鬼切

 

 


 

 頭が割れるように痛い。
 目が覚めて、直知(ナオチ)がまず感じたのは酷い頭痛だった。風邪でもひいたかと思いながら体を起こせば、今度は腹にも鈍い痛みが走る。直知はその痛みに顔を顰めたが、起き掛けで機能していなかった直知の頭を完全に覚醒させたのは、その痛みだった。

「…どこだ、ここ」

 むき出しのコンクリートの壁と、部屋の広さにしては高い天井。当然来た覚えもなければ見覚えもない。
 だが、その何もかもが己とは異質な空間に、直知はゆっくりと思い出した。

 

 

 一学期の終業式の帰りだった。
 周りが明日から始まる休みの期待を膨らませている中、直知は一人教室を後にした。そんな直知を教室の中から呼び止める声があったが、それに適当な返事をして、直知は学校を出た。


 蝉がうるさく鳴いていた。その鳴き声は今が真夏なのだと否応なしに直知に感じさせ、自然と背中を伝う汗が気持ち悪かった。朝の天気予報で最高気温35度と言っていたことを思い出して、普段ならあまり汗をかかない自分でも、体温よりはるかに高い気温にはどうにもならないらしいと溜息をつく。その溜息すらすぐに熱気に変わって、こうなればさっさと家に帰るに限ると歩を速めた、その瞬間だった。

「動かないでください」

 男の声と共に、喉にバタフライナイフのようなものを後ろから突きつけられた。そして一瞬思考が止まった隙に鼻と口にガーゼを押し当てられ、化学薬品のような嫌な匂いを嗅がせられた。消えそうな意識の中なんとか逃げようと暴れてみたが、瞬間腹に強い衝撃を受け、意識を失ったのだ。

 

 

 今思えば、誘拐にしてはあまりに穏やかな声だったと直知は思う。その声とナイフのあまりの不釣合いな様に、つい油断してしまったのかもしれない。実際、直知に一度も顔を見られることなく事を終えたのだから、声色どおりの性質の男では決してないのだろうが。
 だが、どっちにしろここから出るのが先決だと、直知は頭痛を堪えながら寝かされていたベッドから降りた。
 部屋の大きさは8帖あるかないか。そして窓は一つもない。あるのは、住居にはあまりふさわしくないような、鋼色のドアだけだ。

「…なら、あそこから出るしかないだろ」

 そう小さく独り言ちて、直知はドアへと歩を進める。歩くたびに鳴る床の軋音が耳障りだと思っているうちにドアに辿り着き、ノブを捻った――つもりだったが。

「ありゃ、起きたんですか」

 そのドアが何故か前や後ろではなく横に移動して、直知はノブを回そうとした手を差し出したままの格好で固まった。

「頭、ヘーキですか?」

 男が直知の顔を覗きこむようにしてそう話しかけてきたが、直知の頭に男の台詞が入り込む隙間は今はなかった。
 絶対、どう見ても、あのドアは右にノブを回して引くか押すかして開くタイプのドアのはずなのだ。なのに、なんでそのドアが横に移動する?引き戸なら、凹部の取っ手があるはずだろう?

「ナオチさん?」

「何でだ」

「ハ?」

「何で、ドアノブのついたドアが横に移動する」

「…ああ、施工業者が間違えたんですよ。ホラ、このドアって普通マンションの非常口とかに取り付けられるようなドアでしょう。それで、頼んだ業者の人間が間違えちゃって、まあ引き戸にドアノブってのもおもしろいからそのままでもいいかと」

 男の説明を直知は授業の数倍は真剣に聞いたが、別段大したことが理由じゃなかったことに自分勝手にも落胆した。そんな直知の様子を男はおもしろそうに見ていて、その男の顔に直知はやっと我に返った。

「お、お前、誰だ!」

 目の前にいる男は直知より数センチ身長が高い程度だったが、何せ男が直知の目の前にいるため、幾分見上げるような形で直知はそう怒鳴るハメになる。そのことも男として忌々しい以外の何物でもないのに、男が薄い色のサングラスをしているためにどんな顔をしているのかもよく分からないことでさらに腹が立った。

 だが。

「誘拐犯ですよ」

 と、まるで何でもないように男がそう答えたせいで、直知の怒りは強制的に鎮火させられた。


「この度、アナタを誘拐させていただきました、蜂谷(ハチヤ)です」


 さらに、ダメ押しのようにニコニコそう付け加えられて。

 

 こいつは、おかしい。
 絶対に、何がなんでも、変だ。

 

 サングラスの男――蜂谷を呆然と見上げながら、直知はただただ「変」という一文字を頭の中で繰り返した。

 

 



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