欲しかった。
 どうしても――何をしてでも、彼が欲しかった。。

 

 

 


 


 
見えない世界、見える表情、消える言葉
 
憎しみの沈殿した世の、なんと美しいことか





 

The face


 

 あの時のことは、今でも鮮明に覚えている。
 夏の夕刻、橙色の光が古ぼけた廊下を美しく照らしていた。
 それから、音も立てずに向かった彼の部屋からは、生々しい喘ぎ声と、荒い呼吸だけが聞こえた。

「弓弦?」

 呼ばれた声に、弓弦(ユヅル)はハッと我に返った。
 上を向けば、そこには彼の綺麗な顔が触れるほど近くにあって。それから目に飛び込んできた彼の裸体に、そうだ、ほんの数分前に彼の中で達したばかりだったと弓弦は心の中だけで小さく笑った。

「……どこか行くの?」

「買い出し。夕飯の材料ねえし」

 そう言って屈託なく笑んだ清秋(キヨアキ)に、弓弦も似たような笑みを返してやる。軽く清秋の頬を撫ぜると、清秋は弓弦の額に軽くキスを落として、静かにベッドから降りた。
 広くなったベッドの上で仰向けになると、それまで塞がれていた右耳から衣擦れの音が聞こえる。清秋の綺麗な肩甲骨が黒色のシャツに隠れたのが、視界の隅に見えた。
 己より広い背に赤い痕すら残せぬ自分は、彼にとって一体何なんだろうか。
 そんなことを考えて、弓弦は自嘲するように笑む。考えたところで何になる。彼にとって、己は恋人でも愛人でもない。というより、そうなれるはずもない。
 軽く身体を起こし、ベッド脇に立っていた彼の腕を引く。「わっ」という声とともにドスンとベッドについた肩を掴んで、そのまま体を反転させた。
 四つん這いになった彼のシャツの中に、スルリと手を差し込む。情交の名残か、もしくはただシャツに擦れたせいなのか、彼の胸の尖りは固くなっていた。

「…ん、おいっ…弓弦」

「何」

「っ…ンっ、」

 下着の上から彼自身をなぞり上げれば、他愛も無く厭らしい声が上がる。
 腕の中の麗人が快楽に酔う様はあまりに美しくて、そんな処が、己だけでなく、彼を所有していた人間にも堪らなかったんだろうと容易く想像できた。
 片方の手を後ろに忍ばせれば、ついさっきまで己を受け入れていたそこは呆気なく弓弦の指が沈む。中を広げるようにもう一本指を忍ばしてもまだ余裕があった。
 クイ、と内壁を押すように指を曲げる。彼のどこが、どういう風に感じるのか、弓弦は否応なしに知っている。

「クッ…っっ!駄目、だ…ッ」

「…うん、まだイッちゃ駄目」

 乱暴に彼の下着を降ろし、指を抜くと同時に自身を突き入れる。途端低く彼は啼いて、どうやら入れただけで達してしまったことが分かった。

「……駄目って言ったのに……お仕置きだね」

「お…いっ、もう、無理だって…あ、ア…!」

 腰を前後に揺り動かすと、達したはずの彼の性器から精子の残滓が零れるのが見える。無理やり前立腺を刺激されて、彼が今感じているのは快と痛みが半々ぐらいだろう。
 だがこの程度のことなら、彼があの人にされたことに比べれば耐えるのは容易いのかもしれない。
 幾度となく見せられた彼と彼女とのそれは、セックスと呼べるものではなかったから。

 

『いいわよ?見ていても』

 

 支配者の優越。所有者の余裕。
 そんな言葉が相応しいだろう清秋のパトロンだった女は、情交を覗いた弓弦を責めるでもなく、そう言って弓弦を手招きした。
 夏の夕刻。
 昼の暑さが抜け切れぬ自宅の奥座敷で見た悪夢のような光景は、忘れたくとも忘れられない。

 

「、ゆづ、る……っ」

 強請るように顔を向ける彼に弓弦は小さく笑んで、ヌプ、と水音を立てながら自身を引き抜く。どうせ達することはできないと分かっていた。ただ彼を行かせたくないがために勃たせた己の性器は、常の半分の強度もない。彼がいなくなれば簡単に柔らかく戻るだろう。
 ハア、ハアと彼の荒い息が聞こえる。
 ああそうだ、この息の音に誘われて、あの光景を見る破目になったのだ。

『アアっ、あんっ、あっ、あぁっ』

 襖の向こうから聞こえたのは、厭らしく喘ぐ女の声と。

『…ハっ…ハ、ア…ッ』

 目の前の人の、何かを堪えるような荒い呼吸音。

 そして襖を開けた先に見えたのは、両手を縛られ、左足首に鉄鎖を付けられた彼の姿。

 

 そんな彼に跨って腰を振っていたのは、弓弦の、母親。

  

 あの時から己は女を相手にできなくなったのだと、弓弦は自信を持って言える。
 14で見せられるにはあまりに卑猥で、あまりに不条理なセックス過ぎた。
 あの時まだ13だった清秋は、母親に犯されていた以外の何物でもないのだから。

 

 そんな母親が死んだのが、1年前。
 母親の遺した財産を相続した弓弦が、清秋の今の保護者だった。

 

 

 あの夏の夕刻から、6年。
 あの時は己より低かった清秋の身長は、いつの間にか弓弦を追い越し、もうあの頃の面影はほとんどない。うつ伏せたまま荒く息を吐く男は、完成された男そのものだ。
 街に出れば、知らず視線を集める目の前の男。知らぬ人間でもそうなのだ、大学での清秋の姿は容易に思い浮かべられる。
 そんな人間を、己は汚すぎる方法で縛り付けているのだ。
 まだ彼が母親のものだった頃でさえ、憎くてたまらないだろう女の息子である弓弦にあたたかな視線を向けてくれた、あまりに優しすぎる彼を。
 ――だから、あと1年だけ。
 彼が成人するまでのあと少しの間だけ、己の我侭を許してくれと弓弦は清秋を抱く度に思う。

 彼が離れることを想像するだけで心臓を抉り取られるような痛みが胸に走っても。
 彼が己でない人間の傍で笑うところを見る度にどうしようもなく体が震えても。
 それでも、耐えるから、どうか。

 どうか、次の夏が来るまでは、己の傍にいてくれと。

 

「…このまま寝てて。今日は俺が夕飯作る」

「あ?いいって…そんなこと弓弦にさせられるかよ」

「いいから寝て」

 起き上がろうとする清秋に掛け布団をかけてやる。
 清秋の身体に通常サイズのそれは足りなかったらしく、足先が少し出ているのが可笑しかった。

「…今度、布団買いに行こう」

「は?なんで」

「何でも」

 そう言って、小さく笑う。

 ――少しでも、キレイな思い出として残って欲しい。
答えられぬ答えは、ひどく我侭で利己的だ。

 ふと床に目を落とすと、くしゃくしゃになった彼のシャツがあった。
 それを手にとって、肌の上からそのまま羽織る。腕を通したところで香った彼の匂いに、ひどく幸せだと思った。わずかに余る袖も、己には似合わぬ黒色も、その何もかもが。

 

「じゃ、行ってくる」

 着替えを終え枕元に目をやれば、そこには寝息を立てる彼の姿があった。
 目を閉じるとどこか少年染みる彼の寝顔に、思わず笑みが浮かぶ。少し汗ばんだ額から髪を払ってやると、小さく喉を鳴らした。

「…ごめんね」

 眠る男にしか言えない、懺悔の言葉。

「あと少しだけ、傍にいて」

 聞こえぬ男にしか言わない、卑怯な台詞。

 

「……愛してるよ」

 

 

 けれどそれでも、己は彼を愛している。

 

 



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