「……で……なのか」

「ええ……でしょうが……すね」

 

 蜂谷以外に、誰かもう一人いる。
 何となくドアの向こうに蜂谷以外の気配がして、直知がドアに体を寄せてみれば、やはり蜂谷と蜂谷のものではない声が漏れ聞こえてきた。
 どうやらこのドアが防音ではないことが直知に分かる。だが、かと言ってここでその人間に「助けてくれ」と叫んだところで叶わないことは、蜂谷と男の会話ぶりから想像がついた。
 多分、声の調子からするに、訪ねてきた人間は「蜂谷側」の人間だ。

 ――と、突然目の前のドアが開き、そのドアの背を預けていた直知は背中から倒れこむことになった。

「おや、すいません」

 ガツンと頭が当たったのは、どうやら蜂谷の足らしい。仰向けのまま上を見上げれば、そこには相変わらずサングラスをかけたままの蜂谷がいた。が、その隣に、もう一人いるのが分かった。

「へー、こいつが人質?」

 体を起き上がらせたところで、そんな声が上から聞こえてくる。立ち上がってから男に顔を向けると、茶色の髪をした20代だろう男がそこにはいた。しかも蜂谷と同じぐらい長身の。

「御曹司にこんなことして悪いね」

 ヘラヘラと笑いながら男は手を差し出してくる。
 この男も蜂谷と似たような種類の人間に違いないと直知は思った。

「アラ、無視されちまった。って、当たり前か」

「…気が済みましたか?」

「何、もう終わり?お前がおもしろそーな子って言うからわざわざ見に来たってのに」

「ついででしょう?本当は兵藤さん目当てでしょうが」

「あちゃ、バレてたか。でもホラ、幻の一品が手に入ったって言うからには見るしかねーわけよ」

 ――幻の一品。
 その単語に、会話を聞いているようで聞いていなかった直知も耳をそばだてる。だが、そんな直知に二人とも気付いたらしく、男は一つ笑ったかと思うと直知の頭をぽんと叩いた。

「何、お前も見たいのか?『幻の一品』」

「…何のことだよ、それ」

「んー、見りゃ分かる。お、そろそろ来るんじゃねーか?」

「そうですねえ。あの人時間きっちり守りますから」

 と、まるでタイミングを計ったかのようにジーと呼び鈴が鳴る。だが、確実に普通の鳴らし方ではなくて、数度一定のリズムで鳴らしたかのようなそんな印象を受けた。すると、ガチャリと錠が外される音がして、キイとドアの開く音が聞こえた。
 直知がいる位置からは、まだこの部屋の外の様子は分からない。蜂谷と男に気付かれないように一歩だけ足を踏み出すと、ここに来て初めてこの部屋以外の場所を見ることができた。
 ――ソファ、テーブル、デスク、パソコン。
 直知に見えたのは、その4つだけだ。壁は直知がいる部屋と変わらずコンクリートが剥き出しになっていて、窓も少なくとも正面と左側にはない。まだ視界に入れることのできない右側の向こうに、もしかしたら窓や台所があるのかもしれない。

「ああ、皆さんお揃いだったんですか」

 そこに、また別の男の声がした。多分こいつが「兵藤」という男なんだろうと直知は思ったが、男は直知からは見えない位置に立っていて顔を見ることはできない。

「よう、兵藤。幻の一品とやらを見に来たぜ」

「だと思いました。では、とりあえず蜂谷さんに頼まれていたものから見せましょうか?」

 何のことを言っているんだろうか。
 そうは思うが、変に動くと気付かれてしまう。仕方なく音で聞き分けようと思った瞬間、直知はカッと目を見開いた。

 

 ――キィ…ン。

 

 聞き慣れた、音。

 4つの時から、毎日聞いていた音だ。

 

 

「…なっ!?おい、クソガキ!」

 隙をついて男と蜂谷の間を抜け、兵藤という男目指して走る。部屋を抜けて目に入ってきたのは、思いのほか広い居間と、最初に見えたテーブルとは別のテーブルの傍に立つ、和服姿の男。
 こいつが、兵藤だ。
 そう思ったと同時に後ろから左腕を掴まれたが、それより一瞬早く、直知はテーブルに置いてあった物の一つを手に取り、真後ろで直知の腕を掴んでいる男の首に突きつけた。

 

「…お、前」

 

 ギリ、と睨みつけながら、刀の切っ先をさらに名も知らぬ男の首に近づける。

 

 音で分かっていた。

 

 

 これは、『鬼切』の贋作だと。

 

 

 後ろで、兵藤という男が動いた気配がする。即座に掴まれたままの左腕を軸にして兵藤の一撃を避け、その反動で腕を掴んでいた男の手を腕からもぎ取った。そしてそのまま男の後ろに回り、今度は刃を首筋に当てる。

「…蜂谷、ここから出せ」

 直知の後ろには、居間の空間。それから、直知が入れられていたドアの前に兵藤という男、その右に、蜂谷。
 そして、兵藤が入ってきたこの部屋の入り口のドアは、左斜め後ろ。
 ――これなら、逃げられる。

「……出すだけなら、承知しましょう」

 その言い方に、出た後のことは承知しないと暗に言っているのが分かる。だが、この部屋から出てしまえば、何とかなるという気持ちが直知にはあった。
 じりじりと、茶髪の男に刃を当てたままドアの方へと近付く。そして、あと1メートルほどでドアという所まで来た。

「早く、鍵を開けろ」

 直知の声に、蜂谷が表情も変えず手に持っていた何かのスイッチを押す。すると直知の後ろでガチャリと鍵の開けられた音がした。
 その音と同時に、直知は男を突き飛ばしてドアを開け、外に出る。いちばんに見えたのは古びたマンションだろう廊下。

 5日ぶりに吸った外の空気はあまり綺麗とは言えなかったが、とにかく出れたことに変わりはないんだと思いながら、直知は向こうに見えた階段に向かって廊下を走り抜けた。

 

 


「おい、逃がしていいのか」

 ついさっきまで刃を当てられていた首を擦りながら、男は蜂谷に聞いた。さすがに自分の油断のせいだと分かるからか、少々決まりが悪そうだと蜂谷は思う。

「…大丈夫ですよ。多分10分もしないうちに情報が入ります」

「そうか。ったくおとなしそうな顔して、やっぱ男ってことかあ?」

「……それだけじゃないですね」

 ふう、と一つ溜息をついたかと思うと、兵藤がそう呟いた。視線はテーブルの上の数本の刀に向けられている。

「あ?」

「あの子供、アレを真っ先に選んだでしょう。あの子から一番近い位置にあったものじゃないのに」

「…おい、まさか」

「そうです。アレが幻の一品『鬼切』……の、贋作です」

「はあ?贋作だあ??」

「ええ。でも、名の通った刀匠の作です。贋作とは言え数百万は下らない」

 まあそうだろうなと蜂谷は思う。好事家なら、数千万出しても惜しくはないはずだ。あの、『鬼切』の贋作ともなれば。

 ――だが、それにしても。

「蜂谷さん、あの子供何者です?」

「……さあ。とりあえず、数百億は下らない財産の相続権者ですけど」

「それはどうでもいいんです。彼は、贋作とは言えあの『鬼切』を完全に自分のものにしてました。…相当の使い手のはずです。それに、多分『鬼切』を使ったことのある腕だ」

 兵藤の台詞に蜂谷はクと笑みが漏れた。それは、整っているだけに壮絶と言っていいほどの笑みで、傍で見ていた男も、そして兵藤も背筋がゾクリとする。いっそ恐怖心すら起こさせるほどのそれは、蜂谷がこの上なく狂喜しているからだと、付き合いの長い二人はよく知っている。

 

「……ずいぶんな人に気に入られてしまったものですね、あの子も」

「…だな。10年探し回ったリボルバーでも見つけたような顔だ、ありゃ」

「…10年できくかどうか」

「……………」

 

 おそらくあと1時間もせずにここに戻ってくるだろう直知に、二人はもはや憐憫の情しか沸いてこなかった。

 

 




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