15 −side r−




「レンくん、なんで飲んでないのー?」

 うるさい、と思った。
 隣で必要以上に甲高い声で話す女も、店じゅうに漂う煙草の煙も、何もかも。

 3時間前、あの知らないアパートの前で蹲っている俺を突然迎えに来た杜は、有無を言わさず俺をドアの前から引き離した。その顔にはいつもの人好きのする笑みが乗っかっていたが、その目に来ないことを許さないとでも言うような強い意志が込められていたのは確かで、ここ1ヶ月杜と万里に少なからず迷惑をかけていた覚えはある俺は、しょうがなく杜の車に乗り込んだ。
 そして連れてこられたのは、杜と万里が高校の頃からよく来ていた飲み屋。飲み屋とは言っても酒やつまみの値段は普通の飲み屋の10倍はするし、酒を扱う店の割には清潔な雰囲気の店だったが、それでも飲み屋には変わりはない。しかも、連れられていった席には女が二人座っていて、それを見た瞬間踵を返そうとした俺を杜は俺の腕を掴むことで防いだ。
 それからもう2時間が過ぎる。目の前で女と話している杜が時折よこす強い視線がなかったら、今すぐにでも出て行くのにと思う。

「ねー、ゲームしない?」

 と、杜の隣にいた女がそんなことを言い出した。それを聞いて、俺の隣に座っている女が身を乗り出す。

「いいかもいいかも!で、何のゲーム?」

「王様ゲーム」

「じゃ、棒か何か作る?」

「そんなの面倒。ジャンケンして、一番最初に勝った人が王様。で、王様が見てないところで残った3人がジャンケンして、勝った順に番号つけるの。カンタンでしょ?」

 ね?と女が杜にしなを作ると、杜はニコリと笑っていいよと頷いた。
 ああいう顔のときの杜は、とにかく場を楽しもうとしているだけで、俺が嫌がるだろうこともお構いなしになる。その証拠に杜は俺を見て口の端を軽く上げてみせ、そして「じゃ、まず4人でジャンケンする?」と手に持っていたグラスをテーブルに置いた。

「…杜」

「ほら、蓮」

 分かっているに違いないのに、それをこうも綺麗に無視をする。
 もうどうでもいいと思いながら適当に手を出し、結局俺は2番になった。王様になったのは、ゲームをやろうと言い出した女で、何が楽しいのか目を瞑りながら杜の腕に絡みついて笑っていた。

「じゃーねー、2番が3番に抱きつく!」

「ウッソ、私3番なんだけど!…ていうか2番ってレンくんじゃない?」

 ふざけるな、と思った。
 どうして、名前も知らない女にそんなことをしなくちゃならない。

「蓮、ゲームだぜ?」

 俺の不機嫌を読み取ったように、杜からすぐさま挑発するような台詞が出る。その杜を睨み付けると、杜は口で言うほどゲームを楽しんでいるようには見えない表情をしていた。

 やはり、相変わらず杜は分からない。
 これほど、表面と頭の中の一致しない男も珍しいが、こんな杜の親友をずっと続けている万里もやはり俺と同じように分からないのかと言えばきっとそうじゃないだろう。俺が二人といる時間の倍は、杜と万里は一緒にいるのだから。

 今ここに万里がいれば、今杜が思っていることも簡単に分かるに違いないのに。

「もー、レンくん?王様の命令よー?」

 と、一人そんなことを考えていると、隣の女が不満そうな声をあげた。

 ――本当に、忌々しい。

「あ、もしかして恥ずかしい?じゃあね、リカがレンくんに抱きつくのでも可にしてあげる」

「アハハハ!じゃあ私が抱きついてあげる!」

 突然女の体が俺の左腕に密着して、その感触に本気で吐き気がした。そして女の両腕が俺の体に回された途端、鳥肌が立ったのが分かる。



 だが、その瞬間。
 香ったのは、きつい、香水の匂い。



「きゃっ!?」



 女が驚いたような声を上げたが、その声は俺の耳を左から右へと通り抜けた。堪らず突き放した俺の体についた女の残り香が、「彼」の空気の匂いを思い出させた。




「…き、り」




 ―――桐。




 あの、透明な匂いしかしなかった、桐のからだ。
 いつ抱きしめても、どれだけ抱きしめても、桐の体からは空気と同じ匂いしかしなくて、それは、俺が知る誰より好きな匂いだった。


 どうして、忘れていたんだろう。
 どうして、忘れていられたんだろう。
 あの、穏やかな笑みとか、俺の名前を呼ぶ少し低めの声とか。


『ヘーキか?』


 そう言って、俺を絶望の淵から救ってくれた優しすぎる手とか。






 ――会いたかった。
 もう、何でもいいから、はやく、桐に会いたかった。







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