゃんは正真正銘の夫婦なのよっ!」

 

 高田数人18歳。
 性別:男。

 のはずの自分の名前が、明らかに「妻」の欄にあり、しかも苗字まで変わってしまっていて、数人は冗談でもなんでもなくその場で卒倒した。

 

 目を覚ましたのはそれから数十分した後で、18でかつ男で妻になったという事実もそのままだった。
 そして、数人自身の戸籍を「女」に改竄し、かつ、その上で婚姻届を出したのよ〜と紛れもなく犯罪行為でしかない行為を自慢気に話され、何も言えずに一人ワナワナしている間に冴子と兄妹二人は「乾杯〜」とビールやらオレンジジュースやら飲んでいた。

 

 

 日本国憲法第24条第一項は、ごくごく簡単に言えば、「結婚は当人同士の気持ちが一緒じゃなきゃしちゃだめですよ〜」「両思いだったら結婚は自由ですよ〜」ということである。そして、第二項で「それは法律で保護されますよ〜」と言っているのだ。

 が、その前提の前提大前提に、結婚は『両性の』合意だ。ベルギーやオランダなどと違って、日本では男同士の結婚は認められていない。

 

 だからと言って、なんで自分の戸籍が「女」にされなきゃなんねーんだよ…と数人は本気で涙が出そうだった。

 

 

 

 とにもかくにも、高田数人もとい土屋数人の非日常の幕は開いた。というか、開けられた。

 

 

 

 

                                                      End.



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