やわらかな温度













 ――He is perfect.
 日下水という男を、俺が知る大抵の人間はそう言う。
 俺はそれを否定する気はないし、そんな理由もない。実際、確かに日下という男はパーフェクトという単語がよく似合う人間だった。


 とにかく日本から出てみたいと、俺が留学したのは有名なリゾート地の近くの大学だった。別にその大学に思い入れがあったわけでもどうしてもその大学に入ってみたかったわけでもなく、単に自分のレベルにちょうどいい、それだけの理由で俺はそこに入った。
 実際、日本と違い、入学より卒業が厳しいわけだから、4年後には泣きながら机に齧りついているのかもしれない。だが、まだ入って1年しか経っていない俺にとって、大事なのは勉強より異国に慣れることだった。
 日本とは全く違う文化、人種、生活環境。
 何故か俺はそれらに全くストレスを感じることなく、むしろ異文化にひたすら溶け込もうとした。
 一番良いのは友人や恋人を作ることなんだろうが、それすらすっ飛ばして、俺は名前しか知らないクラスの女を抱いた。どうせすることは全世界共通なのだ。未だ英語が流暢とは言い難い俺にとって、ボディトークは異文化に溶け込むのにいちばん手っ取り早かった。ベッドの上でもつれあって、その後でピロートークになだれ込む。それは俺がこの国に馴染むスピードを他の留学生より数倍早くしてくれた。
 

 日下と会ったのは、俺がこっちに来て2年目の春だった。
 クラスの女友達が「サイコーにセクシーな東洋人が来た」と興奮気味に話していて、人並み以上の好奇心を持つ俺は早速顔を拝みに行った。彼女に教えてもらった教室に行ってみれば、彼女が言っていた東洋人が誰なのかは一目で分かった。
 べらぼうに整った顔と、こっちの男に負けないぐらいの長身。そして、奴がどう見ても俺と同じ日本人だったことに驚いた。
 こっちの女は日本の女より断然積極的だ。欲しいものは欲しいと言わなきゃ手に入らないというそのスタンスが俺は好きだったが、今現在三人の女に迫られている男はどうなんだろうかと思ったのを憶えている。あの顔なら、当然日本でも必要以上にモテただろうとどうだっていいことを考えながら、俺はその場を後にした。別にその顔がどれだけカッコよかろうが、男と仲良くなる気は全然なかった。





「マナブ、もう帰るの?」

「ああ。昨日飲みすぎて頭いてー」

「そ。じゃあまた明日ね」

 微笑みながら手を振るジルに軽くキスをして、俺は額を軽く押さえながら教室を出た。酒には強いと自負している俺だが、昨日はさすがに飲みすぎた。気付けばウィスキーが1本まるまる空いていたから、今の状態はしょうがないと言えばしょうがない。
 こういうときはとっとと薬を飲んで寝るに限ると思いながら外に出ると、外庭のベンチに見知った顔の男がいた。


 ―――日下水。


 顔の綺麗な日本人の名前は、あの翌日には俺の耳に入ってきた。
 ずば抜けた容姿もさることながら、日下は1年飛び級できるほどの頭脳を持っていたらしい。俺より2歳年上らしい日下は、この大学のマスターコースに来たようだと同じ日本からの留学生が言っていた。
 日の光の下で見る日下は、染めていない黒髪と真っ黒な虹彩が印象的で、その容貌は大勢に囲まれていたあのときよりさらに際立って整って見えて、へえ、と感心した、その瞬間だった。

「…っっその絵……!!」

 俺の声に日下は本を読んでいた視線を俺に向けたようだったが、そんなことなどそのときの俺にはどうでもよかった。


 俺が目を奪われたのは、日下の隣に無造作に置かれてあった一枚の絵。


「これ、どこで手に入れた!?」

 何時にない速さで日下のいるベンチまで駆け寄り、俺は喧嘩腰と言っていいほどの勢いでそう言った。当然日下はそんな俺に呆気に取られたような表情をしていたが、俺の必死の形相に気付いたのか、静かに口を開いてくれた。

「…もらったんだ。描いたヤツから」

「朔田凪本人から!?」

 その台詞自体の衝撃に、俺はほとんど怒鳴るようにそう叫んだ。




 目にした瞬間から、脳裏に焼きついてしまった絵が俺にはある。

 モノクロしかないその絵は、まるで鮮やかな絵の具をまき散らしたかのようにあまりに美しくて、俺は1年という月日が経ってもけして忘れることができない。

 その、まるで奇蹟のような絵をたったの17で描いた人間、それが、朔田凪だった。





 そしてそれが俺と日下の出会いで、凪と日下、二人と付き合うようになったきっかけだった。







HOME  TOP  NEXT





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送