7 −side r−


 

 分かっている。
 桐がどこで、誰と何をしようと俺には関係ないし、俺の方も桐の私生活にそんなに興味があったわけじゃない。
 でも、どうしても嫌だった。
 その顔で、他の男と寄り添ったり、他の男に耳元で囁かれたりなんて、絶対にして欲しくなかった。

 これが俺の、傲慢でひどく自分勝手な思いからくる感情だということは知っている。
 でも、それでも、やはり嫌なものは嫌なのだ。

 

 

「…おい、俺はこんなとこで食う金はない」

「知ってるっつーの。これは蓮の面倒みてくれてる礼だよ」

 ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら杜は桐の肩に腕を回す。そんな些細な接触にすら不機嫌になりそうな自分が嫌で、俺は目の前に置かれたワインに口をつけた。食前酒のワインは度数も軽く、飲みやすい。それをいいことにグラスに入っていたワインを全て飲み干せば、少しは気分も晴れているような気がした。

「蓮、そういう飲み方はやめろ」

 俺の隣に座っている万里が怒っているような、それでいて心配しているような声色でそう言う。それも仕方ない。相良が死んでから桐に会うまでの3ヶ月、普通とは言えない生活を送っていた俺を一番見ていたのは万里と、そして杜なのだから。

「…わかってるよ。もう飲まない」

「ならいいがな。…おい杜、いい加減手を離せ」

「へーへー。つーかさあ時田ちゃん、気になってたんだけど、今まだ学部生だよなあ?」

「ああ、2年だからな」

「俺のダチでもさ、時田ちゃんみたく教授にコキ使われてる奴いるけど、大抵院生だぜ?何で2年のお前が?」

「…俺が聞きたい。でもまあいいんだ。あの人の腹の中はともかく頭の中身は尊敬してるから」

「なんだそりゃ」

「俺の専攻は日本史学なんだけどな、樋口教授はあの若さで教授になっただけあって、その道じゃかなりの人なんだ。コキ使われながらも色々教えてもらったりはしてるから」

「へー…」

 あの、遠くから見る限りでも絶対に一筋縄ではいかなそうな男を、桐はなんだかんだ言いながら尊敬はしているんだろう。樋口という教授のことを話すその顔はいつも以上に穏やかで、そこに「迷惑」とか「嫌悪」とかそういう負の感情は全く窺えない。

 というより、桐は多分誰にもそういう感情を持たないんじゃないだろうかと思う。

 俺は、自分で言うのもなんだが夢遊病の気のある面倒な男だし、桐の隣にいる杜だってニコニコ笑いながらその腹の中では何を考えているのか分からない男だ。

 なのに、桐は一度も俺や杜を拒絶したことがない。

 

 嫌がれよ、と思う。

 相良が、気に入らない人間は容赦なく殴りつけたように、少しでも嫌だと思うのなら嫌がれ、と。

 

「そうだ、時田ちゃん。温泉行かない?」

 ぼうっと考え込んでいた俺の耳に、突然杜のそんな声が響いてきた。

「ハ!?何でお前まで!」

「何それ?何、他にも温泉誘われた奴いんの?」

「あ、ああ。や、それはどうでもいい……つーか何で夏に温泉なんだよ?」

「えー、フロ上がりの酒が美味いのって夏じゃね?」

「…まあ言っても無駄だろうけど、お前まだ18だろ?」

「俺と万里は中学ん時には酒も煙草も女もとっくにケーケン済だぜ」

 何てことのないようにそう話す杜は、本当は小5のときに女、小6に酒、中1で煙草、というとんでもない子供だった。俺と二人の通う大学は幼稚舎から大学までのエスカレーター式の学校で、二人とはそれこそまだ乳歯も抜けきってない頃からの付き合いだが、同級生ながら二人はずば抜けてとんでもなかった。俺には相良がいたから、二人のタチの悪い遊びには付き合ったことはなかったが、その遊びがそれこそ犯罪すれすれだったことは知っている。

 万里は必要以上に他人に関わろうとはせず、いつもその整った顔には不機嫌そうな表情が乗っていた。街中に3人でいると、よく男たちに絡まれることが少なくなかったが、万里は人を殴るときも顔には何の表情も浮かんでいない。それは周りの人間には万里を血も涙もない人間に見せているようだが、3人の中で誰より情に厚く、面倒見がいいのは、他の誰でもない、万里だ。

 逆に、杜はその人懐っこい性格の割りに、本当にあっさりと人間関係を切れる。それこそ、ひどく残酷なほど。

「……タチの悪ぃガキだったろうよ、さぞかし…」

 呆れたように呟く桐の顔を見ている杜は、やはり笑っているようで笑っていないように俺には見えた。

「まーね。で、週末空いてる?」

「週末?…や、悪い、先約がある」

「マジでー?何、それ俺と万里と蓮より大事なワケ?」

「おい、勝手に俺の名前を出すな」

「別にいーじゃん。な、ダメ?」

「悪い…教授との先約だからな」

「……へえ、あの人か」

 そう言ったきり、杜は口を閉ざした。それは別に不自然な沈黙ではなく、その証拠に桐は万里と話を続けている。

「…杜?」

「ん?」

 堪えきれずに名前を呼べば、杜はその顔に笑みを乗せて俺を見た。

 

 だが、やはりその目は笑ってはいなかった。

 

「…時田ちゃん、ちょっといい?」

「あ?なんだ?」

「ちょっと」

 

 そう言って、杜は笑ったまま桐を店の外に連れ出した。

 何のつもりでそんなことをしたのかも分からないまま、俺は万里と軽く目を合わせた。

 

 


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