「ずっと好きだったんだ。俺と付き合ってくれないかな」

 そんな男の声が隣から聞こえて、掲示板を見ていた航は目を丸くした。
 いくらほとんど人気がないとは言え、キャンパス内のこんな目立つ場所で告白なんてものをしている男にいくばくかの尊敬を覚えつつ、とすれば俺は邪魔だなと航はそそくさと掲示板の前から踵を返す。――が。

「へ?」

 ぐいと後ろから肩を掴まれ、なんだと思って振り向いた先にいたのは同じ学年の有名人だった。
 入学当初からその整った顔で女子の視線を集めまくっていた男――海老原脩一その人がそこには立っていた。

「っと…何?」

「好きです。付き合ってください」

「……………へ?」

 ニッコリと綺麗な笑みを浮かべている海老原の顔を、航はまじまじと見つめた。
 大学に入学して2週間、一言も喋ったことのない男に告白されているという事実を航が即時に理解するには、少々というかかなり衝撃的すぎる現実だった。

「ああ、自己紹介がまだだった。俺は海老原脩一。理学部物理学科の1年」

 いや、それは知ってるけど。
 そう心の中で突っ込むものの、それを口に出せるほど航は未だ平常心を取り戻せてはいない。だが、海老原が「崎谷?」と言いながら航の目の前で手をヒラヒラさせて、それを見た航はやっと我に返った。

「…俺は、名前は崎谷航で…生物工学科の1年…」

 が、やはりまだ頭は機能していなかったらしい。
 告白されたということはいつの間にか航の脳みそから追い出され、そこはただの自己紹介の場となってしまった。
 しかし、当の海老原はそんな航を全く気にした風でなく、穏やかな笑みをその顔に乗せたままでいる。そんな海老原の顔を見ながら、確かにちょっと騒ぎたくなるのも分かる顔だなと航は無意識に現実逃避した。

「これから暇?」

「え?」

「俺の家、大学のすぐ傍なんだ。料理すんの趣味だし、良ければ食べていかない?」

「…料理?」

「そ。歩いて10分ぐらいなんだけど、崎谷って大学まで何で来てる?」

「いや、何も…歩き」

「ならこのまんまでいいか。行こう?」

「は、あ…」

 何がなんだか分からないうちに、海老原は航に背を向けて歩き出してしまった。何でこんなことに、とは思うものの、いつの間にか誘いを受けた形になってしまったのだから着いていかないわけにもいかない。そして、そこで初めて航はやっと自分が告白されたことを思い出したのだが、もしかしたら冗談だったのかもしれないしなと自分に都合よく解釈して、とぼとぼと海老原の後ろを歩き始めた。

 

 

「こ、れ…全部海老原が作ったのか?」

 テーブルに並べられた料理は、テレビや雑誌でしか見たことがないような名前も知らない料理ばかりだった。
 歩いて10分ちょっとで着いた海老原のマンションは航の部屋より断然広くかつ小奇麗だったが、いくら何でもマンションの綺麗さと料理の豪華さに相関関係はないよなと意味の分からないことまで考えてしまうほど。

「いつもはこんなに作らないんだけど、まあ、一応好きな子に作るんだから気合入れないと」

「す!?…き」

 耳に届いた台詞に航は同じ言葉を繰り返しそうになったが、否応なしに声が尻つぼみになる。そんな航に海老原は人の目を惹きつけるような色気のある笑みを浮かべて、航は咄嗟に視線をテーブルの上の料理に戻した。

「じゃ、とりあえず食おうか?」

「……う、ん」

 海老原の台詞に心の中で大きく安堵の息を吐き、航はイタダキマスと言って目の前の料理に箸をつけた。

 

 航が海老原の作ってくれた食事をぼそぼそと食べている間、海老原はその視線をずっと航の上に置いていた。そのことを航は嫌が応でも気付かざるを得なくて、目の前の食事はとてつもなく美味いのに味どころではなくなる。時折ちらりと海老原の方を見てみれば、必ずと言っていいほど自分を見つめる海老原の視線がそこにはあって、本気でどうしようと航は内心汗をダラダラと流した。
 ただでさえ見られていることで落ち着かないと言うのに、海老原ほど顔の造作の綺麗な人間に見つめられているとなるともう緊張の域に達してしまう。さらに自分を見つめる双眸がどこか熱の籠もったものとなれば尚更というものだ。
 あまり気の大きい方ではない航もさすがに耐え切れなくなって、こわごわと口を開いた。

「あ、のさ」

「ん?」

 正面から見る海老原の顔には、掲示板の前で会った時と同じ穏やかそうな笑みが乗っていて少し気後れしてしまう。だが、ここで言っておかなければずるずると流されていってしまう気がして、航は腹を括った。

「あの告白…冗談、だよな?」

「本気だよ」

「…………」

「入学式で見かけた時から気になってたんだ」

 そう言う海老原の顔は確かに嘘を言っているようには見えない。清廉な顔に酷く真剣な表情を乗せ、そしてその双眸には強い意志がこめられているように見える。
 ――だが、何故だろう。
 表情や声色が真摯であればあるほど、酷く違和感がした。
 何がと問われても航も上手く答えることはできないが、海老原という人間は、会ってまだ2週間も経っていない人間に自分の感情を晒すような性質の男には見えない。
 少々複雑な環境で育った自分の穿ったものの見方のせいなのかもしれないとも思うが、それと同じくらいこの違和感が間違っていないとも航は思っていた。
 それに、まず根本的な事ではあるが。

「…そんな大層な見てくれじゃないんだけど」

 航は、自分の顔が十人並みだということをちゃんと理解している。不細工ではないが海老原のように人の目を惹くような整った貌でもない。取り立てて言うほどの特徴もない、平々凡々な顔なのだ。
 そんな自分におよそ一目惚れしたとでも言いたげな海老原の言葉は、いくらなんでも信じろという方が無理だろうというものだった。それに、万が一海老原が通常人とは異なった美的感覚の持ち主だったとしても、航程度の顔立ちの男なら同じ学年にごろごろいる。

「顔じゃないよ、崎谷の好きなとこ」

 そんな航の内心に気付いたのか、タイミング良く海老原のそんな台詞が耳に届いた。だが、その台詞にも航は内心首を傾げるしかない。顔でないとすれば性格とか趣味とかそういう中身ということになるわけだが、航と海老原が話したのは今日が初めてである。

「分からない、って顔してるな」

「…そりゃあ、ね」

 そう答えると、海老原はクスクスと可笑しそうに笑った。そして、おもむろに皿の上に残っていたテリーヌをフォークに刺し、口に入れる。テーブルマナーの何たるかなど全く知らない航から見ても、海老原のそれは優雅としか言いようのない食べ方だった。
 が、テリーヌを咀嚼し終えた海老原の口から発せられた言葉に、航は瞬時に硬直した。思考も、そして体も。

「なんつーかさあ、体中から溢れる被虐オーラっつーの?俺完全なSだからさ、そーゆー人間見るとヤりたくてたまんなくなるんだよ」

「…………」

 スッキリと綺麗に整った顔立ちは、ともすれば清冽とさえ言えるかもしれない。
 さぞや高校生の時は生徒会長やら学級委員長やらが似合っていただろうなあと思うような、優等生然とした顔なのだ、海老原という男の顔は。

 なのに。

「崎谷って、ぜってぇイイ顔して啼いてくれると思うんだよなあ」

 ついさっきまでの、航が恐縮してしまうぐらいの丁寧な口調は一体どこに行ってしまったのか。
 そして、その顔でそういうことを言うなと泣きつきたくなるような台詞が薄い唇からこれでもかと発せられて、航は目の前の男は誰なんだと、つい1、2時間ほど前の海老原に聞きに行きたかった。

 

  




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