3 −side r−


 

「―――気付いたか?」

 目が覚めて聞こえてきた声には、確かに聞き覚えがあった。声の方に顔を向ければ、やはり思ったとおりの人間がそこにいて、そして相も変わらず俺を心配そうな顔で見ていた。

「…杜(モリ)」

「ったく…、家に帰ってこないと思えば、今度は喧嘩かよ。蓮らしくねーことばっかだな」

「……ここは?」

「病院だよ。なんだ、覚えてないのか?」

 何を覚えているというんだろう。そう思いながら体を起こそうとすると、起き上がろうと力を込めた両腕に小さな痛みが走った。体を起こして両手を見ると、両の拳にぐるぐる包帯が巻いてある。その拳に、ああ、と少しずつ記憶が戻ってきた。相良の墓に行った帰り道、いきなり数人の男に絡まれたのだ。無視して通り過ぎようとした俺に相手が手を出してこようとして、逆に殴り返して……。

「そっから…どうしたっけ…」

「…ったくお前なあ…連絡もらってビビったぜ、こっちは」

「連絡?」

「ああ。『あなたの知り合いが怪我をしているようなので病院に連れてきたんですが、保険証がないので連絡しました』っていきなりお前の携帯から電話かかってきて、言われた病院に来てみればお前が寝てるし。医者に聞けば、喧嘩が原因で、傷は大したことないって言うし」

「…誰?」

「知るか。…あ?そういや手紙あったな―――ほらそこ」

 杜の指差す場所に視線をやると、折りたたまれたA4の紙がベッド脇のサードテーブルに置いてあって、開いた先にあった字には確かに見覚えがあった。

 

『勝手に電話して悪い。保険証なかったから、お前の携帯の着信履歴の一番最初の人間に電話した。お前の友達って言ってたから病院に呼んだ。俺は帰るな。あ、夜徘徊すんのはできればもうやめろよ。   桐 』

 

「…なんだよ、これ」

「あ、そうだ蓮。ベッドの下にお前の服置いてあったぞ。お前野宿でもしてたのかよ」

 その台詞に驚き、ベッドから降りてその下を見ると、そこには桐の家に置いてあったはずの俺の服や日用雑貨、あとは何故か新品のハブラシや靴下まで置いてあった。

「…にしては新品がある……っておい、蓮!?」

 杜が全部言う前に俺は病室を飛び出した。腕を振るたびに両腕に痛みが走ったが、そんなことはどうでもよかった。今いる病院が一体どこなのかも分からず、病院の玄関に止まっていたタクシーに飛び乗って桐の家の住所を告げる。何に急かされているのか、何に焦っているのかも分からないまま、のろのろ走るタクシーの運転手に悪態をつくのをギリギリのところで堪えていた。

 あの、まるでもう俺には二度と会わないとでもいうような文面が、頭から離れなかった。

 

「桐!」

 部屋のドアは鍵がかかっておらず、ノブを右に回せばそれは容易く開いた。部屋の中には驚いた顔で俺を見ている桐がいて、何故か無性に腹がたった。

「…蓮?どうした?」

 いつも俺に向けてくれる穏やかな表情でそう話す桐の頭には、大きな白いガーゼが貼ってあった。いつそんなとこに怪我したんだ――と、そこまで考えて頭の中が真っ白になった。
 一気に、ほんの数時間前の記憶が頭の中に流れ込んでくる。そうだ、這い蹲る男たちを蹴りまくっていたところに、桐が止めに入ってきたのだ。

 そんな桐を、俺は殴った。

 容赦なく腹に拳を入れ、体を地面に突き飛ばして、頭から血を流させた。

 

 そして、何度も「相良」と桐を呼んだ。

 

「ほんとにどうした?友達は?」

「き、り」

「ん?」

 何故、何も言わないんだろう。

 その怪我は確かに俺が作ったもので、そして桐じゃない誰かの名前を呼んでそれを謝っても、桐にとってはなんの謝罪にもなっていないじゃないか。

 なのに、どうして俺を責めない?

 どうして、何も言わない?

「…あのー、料金払ってもらっていいですかね?」

「え?あ、なんだ蓮、これのことか?…ったく仕方ねーな、運転手さん、いくらですか?」

「890円です」

「――っと、1000円でもいいですか?」

「ええ―――110円のお釣りになります。ありがとうございました」

「どーも」

 タクシーの運転手は代金をもらうとそそくさと桐の家から出て行き、すぐに車が出て行く音が外でした。桐はドアを閉め、玄関で突っ立っている俺を不思議そうな目で見ていたが、俺に何か言うのを諦めたのか靴を脱いで家の中へと入った。

 その後姿に、俺は無意識で声が出た。

「ただいま」

 桐が驚いたように俺を振り向く。

 その顔は相良だったら絶対にしないような顔で、おかしくなって俺は少し笑えた。そんな俺を桐は変なものでも見るような目で見ていたが、しばらくすると表情を和らげて「おかえり」と言ってくれた。

 

 ただいま。

 おかえり。

 

 こんな単純なやりとりを、できれば目の前の人間とずっとしていたいと思った。

 そのことに、確かに嘘はなかったのだ。

 

 


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