王子様の恋人





フォーリン・ラブ 


 

「あ〜・・・くそダリい」

 今日は朝からついていない。
 目覚ましの音に起きれば、何故か針はとっくにHRが始まっている時間を指していて。なんじゃこりゃ!?と叫びながら階下に降りれば、今日の飯当番のはずの弟はとっくに出かけていていない。なら仕方ないとコンビニでパンを買おうとすれば財布を忘れたことに気付き、今現在俺の腹は空腹を訴えて混声合唱が延々鳴り止まない状態だ。
 はあとため息をつき、腕時計を見るともう10時をとっくに過ぎていた。
 なんか、もうサボっかなー…とは思うものの、サボったことが一つ下の弟にバレれば、絶対に後で大目玉を食らうのは分かりきっている。

「…仕方ねえ」

 行くか、と俺はしぶしぶ学校に行くことを決めた。
 今いる場所から学校までは急げば10分もかからない。とすれば3限には間に合うかもしれないと、俺は意を決してレンガ畳みの歩道を走り出した。
 ――が。

「ぎゃっっ!?」

 走りだして10秒もしないうちに、何かにぶつかって俺はそのままもんどりうった。
 どうやら角を曲がるところで人とぶつかったらしい。いててと体を起こすと、何故か上から白い紙がハラハラと降ってきた。

「…なんだ?」

 膝の上に落ちてきた一枚を見てみると、『光来学園文化祭進行(案)』と題打ってあるのが読み取れた。が、今はこんなものを読んでいる場合じゃない。そう思ってぶつかったはずの人間を探すと、目の前にそれらしき人間が俺と同じような姿勢で地面に座り込んでいて、その人間の顔に俺は目をでかでかと見開いた。

 ―――…王子様。

 そう心の中で無意識に呟き、そしてそんな単語をいくら心の中とは言え呟いた自分にぞぞと背筋が寒くなる。そんな自分を取っ払うかのように、俺は頭を切り替えて男に話しかけた。

「…あーー大丈夫か?」

「………」

 …無言。
 王子様には日本語が通じないんだろうか。 

 向こうで俺を凝視しているように見える王子様(仮称)は、確かに王子様にしか見えないが、多分日本人だとは思うんだがと俺は内心首を傾げる。だが、落ち着いて男を見てみると、なんだか同じ日本人でも俺とは人種が違うようにしか思えてならなかった。
 男が着ているのは、その質も値段も俺のとは雲泥の差がありそうな制服とは言え、紛れもなく高校の制服だ。なのに、何故かそれでも「王子様」だなんてふざけた名称が本気で嵌る面をしているのだ。
 風が吹いたらそりゃもう美しく風になびくだろう茶色のサラサラの髪に、うちの母親が見たら「一体どこの化粧メーカーでお手入れしてるの!?」と鼻息荒く問い詰めそうな透き通った白い肌。そして声をかけるどころか見ることすら憚られるような、体全体から漂う高貴なオーラ。極めつけは「王子様」とかいう単語が冗談でなく嵌りそうなべらぼうに整った顔。
 いやいや、朝からいいもん見させてもらった。
 そう思いながら、俺はよいこらせと立ち上がり、その辺に散らばっているA4の紙をかき集める。そして一応落ちているのは全部拾い上げただろうと、それを持って未だ座り込んで俺を凝視している王子様(仮称)に近付いた。あまりに凝視されているので、紙を拾っているときも落ち着かないなんてもんじゃなかったが、何故かこいつに粗相があったらいかんと思い込んだ俺は、そそくさと紙を拾い上げることに専念していた。

「これで多分全部だと思うんだけど」

「……」

 …もしや、本気で日本語が通じないんだろうか。

「あーーわり、俺英語とか喋れねえんだよ。つーか、転んだときどっか怪我しなかったか?」

 言葉が通じないなら体の状態を聞いても仕方ないということは、その時の俺の頭には何故かなかった。というより、男があまりに俺の顔をじいと見つめているので、何か話していないと落ち着かなかったと言うべきだろうか。
 とは言うものの、さてどうするかととりあえず差し障りのなさそうなことを喋ろうとしたその時、突然この王子様(仮称)は暴挙に出た。


「!!!??」


 王子様(仮称)は、突然俺の腕を掴んだかと思うと、物凄い勢いで俺を男の方に引き倒したのだ。

「な、な、」

 何すんだ!?と言いたかったのだが、その突然の暴挙に俺は言葉も出なかったらしい。…男の胸にがっしりと抱かれている状態の自分をどうしても想像したくなかったとも言えるかもしれないが。
 ――だが、王子様(仮称)はさらなる暴挙に出た。いや、暴挙じゃない、暴言か。


「僕は君のような人を待っていたんだよ、ハニー!!!」


 俺はその時初めて目の前が真っ白になるという超常現象を目の当たりにした。

「ああ…この顔、この声、この触り心地…何もかもが僕が探していた存在だ」

 さらにそう言いながら俺の顔やら腰やらをあからさまに撫でまくり、俺はそのまま気を失いそうになる。だが、そうなるのを何とか防いだのは、突然何かに口を塞がれたからだった。
 ――その「何か」が奴の唇だったと気付いたのは、一体どれくらい経った後だっただろうか。
 とりあえず、その「何か」が俺から離れてしばらくした後だったのは確かで、その時には俺は王子様(仮称)の肩に担がれていた。俺が意識を取り戻すまでの間も、この王子様――ならぬ変態野郎は、思い出すのもおぞましくなるような台詞を延々話し続けていたことはうっすらと覚えている。…それが俺に向けられていたのかそれとも独り言なのかは分からないが。

 

 なにはともあれ、俺が我に返ったのは、変態に担がれてしばらく経ったところだった。

「…お、おいコラ!何しやがるてめぇ!さっさと下ろせ!」

「何を言っているんだい?ハニーは僕と一緒におうちに帰るに決まっているじゃないか」

 そう言って、この変態はやはり王子様かもしれないと思ってしまうような高貴な笑みをそのかんばせにお浮かべになった。ついその笑みに見惚れそうになる自分をふるふると首を振ってなんとか押し留める。
 だが何か文句を言おうとしたところで、さっきの台詞のどこから突っ込んでいいのか分からず俺は口を半開きにしたまま固まった。だってそうだろう。最初の気の触れたとしか思えない台詞から最後のこれまた脳みそがイカれているとしか思えない台詞まで、むしろ突っ込むところしかないというのに一体どうすればいいというのか。

「ああっっ!!」

 そんなことを考えていたら、突然変態が雄叫びを上げた。
 あまりに突然すぎて、さしもの俺もつい小動物のように体をびくっとさせてしまった。

「自己紹介がまだだったよ、ハニー!」

 そう言うと、まるで今にも壊れそうなガラス製品でも取り扱っているかのように丁寧に地面に下ろされた。そして、下ろされた途端、ガシッと両手を重ねて捉まれる。

「僕は椋露路氷依(むくろじひえ)。ハニー、君は?」

 …なんだその、漢字が一文字も想像できない名前は。

「どうしたんだい、ハニー?君の名前をどうか僕に教えておくれ」

「……一木理久(いちのぎとしひさ)」

 その口調はやめろと言う台詞が喉元まで出掛かったが、言っても仕方ないかもしれないと本能で悟った俺は潔く諦めた。

「理久…ハニーにぴったりな名前だ。僕のことは氷依と呼び捨てにしておくれね。ああ、もちろんダーリンでも構わないよ」

「……なあ、お前さっきからハニーだのダーリンだの、何言ってんだ?」

「何って、ハニーこそ何を言っているんだい?あ、もしかして照れているの?」

「いや、ちが…。だから、その、俺がいつお前のハニーとやらに」

「そんなの、さっき僕とハニーとの間に奇麗な赤い糸が見えた瞬間に決まっているじゃないか!」

 俺は一体どうすればいい。
 目の前の、一応人間に見える男が話す言葉は、俺が17年生きてきて一度も聞いたことのない言語にしか聞こえない。

「ねえ、ハニー」

「あ?」

 …あ!?
 言った直後、ハニーという呼称に返事をしてしまった自分に俺は大泣きしたいほど後悔した。

「突然でびっくりしているかもしれないけど、僕とハニーが結ばれるのは運命だったんだ。だって僕は会ったときに分かったもの。君は僕が16年間ずうっと探し続けていた人だって」

「…16!?お前年下か!?」

 目をこれでもかとキラキラさせながら語りだした男の台詞の中で、俺が唯一突っ込むことができたのはただ一点だけだった。

「そうだよ?でも心配しないでハニー。僕は勉学は得意な方だから、ハニーと同じ来年3月には卒業できるよ」

「…そうかい」

「卒業したら、もっと大きな僕たちの新居を建てなくっちゃね」

 …『もっと大きな』。
 ということは、この変態の頭の中ではもう既に今現在の『僕たちの新居』とやらが決定してしまっているということだろうか。
 ――どうする。どうすれば、俺はこの超現実から逃れられる。
 そう思いながら俺を見つめてくる男をつい見返していると、そこにどこからともなく一台の車がキキッと音を立てて止まった。…俺が知る車の範疇には全く入らない、やたらと縦に長い白光りした車だったが。タイヤがついていて、公道を走っているという事実がなければ車だと分からなかったかもしれない。
 そして、少なくとも4つ以上はあるだろうドアの一つが開き、そこからスーツ姿の男が現れてつかつかと俺たちがいる方へと歩み寄ってきた。見た感じ、どことなく冷たそうな、エリート然とした30代ぐらいの男だった。このまま霞ヶ関の庁舎の一つから出てきても全く驚かないかもしれない。
 ――が。

「ぼっちゃま、仰せのとおりお迎えに上がりました。こちらがぼっちゃまの婚約者の方でいらっしゃいますね」

 どうやら、変態の一味だったらしい。

「その通りだよ、藤(ふじ)。紹介するね、僕の愛しのハニー、理久だ」

「これはこれは。始めまして理久さま。私、氷依ぼっちゃま付きの執事をしております、藤と申します。どうぞこれから末永くよろしくお願い申し上げます」

「藤。堅苦しい挨拶は家に帰ってからにしよう。とりあえずハニーの高校に向かってくれるかい?ハニーの転校手続きをしてくるから」

「承知いたしました。ではぼっちゃま、理久さま、どうぞお乗りくださいませ」

 そう言って、藤という男は優雅としか言いようのない仕草で車のドアを開けた。開けられたドアの中に見えたのは、そこは本当に車か?と突っ込みたくなるような、俺の貧困なボキャブラリーでは表現できない高級そうな内装の数々。それにクラリとしそうになるのを何とか堪え、俺は隣で俺をエスコートしようとしている氷依をキッと睨みつけた。

「…俺は行かねえぞ。黙って聞いてりゃ俺の転校手続きだと?俺は今の高校を卒業するんだよ!」

 後から思えば、突っ込むのは決してそこじゃなかったはずだ。いや、別にそれはそれで正しかったのだが、それ以前に言わなければならないことはいくつもあった。しかし、その時の俺にしてみれば、言えただけマシと言うものだったのだ。

「じゃあ俺は学校行く。ったく、4限もう始まりそうじゃねえか…」

 そう言って、俺はその場から踵を返し、体育5の俊足で学校へと走り出した。
 ――はずだったのだが。

「どわっっ!!」

 後ろから物凄い力で首根っこを掴まれ、気付けば俺は誰かの腕の中だった。
 ちなみに俺は身長は180近いし、体重も65ぐらいはある。そんな俺をまるで犬猫のように片手で持ち上げたこの王子様は、どうやら見た目を裏切る怪力の持ち主らしい。

「ハニー…恋人を困らせないでおくれ。ハニーがそんな我侭を言うのなら、いくら優しい僕でも強硬手段に出ざるを得なくなるよ?」

 耳元で囁かれた声は、正直なところ、震えるほど怖かった。
 やさしげな声色なのに、ヤクザにナイフを突きつけられるより格段に恐ろしいかもしれない。

「そう、いい子だね、ハニー。さあ、車に乗って」

 その恐ろしげな声そのままで、氷依は俺を車に乗せる。そして俺と氷依が乗り込むと、バタンとドアが閉められ、運転席と完全に分かれているらしい座席は完全な密室になった。

「何か飲むかい?」

「………」

 ちくしょうと、俺は心の中で呟いた。
 どうして年下の男に怯えなきゃならないんだろう。しかも、男の言っていることはめちゃくちゃだ。俺は別に常識人というわけではないが、この男は常識からいちばんかけ離れたところに存在しているんじゃないだろうか。

「ハニー、怒ってるの?」

 氷依は困ったような表情で俺を横から覗き込んでくる。その表情に、俺はそれまで我慢していた何もかもがぷつんと弾け飛んだ。

「当たり前だろうが!俺はれっきとした17の男で、お前にハニーだの言われる筋合いはねえし、なんで今行ってる高校から転校しなきゃならないのかもわかんねえ。つーか、なんで俺は今ここにいる?!お前何考えてんだ?!」

「…ハニー」

「俺はハニーじゃねえ!」

 ゼエハアと肩で息をしながら、俺は一気にまくし立てた。だが、隣の男は少しばかり驚いたような表情をしているが、俺を見る眼は聞き分けのない子供を見ている母親のそれにしか見えない。
 もしかしてこれでもまだ通じないのかと、俺がもう一度声を荒げようとした瞬間、何故か視界がぐるんとひっくり返った。

「……へ?」

 頭上にそりゃもうお奇麗な氷依の顔が見える。
 …これはもしや、世間的には‘押し倒されている’とかいう状態じゃなかろうか。

「ごめんよ、ハニー…。君がそんなに怒っているなんて……至らない僕を許しておくれ。でもね、僕の気持ちも分かって欲しい。僕は君とずうっと一緒にいたいんだ。僕は君のことが好きで好きで仕方がないんだよ」

 いや、だからそうじゃねえだろうと言おうとした俺の口に、またもや何かが覆いかぶさってきた。そして今度は口の中に入ってくる物体まである。

「…ンッ」

 ――キスだ。俺はこいつに、どう考えても接吻をされている。
 そのあまりに暴力的な事実に、俺は硬直することしかできなかった。そして俺が硬直しているのをいいことに氷依の舌は俺の口腔を思うがまま侵しまくり、舌先がどこかをかすめると背筋にブルリと震えさえ走って、そのことがさらに俺を石のごとく固まらせた。

「……ハニーとのキスは、僕がこれまで食べたどのスイーツより甘いね」

 ――言葉の暴力。そんな単語が俺の脳裏に浮かぶ。

「やっぱり、ハニーをひと時も離したくない。気に入らないかもしれないけれど、ハニーには僕の高校に通ってもらうよ」

 いいね?と、やたら神々しい笑みを浮かべ、氷依は俺にもう一度軽くキスをした。
 俺はと言えば、さっきから身にふりかかる散々な事態に身も心も硬直し、体どころか脳みそすら動かすことができなかった。

 

 そうして、平穏に過ごせるはずだった俺の残りの高校生活は一転、波乱万丈なそれへと変わることとなる。

 

 

 

                                                    End.



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