3 −side k−


 

 蓮は、その生気を感じさせないほど白い肌と相俟って、いつも夢うつつに見えた。
 その色素の薄い目はある一点を見ているようで見ていなくて、時々その存在を忘れそうになる。そんな自分に耐え切れずに蓮の名前を呼べば、蓮はゆっくりとその顔を俺に向けて静かに微笑んだ。だが俺を振り向いたとき、ほんの一瞬だけ、まるで痛いものでも見るような目で俺を見た。もしくは、俺を見ることが何よりも辛いとでもいうような、そんな目を一瞬俺に向ける。けれど、そのときの連は俺を見るいつより確かに「俺」を見ていて、何故かどうしようもなく胸が苦しかった。


 あれから、俺はもうほとんど癖のようにあの道で蓮を待つようになった。大学から帰る時間になると、まるでバカの一つ覚えのようにそこをふらふら歩いている蓮がいて、相変わらずその顔は現実を見ていなかった。それはいつもしているような顔ではなくて、何かを考えすぎてしまって現実から離れるしかなかった、そんな顔をしていた。
 俺に気付くと花のように笑って、抱きついてくる。もちろん、その笑みが向けられているのは「俺」じゃない。
 だが、それはそれでいいような気もしていた。
 俺より明らかに縦に大きい蓮に抱きつかれれば当然小さくない衝撃が体を襲ったが、もう10年も連れ添った飼い主に会えた犬のように飛び掛かられるのは、そう悪い気はしなかった。

 そんなことを考えながらその道へ向かったが、何故かそこにはいつもいるはずの蓮がいなかった。とはいえ、蓮が毎日そこでふらふらしているというわけではなかったから、なら今日は家にいるんだろうと思って家のドアを開けると、部屋の中にも蓮はいなかった。

「…どこ行った?」

 すぐに踵を返してさっきの道へ戻る。いくら夏とは言え7時を過ぎれば辺りは真っ暗になる。そうなると探すのも一苦労だと思いながら近くの小道を適当に歩いていると、どこかから誰かの呻き声のようなものが聞こえた。何だと思いながら声のした方に近付いていって、そこにあった光景に俺は目を疑った。数人の男が地面に這い蹲っていて、その男たちを一人の男がおもしろそうに何度も蹴り上げていた。

「蓮!?」

 その、蹴り上げている方の男が、同居しているはずの男だった。

 走り寄ってみれば、倒れている男たちはすでにボコボコにされていて、意識がある人間の方が少ない。顔は赤黒く腫れ上がり、頭から血を流している男もいた。

「…おい!蓮、もういいだろ?」

 俺が来たことにすら気付かず、倒れている男の顔を靴先で道路にグリグリと押し付けている蓮の顔は、明らかに常軌を逸している。何度声をかけても俺の方を振り向かず、かと言ってその目線が道路にうずくまっている男にあるかと言えばそうじゃなかった。

 ―――一体、どこを見てる?

 何が、お前をそうさせるんだ?

「……蓮」

 とりあえず蹴るのをやめさせようと後ろから羽交い絞めにした。すると、普段の蓮からは想像もつかないような力で体を剥がされ、俺の方を振り向いた蓮に見事に突き飛ばされた。

「…っつ」

 背中から道路に倒され、かなりの痛みが背中に走る。しかもTシャツしか着ていなかったせいで、素肌に擦り傷ができた感触があった。なんとか体を起き上がらせれば、さっきと同じように意識のない男を蹴り上げている蓮がいて、さすがにヤバいと痛みを堪えて立ち上がった。

「…やめろ。そいつ、もう意識ないだろうが」

 片腕を掴んでそう言った途端、俺を振り向いた蓮に今度は容赦なく腹を殴られた。

「……か、はっ…」

 なんて力だ、と思った。
 まるで内臓まで抉られたような痛みにそのまま意識が飛びそうになるのを何とか堪えながら、俺はもう一度「やめろ」と繰り返した。だがそれも蓮には伝わらず、その左手が俺のこめかみを殴りつけようとしているのを、まるで映画でも見ているような気分で見た。




「……ってぇ…」

 地面に叩きつけられた反対側のこめかみからドロリと何かが垂れてくる感触がある。右手でそこを触ってみれば、手にはべったりと血がついていて、どうやら運悪く小石にでも擦ったらしい。これはさすがにヤバイなと思いながら、それでも何とかあの暴走男を止めなければと頭を起こすと、すぐ脇にその男が今にも泣きそうな顔で突っ立っていた。

「ご、めん。ごめん…」

 ああ、やっと元に戻ったかと起こそうとした頭を地面に戻す。見上げた空は既に夜の色になっていて、そこには太陽も、そして月さえ見えないような真っ暗な闇だけが広がっていた。

「ったく…」

 どーしたんだよ、お前。
 そう言おうとして、言えなかった。


 蓮は俺の上半身をその胸の中に抱きかかえて、そして、何度も俺を「相良」と呼んだ。


「ごめん…ごめん、相良。もうしない、もう絶対しないから」

 相良、相良、相良。

 サガラ。

 何度も聞いたことのあるその名前を――何度も呼ばれた覚えのあるその名前を、蓮は幾度となく俺の耳元で囁いた。

 

 ああ、そうかと俺は急激に理解した。

 むしろ、どうして今まで気がつかなかったのか不思議なくらいだった。

『相良』

 俺はその名前の人間に、似ているのかもしれない。

 それこそ、殺してくれと蓮が願うくらいに。

 

 そして、蓮が好きだと言ったのは、「相良」に似ている俺の顔のことなんだろうと。

 

 


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