13 −side k−


 

 呆然とした表情で、蓮は俺を見ていた。
 まるで信じられないものを見るかのようなその視線に、俺は自分が今どんな表情をしているのか想像がつく。
 きっと、蓮が見たことのない顔を、いや、蓮が一度も見たことのない「相良の」表情を俺はしてしまったんだろう。なぜか堪らなくなって涙をこぼした俺は、決して蓮が愛した人間ではなかったんだろう。

「…な、んで」

 唇を引き攣らせて、蓮は震える手を俺の頬に伸ばした。その手が俺の方にゆっくりと伸びてくるのを視線を端におさめながら、俺はずっと蓮の顔から目を離さなかった。

 頬を掠めた手のひらは、ついさっきまで繋いでいた蓮の手とは思えないほど、冷たかった。
 それは蓮も同じだったのかもしれない。俺の頬と自分の手との温度差に驚き、触れたと思った手はすぐに離れていった。

「…蓮」

 名前を呼んでも、蓮は気付いていないかのように俺から視線を外し、上半身をゆっくりと起こした。俺はもう一度「蓮」と名前を呼んでみたが、蓮はやはり俺を見ることなく立ち上がり、おぼつかない足取りで海の方に歩を進めようとした。

「蓮」

 今度は、強く、名前を呼ぶ。すると、蓮はゆるりと起き上がった俺の方に顔を向け、そして堪えきれないように涙を流した。
 その顔は、俺が初めて蓮に会った時の顔と恐ろしく似ていて、だが、決して同じじゃなかった。
 俺がどれだけ蓮が愛した人間に似ていても、絶対に俺が彼じゃないと気付いてしまった、そんな目をしていた。

「……な、んで、相良は死んだんだろ」

 頬を涙で濡らしながら、蓮は小さく、そして静かな声でそう呟いた。その声も、そしてその顔も確かに「俺」に向かっていて、ああ、蓮は戻って来れたんだろうと思った。

「俺の、全部だった」

「………」

「手も、足も、心臓も、なんだって相良にはあげたのに」

「……蓮」

「命が、手でさわれるもんだったら、絶対、俺の、相良にあげたのに。なのに、なんで」

 

「なんで、いなくなる……!?」

 

 それは、小さな小さな声だったのに、泣き叫んでいるよりずっと悲痛な慟哭だった。

 体を震わせ、両腕で頭を抱え込み、砂浜の上に蹲りながら、蓮は静かに泣いた。
 その姿の――愛していた人間を失って泣く蓮のあまりの神聖さに、俺は抱きしめてやることもできなかった。両腕の隙間から見える蓮の綺麗な顔は、泣き崩れてもその美しさを決して損なわず、まるで聖人のように思えた。

 一体、この世界に生きている人間の中の何人が、こうやって、ただただ誰かの死を悼むことができるだろうか。
 ひたすら唯一人を愛して、その人間のためなら何だって、そう、命すら差し出せるほどに深く愛して、狂ってしまえるほどに。

『相良』

 そう言って、微笑んでいたいつかの蓮を思い出す。
 愛した人間のためだけに微笑む顔は、それが蓮でなくても俺の胸を締め付けるんだろうか。
 あの時も、その笑みにどうしようもなく心臓が苦しくなって、そして、月日が経った今でもこうも忘れられない。


「――っ蓮!?」

 バサリと音がして、その音に我に返ると蓮が砂浜に倒れていた。
 思考を振り切るようにして急いで蓮の傍に駆け寄る。どうやら気を失ったらしい蓮は、その目から一筋涙を流し、そしてうわ言のように短い言葉を紡いだ。その声は、ほとんど空気に消え入ってしまって俺の耳には入ってこなかったが、その口の形がどういう言葉をかたどったのか、何故か俺にはすぐに理解できた。


 
だが、きっと、聞こえなくて良かったのだ。
 蓮は、彼だけに、その言葉を伝えたかったのだから。 

 



 

「じゃあ、よろしくお願いします」

       民宿の主人だろう老婆にそう言うと、彼女はどこか痛ましいものでも見るように俺を見た。それが、昨日の晩、話さざるを得なかった事情のせいだとは分かっていたが、俺はその視線を振り切るしかできなかった。

「…それで、いいのかい?」

 しわがれた、それでいて芯の通った声は、耳というよりは、胸の中に真っ直ぐ響いた。

「お願い、します。俺がいると、元に戻るかもしれないので」

「…それでも、いいじゃないか」

「え?」

「また、アンタが戻してあげたらいいさ」


 それは、もう無理だ。
 そうすることだって、考えなかったわけじゃない。「相良」のまま、蓮のそばにいてやってもいいのかもしれないと思ったときもあった。
 ――いや、そうじゃないんだろう。
 俺は、「相良」のままでもいいから、あんな風に、誰かに愛されていたかった。
 誰より俺に優しくて、誰より俺のことを想って、そして、誰より――自分自身より俺が愛しいと言う蓮を、どうか、どうか俺に下さいと、いもしない神に祈った。
 欲しくて、どうしようもなく蓮が欲しくて、蓮が「俺」を愛してくれるのならいっそ狂ってもいいと。

 祈るように。


「…いいんだ」

「………」

「じゃあ、俺は帰ります。…本当に、ありがとうございました」

「…気ぃつけてな」

「はい。…よろしくお願いします」

 そう言って深く礼をして、俺は足早に旅館から出た。朝一番の船に乗るからと、船が出る2時間も前に民宿を出た理由を、老婆はきっと気付いているんだろう。

 礼をしたときに差し出した手を握ってくれた老婆の手は、乾燥してザラザラしていたのに、泣きたくなるほどあたたかかった。

 

 


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