12 −side r−


 

 相良が、波照間島に行こうと言い出したのは、相良の大学が夏休みに入ってすぐのことだった。それを断る理由など当然ない俺は即座に頷き、その翌日二人で旅行会社に行った。
 旅行会社の人間はちょうど今の時期にはツアーがあると勧めてきたが、俺が人が多いのは嫌だと言うと、とりあえず宿泊と旅券だけ手配して欲しいと相良が申し訳なさそうにその男に言った。その言い方があまりに相良らしくなくて驚いたが、それを言えば怒り出すかもしれないと思って口には出さなかった。

 そしてその3日後、俺と相良は波照間島行きの飛行機に乗った。

 

 羽田から石垣島に飛び、それから船に1時間ほど揺られて着いたその島は、本当に楽園としか言いようがなかった。
 これが、俺が住んでいる日本の一部なのかと、まるで信じられないような気持ちで周りを見渡す。それは相良も同じだったようで、石垣に着いた時にしていた、呆気に取られたような表情をここでもやっぱりしていて、その顔に、ああ、来てよかったと本当に思った。

 予約していた旅館に向かうと、そこは写真で見せられたとおり、あまり立派とは言えない民宿のような所だった。こういう所に泊まったことのない俺は、いくら写真で見ていたとは言えやはり驚いてしまい少し呆然としていたが、相良が何の躊躇もせず中に入って行くのを見てその後ろに続いた。
 用意されていた部屋も当然広いとは言えない部屋だったが、相良がどこか嬉しそうに「なんか、いいな」と言って笑ったので、俺も釣られて笑ってしまった。本当、部屋なんてどうでもいいな、と。

 それから夕食の時間までその辺をぶらぶらして、日本最南端の石碑が立っている場所まで自転車で行った。でも本当は石碑の先のなにもない原っぱの終わりがそうなのだと聞いていたのでそこまで行くと、ゆるやかな崖下には青い海が広がっていて、相良と二人、ぼうっとその原っぱに座っていた。結局その場所で1時間ぐらい時間をつぶして、帰りがてら色々な場所を見ながら民宿に戻った。

 民宿で出された料理はこれでもかと量が多くて、どちらかと言えば食の細い俺と相良は全部食べ切れなかった。半分も食べきれずに苦しそうにしている俺たちを民宿の人間は可笑しそうに笑って、その笑い方があまりに気持ちよくて俺も相良も目を合わせて笑った。

 

「相良、海行こうよ」

 そう相良に話しかけたのは、夜の8時を過ぎた頃だった。シャワーを浴びて、俺も相良も泡盛を少しだけ飲み、軽く酔っていた。だからか、相良は何も言わずに俺の誘いに乗り、二人で旅館を出た。

 

 何もかもが綺麗な夜だった。

 頭上に広がる夜空には、白く浮かび上がる上弦の月があって、その周りを取り囲むように幾多の星がある。寝転んでいる砂浜は暖かくて、本当に何もかもが綺麗な島だと思った。

「キレーだな」

 と、俺の心の中を読んだような相良の声が聞こえて、俺はうんと頷いた。顔を横に向ければ、空を食い入るように見つめている相良の横顔が見えて、何年か前、同じようにこうやって相良の顔を見たことを思い出した。

「…あのときと、どっちが好き?」

「え?」

「北海道行ったときも、こうやって星見てたから」

 そう言うと、相良は一瞬だけ辛そうな表情をして、すぐに元の表情に戻した。その表情が気になって、目で「どうした?」と問うと、相良は首をゆるく振って、俺から視線を逸らした。それに釣られるように俺も視線を空に戻す。あの時より空気は暖かいし、星の形も全然違うけれど、それでも隣に相良がいることだけは変わらない。それは、俺にとって何より幸せだと思った。

「…あのときさ」

「ん?」

「あのとき、相良が北海道行こうって言ってくれたとき、嬉しかったんだ」

「………」

「親と旅行に行ったことなんてないし、杜と万里とも修学旅行で一緒になったってだけだっただろ?それに、人多いの苦手だから、自由行動ん時はいつもホテルのロビーでぼーっとしてた。だから、あのときが初めてだった」

「…そうか」

「うん。それにさ、初等部の時、遠足が北海道だったんだよ。なのに、俺、あそこが綺麗だって知ったの、相良と一緒に行ったときが初めてだった」

 あの時、相良と二人で星を見て、初めてあの大地が美しいと知った。

 俺も相良も人が多いのは苦手で、観光名所なんてところには一つも行かなくて、なのに、あそこは綺麗で、雄大で、なにもかもが透き通ったように美しかった。

 でもそれが、空気とか空とか、そういう自然だけのせいじゃないことは、分かっていた。

 確かに、何もかもが生まれ育った東京とは全然違くて、ここで暮らせたらどんなに幸せだろうと思った。だが、そこには絶対に必要で、絶対になくてはならないものがあると、俺は知っていた。

 

 つないでいた手の、泣きたくなるほどのあたたかさ。

 

 きっとそれさえあれば、俺は東京だろうが北海道だろうが、そしてこの島だろうが、どこでだって生きていける。

 

「愛してるよ、相良」

 

 そう言ってつないだ手は、やはりあたたかかった。

 ――なのに。

 

 

 相良は、絶対に、泣いたことがない。
 俺が相良と知り合って10年以上経つが、その10数年で俺は相良が泣いているのを一度も見たことがない。

『俺は、何があっても泣けない』

 そう言って、泣きそうな顔で俺に抱きついてきた相良を、俺は今でも鮮明に憶えている。
 7歳の時父親に目の前で死なれた相良は、その時から一度も「泣けない」のだと。

 

 なのに、目の前の相良は泣いていた。

 

 

 相良は、決して、相良じゃなかった。

 

 

 


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