王子様の恋人A





ビー・イン・ラブ 


 

「…………」

「ここが僕が通っている光来学園の校門だよ、ハニー」

 そう言って、氷依は俺を見て優雅に微笑んだ。
 …門、まあ多分これは校門なんだろう。たとえ門脇に車一台が通れる別の扉がついていたり、別の門脇に人一人通れそうな小さな扉があったりしたとしても。
 それにしても、こんな気が狂ったとしか思えないような高校が都心にあるということ自体不思議でならない。今のご時勢、土地の有効活用は自治体の最重要課題じゃないんだろうか。この門扉に辿り着く前に、もう二つほど門扉を潜ったということは、つまりは一番最初の門扉からこの学校の敷地ということなんだろう。無駄だ。なんて無駄遣いなんだ。

「さっきから黙ったままで…ハニーは恥ずかしがり屋さんだね。ねえ藤、そう思わないかい?」

「はい、ぼっちゃま。とても奥ゆかしい方だと思います」

 恥ずかしがり屋さんに、奥ゆかしい方。
 いやはや、俺の体温は今一気に10度は下がったぞ。

「さ、ハニー。僕がこれから高校の中を案内するよ。ランチの時間だから少し混んでいるかもしれないけれど、許しておくれね」

 氷依がそう言うと、言葉もなく藤さんが車を出す。どうやらここから学校までさらに車で移動するらしい。

「そうだ、ハニーのために制服を用意したんだ。狭いかもしれないけれど、ここで着替えてもらってもいいかい?」

「…は?」

「うん、そうだよね。ここでは気に入らないということは重々承知しているよ。でもどうか恋人に免じて今だけここで着替えてはもらえないだろうか、愛しいハニー」

「……いや、そうじゃなくて」

「ああっ、そうか!僕が着替えさせてあげればいいんだね!ごめんよ、ハニー。僕は君のダーリンとしてはまだまだ至らないね」

 一体、一体どうすれば。
 この、俺には理解できないような脳のシナプス構造を持っているだろう男をどうにかできるというのか。

「って、おい、何してる!?」

「何って君の前の高校の制服を脱がせているんだよ」

 にこにこと邪気のない笑みをその顔に乗せ、氷依は俺の学ランを物凄い手際の良さで脱がせてゆく。氷依が着ている制服はブレザーなのに、どうして着替えの手際が俺よりいいんだろうか。ものの10秒もかからず学ランを脱がし終えると、すぐにプツ、プツとシャツのボタンを外し始めた。俺はと言えば、また前のように呆然と固まっていることしかできなかった。
 ――が。

「ああ…今すぐにでも君を食べてしまいたい」

 そんな不穏な台詞とともにするりと胸を撫でられ、俺は一気に我に返った。

「お、おい…!」

「ああ、ごめんね。つい君の肌を見ていたら本音が出てしまったよ…。大丈夫、夕方の婚約の儀を終わらせてからって僕は決めているから。こういうのはちゃんと順序を守らないといけないからね」

 …この変態は何を言っているんだ。こんやくのぎとか言ったか?どこで文節を切るのか分からないが、まさか婚約、の、儀、とかじゃないだろうなと俺は顔を青くした。そして、いや違うはずだと何とか思い直す。たとえそれ以外の場所で単語を区切れば日本語として成立しないとしても。
 そんなことをぐるぐる考えていたら、いつの間にか俺の体にはやたら上質そうな生地でできた制服が既に着せられていた。

「…ああ、やっぱりよく似合うよ、ハニー!まるで君のためにしつらえたかのようにぴったりだ」

「そ、そうか?」

 そんなことを言われるとつい嬉しくなるのが人間の性というものだ。そして当然俺も類に漏れない。だが。

「知っているかい、ハニー?男が恋人に洋服を贈るのは、それを脱がせるためなんだよ」

 そんな下々の下世話な男しか知らないような俗情報を、どうしてお前が知っているんだと俺は頭が痛くなりそうだった。しかも頬が少し赤く染まっているように見えるのは気のせいだろうか。

「ああ、表玄関に着いたようだよ。二人きりの時間が終わるのは寂しいけれど、あと3時間と49分後にはまた二人きりになれるからね」

「…いや、だから」

 未だに転校の事実にすら突っ込めていない俺には、現時点で突っ込むどころは一体いくつあるんだろう。一つ一つ消化していったら俺の人生は既に終わってしまっているんじゃなかろうか。

「さ、行くよ、ハニー」

「………」

 ああそうだ、この呼び方もどうにかしなければと、また一つ文句を言いたいことがあったと思い出す。だが、思い出した時点で俺の体は車から優雅かつ強引に引きずり出されていて、そして車から出た先にあった建物のせいで俺の頭の中は真っ白になった。

 

 どこかで…どこかで見たなこれ。
 そう考えながら、嬉しそうに色々喋くり続けている氷依の話を俺は右から左へと聞き流していた。10段ほどの白階段を上る前にあった、白くて丸みを帯びた何本かの円柱。どこかで…どこかで見たはず…そう考えたところで、あっ!と思い出した。

「オリンピックか!」

「どうしたんだい、ハニー?次のオリンピックが見たいのなら、すぐにVIP席を用意してあげるよ」

「ち、違う。さっきの玄関の柱、ギリシャのなんとか神殿ってのに似てると」

「ああ!その通りだよ、ハニー。さすが僕のハニーはとても聡明だね。そうだよ、この表玄関はパルテノン神殿をモデルに作らせているんだ。4歳の頃に見た、かの建物が忘れられなくてね…学園のデザインを設計士に任せたときに、僕が表玄関をそうするように命じたんだよ」

「………」

 また色々突っ込みたいことが増えた。そうは思うが、もう何か言葉を発する気力すらない。

 

「椋露路さま〜〜〜〜!!!」

 

 と、そこに黄色いとしか表現できない声が響いた。その声とともに俺と氷依の方に走ってきたのは、やたら小柄な、顔を真っ赤にした少年。手をぶんぶん振って走ってきたその姿は、飼い主を見つけて嬉しそうに走ってくる子犬そのものだった。

「やあ、園井くん。今日も元気だね」

「はいっっ。椋露路さまは今日は遅れていらしたようですが、お体の具合でも…?」

「違うよ。運命の人に出会ってね、学校どころじゃなかったんだ」

 おい、何を言い出す気だお前。

「紹介するよ、園井くん。僕の愛しのハニー、理久だ」

「………」

「………」

 沈黙が二つ。
 俺の方を、ただでさえでかい目をさらにでかくして見つめる少年が、俺はこのときばかりはありがたいと思った。そうだ、普通は驚くはずなんだと、隣でにこにこと微笑んでいる変態にどうして誰も教えてやらなかったんだろうか。そう思いながら、俺が園井という名の少年に「分かるぜ」という意味のアイコンタクトを送ろうとした、その瞬間。

「おっ、おめでとうございます!やっと見つけられたんですね、椋露路さま!」

 目をキラキラさせながら、少年はそりゃもう満面の笑みでそう言った。どうやら変態菌はこの少年に既に感染済みらしい。

「理久さま、ようこそわが光来学園にいらっしゃいました!僕はこの学園の副理事をしております、2年・アレスの園井基次郎と申します」

「…アレス?」

「はい。椋露路さまも同じアレスでございます。東塔3階フロアがアレスとなっております」

 いまいち、というか、全然何のことを言っているのか分からないんだが。

「ああ、駄目だよ園井くん。ハニーは高校では3年2組。組の数え方は数でしか知らないからね。いいかい、ハニー。わが光来学園は組だなんて無骨で無機質な言い方はしないんだよ。ギリシャの神々になぞらえて、組は各学年4つずつに分かれているんだ」

「…なるほどね」

 つまりは、園井基次郎君は、2年アレス組で、東塔とやらの3階にその教室があるということなんだろう。無機質だか有機質だか知らないが、そんなもんここでしか通用しないだろうが。

「それで…悲しいお知らせがあるんだけれどね、ハニー。君は3年生だから、僕と離れなければならないんだ」

「…そうかい」

 俺は、やっぱりここに転校するのはもう確定なんだろうか。

「でもね、僕と同じ東塔にあるアテナに君をお願いすることにしたよ。アレスは3階、アテナが4階だから、会おうと思えばすぐに会える。それに、アレスとアテナだなんて、やはり僕と君は運命だったとしか言い様がないよ」

「そっ、そうです椋露路さま!戦いの神と女神だなんて、運命以外の何物でもないです!」

「やはり君もそう思うかい、園井くん」

「はい!!これはもう、学園あげて盛大にお祝いをしなくては!僕、これから皆に伝えてきますっ」

 …変態同士の会話は、俺にはどうにも理解できん。
 二人とも、見た目だけは王子様やら美少年やらでしかないのに、どうしてこうも色々ぶっ飛んでいるんだろうか。ああそうか。こんな神殿みたいな高校に通ってるからか?それとも遺伝子レベルで俺のような庶民とは脳みその塩基配列が違うのか?

「さ、ハニー。これから僕の私室に案内するからね」

 お前は高校に私室なんてもんを持っているのか。
 そう内心突っ込みながら、俺は氷依にこれまた優雅かつ強引に背中を押されるがまま高校、いや、学園の中に入った。そこには俺が予想もしないようなホラー…もといミラクルが待ち受けていることが、十中八九あるだろうと暗い気持ちになりながら。

  

 

                                                    End.



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