――なんで、こんなことになったんだ。

 直知の頭にはそれしかなかった。
 ここに監禁されて既に3日になる。食事は日に3度あるし、部屋の中にはトイレも風呂もあるとは言え、外に出られないということ、そして自分が誘拐されたという事実そのものが、直知にとっては耐え難いストレスだった。
 直知に分かるのはただ一つ――誘拐された理由だけだ。直知には確かに思い当たることがある。直知の予想が正しければ、自分がこうなった理由は絶対的に父方の祖父にあるのだ。

 

 直知には父母がいない。
 直知が3歳だった頃に二人揃って交通事故で死に、直知だけが生き残った。それから今日まで自分を育ててくれたのは母方の祖父母で、今も彼らと一緒に住んでいる。
 当然、誘拐される理由など二人にはない。少々祖父にはあるかもしれないが、あの祖父が自分と祖母以外に己の趣味について言うはずもない。
 ――だとすれば、父方の祖父しかいないのだ。
 駆け落ち同然で母と結婚した父の父親である彼は、日本有数のコンピューター会社の会長をしているのだから。

 

「…おや、あまり食べてませんね」

 と、そこにガラリとドアが開いて、男が現れた。相変わらず、あまり気配がしない。
 ――蜂谷という名らしい、誘拐犯。

「ここ3日で貴方が口にしたのは、オニギリ二つに、500mlのミネラルウォーター3本だけです。体、持ちます?」

「…なら、ここから出せよ」

「それは了解しかねますねえ」

 そう言ってニコリと笑うその顔は、穏やかなだけに余計気味が悪い。部屋の中でも外さないサングラスと、絶えず張り付いている笑みが直知にはいっそ恐ろしくさえあった。
 だから、だったのかもしれない。
 後は、食欲がわかずほとんど食べ物を口にしていないせいで、気が立っていたのか。

「!」

 持っていたペットボトルを蜂谷に投げつけ、直知は全力で開いているドアに向かって走った。大した距離など全くないはずなのに、まるでドアが100メートルも向こうにあるように錯覚したのは、今の状況のせいなのか、それとも蜂谷という男の存在のせいなのか直知には分からない。
 とにかく、あのドアを抜け、外に出る。それだけしか直知の頭にはなかった。
 ――だが。

「な…っ!?」

 ドアに辿りついた瞬間、開いていた筈のドアが勝手に閉じられる。ドアノブを横に引いてみてもやはりドアは開かず、それならと前に押してみてもドアは微動だにしなかった。

「それ、リモコンでも動くんですよ」

 後ろから聞こえてきた低い声に、直知はビクリと肩を震わせる。
 ゆっくり後ろを振り返ってみれば、そこにはゆるく笑みを浮かべる蜂谷がいて、その左手にはリモコンだろう小さなキーホルダーのようなものが握られてあった。

「一応、誘拐犯ですからねえ。そう簡単に逃がしてはあげられないんですよ」

 ギシ、と床が鳴る。
 それは直知の方に蜂谷が足を一歩踏み出した音で、この3日で聞き鳴れた音だというのに直知はその音が恐ろしくて仕方がなかった。

 人より、自分は度胸も平常心も強いのだと直知は思っていた。
 事実、学校の生徒たちや街をうろついている人間達よりは断然そうだったし、そうであることが当然だった。
 4歳の時から16になった今の今まで、祖父にそうであるように鍛えられてきたのだから。

 ――だが。

「やっぱり、少し痛い目に遭います?」

 

 この男は、桁が違う。

 


「……カ、ハ…ッ」

 容赦なく、腹に男の爪先がめり込む。ほとんど何も入れていない胃からは胃液だけがこみ上げてきて、直知はたまらず床に這い蹲った。だが、痛みを堪える暇もないまま今度は背中に強い衝撃を受け、堪らず呻き声が漏れる。そう何度も蹴られている訳でもないのに、一発一発の衝撃があまりに強すぎて直知はすぐにも吐いてしまいそうだった。
 そして、もう一度腹を蹴られたかと思うと、ぐいと襟首を掴まれ、引き起こされた。

「…もう、二度と逃げようなんてしないでくださいね?」

 そう言われた途端、気を失ってしまいそうな掌打を鳩尾に受ける。それでも、元来の気の強さで直知はすぐ傍にある蜂谷の顔を睨み付けることができた。
 数センチ先にある蜂谷の表情は、サングラスのせいでやはりあまりよくは分からない。そのことに腹が立ったのか、直知は無意識に手が出た。鳩尾に響く痛みで震えている右手に体中の力を振り絞って、頬骨のあたりを横から殴りつける。すると、その衝撃で蜂谷のサングラスが顔から外れた。

「―――――」

 初めて見た蜂谷の素顔に、直知は冗談でも何でもなく、本気で一瞬呼吸を忘れた。

 恐ろしいほど美しい男だった。
 サングラスを付けている時も多分整っているだろうとは思っていたが、蜂谷の顔は直知の知っている「美形」の範疇を遥かに越えている。

「見られちゃいましたか」

 フフ、と蜂谷は小さく微笑む。
 その笑みは顔と相俟って息を呑むほど綺麗だったが、直知には、美しさより禍々しさが先立つような笑みにしか見えなかった。

 

 

 ――この男は、笑いながら人を殺せる眼をしている。

 

 




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