5 −side r−


 

 じくじくと痛む右の頬に手を当てながら家を飛び出すと、相良がちょうど家に入ろうとしているところだった。そのころは、相良が相良という名前だということも知らなかったし、話をしたこともなかった。ただ、俺より5つ上で、俺が来年から通う小学校に通っていることは知っていた。

「どした、坊主?」

 いきなり話しかけられて、その前に母親に殴られたせいもあったのか、俺はそうと分かるほど体を震わせた。

「…殴られたのか?」

 それに頷くことも、首を左右に振ることもせず、俺はただひたすら下を俯いていた。と、いきなり手を掴まれたかと思うと、相良の家の中に引っ張りこまれた。何が起こったのかよく分からず、相良に言われるがまま靴を脱いで家の中に入ると、相良が「ちょっと待ってろ」と言って俺を居間のソファに座らせた。

 一人取り残された俺は、ソファの上に足を乗せて小さく縮こまっていた。まだ父親が家にいた頃、怒鳴り声が響く居間の隅で俺はいつもそうやっていた。両手で耳を塞いでも両親の声はその隙間から漏れ聞こえてきて、その内容が分からずとも、ただひたすら怯えていた時間だった。今自分がいるのは名前も知らない年上の子供の家で、それだけで俺の体じゅうには緊張が走った。

「おら、顔出せ」

 いきなり近くから聞こえてきた声に驚いて振り向くと、そこには相良が救急箱を持って立っていた。そして徐に救急箱から湿布を取り出すと、それを俺の殴られた頬にぺたりと貼った。

「つ、めた」

「アハハ!なんだ、お前声出んじゃん」

「…え?」

「俺は相良。お前は?」

「………」

「名前だよ、なーまーえ!」

「あ…れ、蓮」

 そう言うと、相良は「そうか!」と顔中いっぱいに笑った。そんな気持ちのいい笑顔を俺は見たことがなくて、まるで太陽みたいだと思った。

 

 それから、俺と相良は毎日のように会った。母親はことあるごとに俺を怒鳴り、時には殴るようになって、その度に俺は相良の家に逃げた。共働きらしい相良の家にはいつも相良しかいなくて、けれど、家に行けば相良はいつも笑って俺を迎えてくれた。何も言わずに菓子や時には夕飯まで食べさせてくれて、喋ることが苦手な俺の分も色々な話をしてくれた。

 そのうち母親も家を出て行って、俺はだだっ広い家に一人取り残された。とは言え、俺が高校に入るまでは老いた家政婦が一緒に暮らしてはいたが、俺の面倒を見ていた時間は家政婦より断然相良の方が多かった。
 昼の再放送でやっていた家政婦ドラマや下町中華料理店人情ドラマが大好きだった相良は、俺よりたった5つ上の人間には見えないようなしっかりした人間だった。だからこそ、両親に放っておかれた俺の面倒を相良は甲斐甲斐しく見てくれて、俺は家に来ていた家庭教師から逃げては相良に本を読んでもらい、相良に箸の持ち方も教わった。眠れないときは相良は隣で学校の話を眠るまでしてくれたし、学校で嫌なことがあった時には相良がいちばんに心配して、そして優しくしてくれた。

 俺が小学生、そして相良が中学生になってもそれは変わらなくて、俺は小学校が終わるとその足で相良の通う中学に行き、相良のことを校門で待った。15分くらいして、校門にいる俺を見つける度に、大きな声で俺の名前を呼びながら走ってくる相良が、俺は誰よりも好きだと思った。

 俺にとって、相良は自分のすべてと言ってよかった。
 相良がいれば何もいらないと、当たり前のように思えるくらいに。

 

 その、家族めいた関係が一変したのは、俺が16のときだ。
 高校が終わり、いつものように真っ直ぐ相良の家に行って相良の部屋のドアを開けた瞬間見えたのは、知らない男に跨っている相良だった。相良が何をしているのか、それを俺は知っていたが、同時に絶対に分かりたくもなかった。そのまま踵を返そうとした俺を相良が「待て!」と怒鳴って、振り向くと相良が男をベッドから蹴り落としているところだった。あまりのことに呆然としていると、男は俺の脇を通って逃げるように部屋から出て行き、部屋には俺と相良だけが残された。

「…な、んで追い出した?」

「お前のが大事だから」

 まるで何でもないことのようにそう言って、相良は素っ裸のまま煙草に火をつけ、細長い煙を吐き出した。

「そうだ、蓮、お前したことあるか?」

「…何を」

「セックス。あ、男女込みでな」

「ないけど」

「おし。おら、来い」

 は?と言う間もなく、相良は煙草の火を消すと俺をベッドの上に押し倒した。そして何がなんだかわからないまま俺の腰を跨いだ相良を見上げれば、相良は俺の制服のベルトを外してジッパーを開け、俺の性器を下着から取り出して口に含んだ。

「……っっ!?」

 文句など言う余裕もないほど、相良の口淫は巧かった。あっと言う間に俺のそれは大きくなり、相良はニヤと小さく笑うとその上に腰を降ろしていった。相良の中にずぶずぶと入っていく感触は狂いそうになるほど気持ちがよくて、相良が腰を上下させ始めれば、あっと言う間に俺は達した。ギシギシと激しくなるベッドの音を聞きながら、俺の上で不適に笑う相良の顔があまりに普段と変わらなくて、少しだけ笑えた。

 


 それから、俺と相良は月に何度かセックスするようになった。部屋に行けば知らない人間の香水の匂いがすることがよくあったから、俺以外にも相良は抱かれていただろうし、女を抱いてもいたんだろう。そのことはどうしようもなく俺を嫉妬させたが、何故か、それと同じくらいの感情で相良を許してもいた。俺と相良とのセックスがお互いにとってしてもしなくてもどっちでもよかったからかもしれない。クスクス笑いながら肌をぶつけ合うことは、むしろ俺と相良を前以上に家族に近づけていったようにも思えた。

 そんな、多分普通からはかけ離れた関係でも、幸せには変わりなかった。
 これ以上の幸せなんてないと思っていたし、もしあったとしても要らないと思った。

 

 なのに、呆気なく相良は死んだ。

 酒に酔って、夜道をふらふら歩いていたところを、車に撥ねられて死んだ。

 

 たったの、23で。

 

 


HOME  BACK  TOP  NEXT 

  

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送