王子様の恋人C





ラブ・バグ 


  

「では、指輪の交換を」

「………」

 何なんだ、この非常事態は。
 服を脱がしにかかる氷依をどうにかこうにか言いくるめ、やっとのことで学園の氷依の部屋を出たのがほんの1時間前。そのまま例の如く優雅かつ強引に車の中に詰め込まれ、何故かやたらと興奮している氷依に不信感ありありの視線を向けていたのが多分45分ぐらい前で、「ここは日本か?」と真顔で氷依に聞いた、家というには恐れ多いような建造物に連れて来られたのが30分程前だ。

「さ、ハニー。左手を差し出しておくれ」

「あ?」

「…ああ、僕のハニーは何て照れ屋さんなんだろう…いいよ、ダーリンである僕が全てやってあげるからね」

「へ?」

 あれよあれよと言う間にだらりと下げていただけの左手を取られ、スルリと珍妙な物体が俺の薬指に嵌められる。いや、その物体自体は珍妙でも何でもない。やたらでかい石のついた指輪はキラキラしていてとても綺麗だ。だが、そこに俺の指があるとなると話は変わってくる。ほらあれだ、例えて言うなら冷蔵庫に靴が入っているような。もしくはそれこそ豚の指に真珠の指輪が…あ?豚に指なんぞあったか?
 …と、そんなワケの分からないことを延々考えていたあたり、俺の脳みそはこの時いつもの半分も働いていなかったに違いない。

「では、これで婚約の儀を終了いたします。婚姻の儀は1週間後ということでよろしいですか、氷依さま?」

「何だ、もっと早くならないのか?僕は明日にでもしたい」

「はい…私どもと致しましても早く理久さまをお迎えしたいのですが、理久さまを最高の状態でお迎えするにはいましばらく日にちが必要なのでございます」

「それじゃあ仕方ないな…じゃあ1週間後でいい」

「有難うございます。今日から婚姻の日までを過ごしていただくためのお住まいは既に整えてございますので、これから桜(さくら)がお送りいたします」

「分かった」

 …今の会話は、何だ。
 としひさとか聞こえたが、まさか俺のことじゃないだろうな?いや、それより何より今度はこんいんのぎとか言っていたか?婚姻、の、儀とかで単語を区切ったらそれこそホラーだ。

「ハニー」

「あ?」

 …あ!?
 また…また俺はハニーなんてふざけた呼称に反応を…!

「紹介するよ。僕付きのもう一人の執事、桜だ」

 …桜か。
 その可愛らしい名前にさっきまでの後悔はとりあえず忘れ、若干の期待を込めながら顔を上げる。すると、そこにはスーツを着たプロレスラーがいた。

「…おい、どこにいるんだ、その桜さんとやらは?」

「目の前にいるじゃないか、ハニー?」

「目の前……」

 そう呟きながら目の前を見るも、そこにはプロレスラーが一人しかいない。…が。

「はじめまして、理久さま。桜と申します。この度はご婚約、誠におめでとうございます」

「………」

 ニコリと微笑んで頭を下げたプロレスラーは、目には黒いサングラス、口の周りには濃い髭、そして身長は多分190近い上に、その胸板はシャツがはち切れそうに厚い。
 なのに。
 なのに、「桜」。
 いや、人を名前で判断するのは良くないというのは分かっているが、いくら何でもギャップがありすぎるだろうと俺は悲しくなってしまった。

「…どうも、一木理久です」

「ハニー…そんな丁寧すぎるところも大好きだよ。桜、車の用意はできているかい?」

「はい。東門に」

「そうか。さ、ハニー、仮初めではあるけれど僕等の愛の館に行こうか」

 そう言って、氷依はおもむろに俺の顔の前に左手を翳した。そして何故か俺の左手を掴み、俺の手も合わせて顔の前に翳す。何だ?と思いながらとりあえず氷依と俺の左手に胡乱げに目をやると、そこにあった物に俺はやっと我に返った。

「お、お、お、おい氷依!!何なんだこのゆび、ゆび、ゆび」

「ああハニー!ハニーなら僕の心に気付いてくれると思っていたよ。婚約の儀の時は、この僕等の愛の証を十分堪能することができなかったからね」

「あいのあかし!?」

「……そうか、ごめんよ、ハニー…」

 俺が叫んだ途端突然悲しげな顔になった氷依に、俺は訳も分からず怪訝な顔を向けた。だがすぐに「そうか!やっと気付いたか、この状況がどれだけ変かってことに!」と心の中で叫び、俺は意気消沈している氷依の肩をガシと掴もうとした――のだが。

「前から用意していればもっと大きなダイヤを用意できたんだけれど、すぐにでも婚約したくてね…20カラットのものしか手に入らなかったんだよ」

「…は?」

「まかせてくれハニー。結婚の時には世界最高のダイヤを君にプレゼントするよ」

「な、ち、違う!!俺はダイヤなんて別に欲しくねえ!」

「…ハニー…なんて奥ゆかしくてステキなんだ僕の最愛の恋人は」

「いや、だから……どわっっ」

 突然膝を持ち上げられたかと思うと、俺は世に言うお姫さま抱っ……いや、言いたくない。たとえ心の中でもそんな単語は死んでも言いたくない。
 とにかく絵的にとんでもなく面妖な格好を俺はさせられた。いやはや、想像するだけで俺は吐ける。180強の男に抱えられる180弱の男。そして男同士でお揃いの指輪。

「桜、三条に行くぞ」

「かしこまりました」

 …変態同士は会話も軽やかだな。
 ははははと心の中で乾いた笑いを零しながら、俺はそう思った。というか、それ以外思う余裕なんぞ1ミリもなかった。



 

「ではこれで失礼いたします。どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ」

 そう言って、プロレスラー…じゃない、桜さんは畏まった礼をして部屋から出て行った。パタンとドアが閉められる音がしたと同時に、俺ははああああと盛大なため息をつく。そして何ともなしにぐるりと部屋を見渡し、もう一度はああああとでかいため息をついた。

『今日より1週間、理久さまにお過ごしいただくお部屋でございます。少々手狭かもしれませんが、どうぞお許しくださいませ』

 とかなんとか言われた部屋は、部屋の中に部屋が3つもついている、手狭という単語とは絶対に無縁の部屋だった。しかも、ドレープがかった重厚なカーテンといい、見たこともない模様の壁といい、そして今座っている妙に触り心地のいいソファといい、『世界のお金持ち特集』とやらでしか見たことのないような調度品だらけ。
 そして、その中にいる俺。

「シュール過ぎだろ…」

 思わずそんな独り言が口をついて出る。だが、その独り言に反応する人間がいない状況に今日初めてなれたことに気付き、俺は今のうちだとばかりに、それまで働いていなかったというか、働かせることができなかった脳みそをフル回転させた。

 

 まず、何でこんなことになったのか。

「…あの変態のせいだ」

 次に、どうして今俺はここにいるのか。

「あの変態のせいだ」

 そう呟いたところで、そんなのは最初から分かりきってるだろうがと気付く。とどのつまり。

「問題は、どうやって逃げるか、だ」

 この、小宇宙的展開からどうにかして逃げ果せなければ、俺に未来はない気がする。というか、絶対にない。何故だかは分からないが、それだけは自信がある。
 …しかし、なんだって氷依は俺などを気に入ったんだろうか。あの変態に性差云々が通用しないのはそこはかとなく分かったが、かと言って俺に固執する理由がまったく分からない。変態には変態特有のレーダーでもついているんだろうか。そういえば会った時に赤い糸がどうこう言っていたか。

「…赤い糸、って見えんのか?」

 いや、見えねえだろと呟こうとした途端。

「僕とハニーの間の赤い糸かい?」

「ぎゃあああ!!!」

 後ろから突然巻きついてきた誰かの腕と、耳元で囁かれた低音に俺は思い切り叫び声をあげた。

「ああ…驚かせてしまってごめんよ、ハニー。君があまりに可愛らしいことを呟いているから、つい抱きしめたくなってしまってね」

 そう言って氷依は俺の首から腕を外し、ソファの前に回って俺の隣に静かに腰掛けた。…俺との間には1ミリの隙間もない、というか、むしろマイナスじゃなかろうかと思うぐらい体が密着しているが。
 と、そこにふわりと石鹸のいい匂いが香った。

「さあ、ハニーもお風呂に入っておいで?浴室に着替えも用意されているから」

「え、あ、ああ。そうだな。じゃあ行ってくるわ」

 とりあえずこの密着状態から逃れられるなら何でもいいぜと、俺はそそくさと氷依が指差したドアの方に足早に向かった。…そんな俺の後姿を、氷依がふふふふと不穏な笑みで見つめていたなどとは露知らず。

 



「おかえりハニー」

「……ああ」

 それに返事をするのは物凄く嫌だったが、言わなければ言わないで何だか面倒だと思った俺はしょうがなくそう答えた。答えてしまっているあたり、既に今の状況に毒されているとしか言い様がないのだが。

「じゃあ床につこうか、愛しいハニー」

「………は?」

 その綺麗な顔にそりゃもう高貴な笑みを乗せながら言われた台詞に、俺はポカンと口を開けたまま固まった。そして固まっている間に、氷依はこれまた優雅に俺の手を取る。そしてずるずると――この辺り、一応無意識下で俺も抵抗していたようだが――寝室に連れて行かれ、気付いた時にはいわゆる“押し倒されている”とかいう状態だった。ちなみに本日3度目だ。

「ああ…この時をどんなに待っていたか。学園の私室で、ハニーが「婚約の儀の後ならいい」と言ってくれたとき、僕はあまりの嬉しさに涙が出そうだったよ」

 氷依の言葉に、俺はない脳みそを無理やり絞りながらつい数時間前の記憶を辿る。そしてそんなことは絶対に言っていないことを思い出したが、この変態ならそう捉えても仕方がない台詞は確かに言ってしまっていたと思い出した。
 あの時、押し倒され、今にも服が脱がされそうになってパニックになった俺は、

『おいこら!!て、てめぇ、さっき車ん中で順序がどうこう言ってただろうが!!』

 とか何とか目の前の男に言ってのけたのだ。確かに。

「…な、なあ氷依、落ち着いて話し合おうぜ?よく見ろ、俺だぞ俺?」

「そうだねハニー…確かに僕の腕の中にいるのは愛しい君だよ。さあ、もうその可愛らしいお口を閉じて、ハニーのすべてを僕にまかせておくれ」

「いや、だから……んむっ!?」

 また…また俺はこの男に接吻を…。
 一体何がどうなったらこんな超現実が一気に襲いかかってくるのだろうと、俺はとりあえず掴まれている腕を離そうともがいた。
 が。

「…!!??」

 ぴくりともしない。
 その事実に、そうだ、この男は見た目を裏切る怪力の持ち主だったと俺はようやく思い出す。そして、押し倒されたときは何とかなるだろうと何の根拠もなく思っていた考えは露と消え、俺はやっとこの状況がとんでもなくヤバいことを思い知った。

「ンーーー!!ンーーーーー!!!(やめろーーー!!早まるなーーーーー!!!)」

「シ。黙って…」

 

 本気だ。この男は、本気だ…!

 

 …一体。
 一体俺が何をしたっていうんだよ!!と心の中で盛大に泣き叫びながら、俺にとって悪夢としか言いようのない一夜が過ぎようとしていた。

 
 

 

                                                   End.



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