プラトニック・スゥイサイド

 

 

  

 この世の誰より愛している男に、この世の誰より憎まれるということ。
 それは、人の命を奪った罪を償えと、神様が俺に与えた罰なのかもしれない。
 でも、それでも、俺は幸せだったんだ。
 たとえあいつが俺を憎んでいたとしても、俺はできうる限りずっとあいつと一緒にいることができたから。
 それが本当の笑顔じゃないとしても、あいつの笑顔を見ていることができたし、
 それが本心じゃなくても、あいつから好きだと言ってもらうことができたんだから。
 やっぱり、俺は幸せだった。

 

 


 

「航(ワタル)?何ぼーっとしてんだ?」

 へ?と航が間抜けな顔で問い返した先には、見慣れた男の顔があった。うん、相変わらず今日もイイ男だと思いながら、なんでもないと言ってヘヘと笑う。すると海老原(エビハラ)は呆れたような顔を航に一旦向け、それから諦めたように航の額を軽くデコピンした。

「ほら、冷めるから早く食べろ」

「うん」

 そう言って航がテーブルに視線を移すと、そこには朝食にしては豪華としか言いようのないメニューが所狭しと並んでいる。
 厚切りのベーコンエッグトースト。ささみ肉とトマトのサラダ。かぼちゃのスープ。苺ヨーグルト。そしてオレンジジュース。
 男二人所帯の食卓に並ぶにはいささか不自然にすぎる完璧なメニューは当然航が作ったものではない。
 大抵のことはそつなくこなせてしまう海老原だが、航が「どうしたんだ」と何度も聞いてしまうほど食事に凝りだしたのはここ1ヶ月のことだ。それは朝食だけにはとどまらず、と言うより夕食になるとさらに凄いものが出る。
 大学のゼミでは教授すら聞き惚れるほどの完璧な論理を展開させ、家では航が目を剥くほどの絶品料理を作れる海老原を航は本気で尊敬している。

「そうだ、航。お前今日講義何コマまで?」

「あーー、多分4コマかな」

「じゃあ4コマの後学食の前のベンチで待ってるから、久しぶりに外で食べよう」

「いいけど…珍しいな、海老原が外で食おうなんて」

「まあたまには。つうか、ココ、ついてる」

 海老原に指摘された口の脇を航は指で擦る。だがついているらしい何かが取れた様子はなく、反対側かと思って同じことをしてもやはり指には何もついていない。
 と、そこににゅっと手が伸びてきて、唇の端を軽く拭われた。

「あ、あんがと」

「もう慣れた」

 そう言って端整な顔にキレイな笑みを乗せながら、海老原は航の唇についていたドレッシングを拭った指をペロリと舐め取る。相変わらず顔の割りにやることなすこと変に色っぽいなあと航は思った。

 

 航と海老原は、所謂同棲というものをしている。しかも、その期間は既に2年と3ヶ月に及んでいるので、同棲っつーかもう夫婦じゃねえ?と海老原の友人の黒田芹(クロダセリ)は言ったりするが、航もそれに反論する気は毛頭ない。
 つまりは二人は恋人同士なのだが、男同士というところはとりあえず置いておくとしても、どうして海老原が航と付き合っているのか不思議でならないと、二人の付き合いを知る友人たちに繰り返し言われるほどあまり釣り合いの取れていない二人だった。
 崎谷(サキヤ)航という人間は、誰しもがその特徴を挙げよと言われたら悩まずにはいられないような平々凡々な人間である。若干お人よしで気の弱い、線の細い男だというぐらいしか表現のしようがない。
 反して、海老原脩一(シュウイチ)という人間は、その特徴を挙げよと言われても誰も答えには詰まらない。大抵の人間はすぐに「カッコイイ」であるとか「頭が良い」であるとか答えることができる。そして、さらに彼を知る人間なら「イイ奴」とか「いつも冷静」とかさらに褒め称えるような答えが返ってきて、彼を好いている人間に至っては「ストイックな感じがソソる」とか「ちょっと一晩オネガイしたいって感じかも」とかかなり際どい答えまで返ってきたりもする。
 と、そんな二人がお付き合いを――しかもかれこれ2年半も――しているのは、周りから見れば不思議としか言いようがないらしい。

 


「…もう食べないのか?」

「あ、うん。多分昨日の夜いっぱい食べたからじゃねーかな」

 にへらと表情を緩ませながら航がそう言うと、海老原はカチャリと音を立てて持っていたフォークを皿に置く。その皿にはまだ食べ終えていないサラダが半分以上残っていて、食べ物を残さない海老原にしては珍しいなと航は思った。

「なあ、航」

「ん?」

「体重、まだ元に戻ってないのか」

 思いのほか真剣な海老原の表情に、航は一瞬息をつめる。海老原が普段している穏やかそうな顔とは打って変わって、時々垣間見せるまるで温度のないその表情に、航は一緒に暮らして2年が経った今でも慣れることができなかった。

「どうなんだ?」

「え、あ…た、多分戻ったと思うぞ?体重なんてそう頻繁に量んねえから何キロとかはわかんねーけど」

「…そこにあるから、今乗ってみろ」

 その台詞に、航はひゅっと息を呑む。

「え、海老原、まじ後でいいって。ほら、お前まだ食い終わってねーし」

「いいから早く乗れ」

 そう言われたと同時に腕をぐいと掴まれ、航はほとんど無理やり椅子から立ち上がらせられた。
 そしてリビングの脇に置いてあった体重計の上に有無を言わさず乗せられる。どうにか重さを誤魔化すものはないかと視線だけをキョロキョロ動かしてはみたが、手に取れるものは帽子ぐらいしかなかった。

「……減ってるだろ、航?」

 デジタル表示は、50.6kg。177センチという航の身長からすれば、軽すぎるなんてものではない。

「正直に言えよ航」

 鈍い痛みが走るほど強い力で海老原は航の肩を掴み、そして何時にないほど真剣な双眸を航に向けた。
 ひどく暗い色をした、強い視線を。

 

 航は、そんな海老原にいつものように静かに笑みを向けてやる。
 この1ヶ月、海老原がどこか異常なくらい凝った食事を作り続けたのは、自分の体重を元に戻すためだったことを航は知っているから。
 そしてその事実は、もしかしたら少しだけ、ほんの少しだけでも、海老原が航を許してくれたのかもしれないと航に思わせてくれたから。

 

「…大丈夫だよ、海老原」

 

 体重計から降り、そう言いながら航は自分より高い位置にある頭をやさしく抱きしめた。
 すると、海老原は目の前にいる航を確かめるかのように強くその体を抱きしめる。それは、ほとんど脂肪のない航の体に少しではない痛みを伴わせて、けれど、航には体に走る痛みすらいとしかった。

 

 

 




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