蜂谷がマンションの外に出た時には、既に直知は数人の男に取り囲まれていた。
 その状況に内心チと舌打ちが漏れる。そして、蜂谷が一歩前に踏み出したと同時に、その男たちの後ろからあの男がひょいと顔を出した。

「このコでしょ?蜂谷さんのお気に入りって」

「………」

 相変わらず、この男の口からはロクなことが飛び出さないなと蜂谷は思う。その顔にはやはりニコニコ笑みが浮かんでいたが、前とは違い、今は本気でこの状況を楽しんでいるらしい笑みだった。

「ま、そこそこキレーな顔ですけど、貴方のように目立つものでもないし…。何が良かったんです?」

 そんなことを言いながら、男は直知の脇に立ち、ナイフをペタペタとその首に当てている。そのナイフに見覚えのあった蜂谷は、そうとは分からないほど微かにではあるが眉間に皺を寄せた。だが、その微かな表情の動きが男には分かったようで。

「そうそう、このナイフ。蜂谷さんが昨日ウチの人間の首に突き刺したやつです。咲さんがこれで直知くん殺してきてってご要望で」

「…何だって?」

「あ、もちろん蜂谷さん次第では殺しませんよ。とゆーことで、条件、分かりますよね?」

 男は小首を傾げながら、悪戯が成功した子供とそう変わらない表情を蜂谷に向けた。だが、男の左手にはナイフが握られていて、そしてその刃は直知の首から決して離されない。その顔と行動の乖離している様が、咲の手下である証明なのだと蜂谷は知っている。

 ク、と奥歯を噛み締め、蜂谷は首を垂れた。

 その様子に、男は内心楽しくて仕方がなかった。微かに震えているらしい蜂谷の肩が、それを更に助長させる。

「アハハ。こんな子供一人に、貴方のような殺し屋が絆されてるなんてね」

 ペタペタと、前より強く男は直知の首をナイフの刃で叩いた。それから、それまで平行にしていた刃を垂直にして、その首に当てる。

「ねえ、蜂谷さん?…うちの一族が、嘘つきっていうのも、忘れてたんですか?」

 その台詞に蜂谷が視線を上に上げると、直知は蜂谷の視界から消えた。

 

 

 

「――え?」

 男は、蜂谷に向けた笑みを顔に張り付かせたまま、というより、表情を元に戻す余裕すらないほど今の己の状況が呑み込めなかった。
 自分の首筋に感じる冷たい刃の感触は、ついさっきまで自分の左胸に仕舞われていたもので、そして直知という名の蜂谷が気に入っているらしい子供の首筋に紛れもなく自分がナイフを当てていたはずなのに。
 なのに、どうしてそのナイフは地面に落ちていて、どうして首には己の小刀が宛がわれている?

「…ククク」

 そこに、蜂谷の堪え切れないとでも言うような笑い声が聞こえる。
 そして。

「るせえよ、蜂谷」

 己の真後ろから聞こえた声は、刃を当てていたはずの子供の声。

「いや、つい。一応我慢してはいたんですけど」

 スンマセン、直知サン。
 そう続けた蜂谷に、男は呆然とするしかなかった。
 悔恨や怒りのせいだと思っていた蜂谷の肩の震えは、だとしたら笑いを堪えていたそれだったのかと。すると、そんな男に気付いたのか、蜂谷は男に視線を向け、おかしくてしょうがないとでも言うような表情で口を開いた。

「長田の懐刀が、こんな子供一人に後ろを取られるっていうのもおかしいですねえ」

 心底己を馬鹿にしているのだろう声色に、男はともすれば激昂しそうな感情を何とか抑えながらギリと蜂谷を睨み返す。

「…この子供、何者です」

「ただの高校生ですよ。羽川直知くん、16歳です」

「…なるほど。とすれば、相当の遺産が転がり込んでくるからですか?このコを貴方が気に入っているのは」

 この台詞で己に刃を当てている子供が少なからず動揺することを男は期待していたが、直知が何かしらの反応をする前に蜂谷が「バカですか、アンタ?」と呆れたように言った。
 チ、とつい舌打ちが漏れる。
 ――だが、と男はふと思い直した。この子供が常人とは違う身体能力を持っているらしいとしても、この刃を横に引くだけの覚悟があるとは到底思えない。
 もし子供がこの刃を横に引ける人間なら、もうとっくに己は死んでいる。

「…ねえ、直知くん、だっけ。とりあえず僕からその小刀、離してくれないかな?じゃないと、周りにいる人たちに頼むしかなくなるんだよね」

 視線を蜂谷に向けたまま、後ろにいる直知に男は話しかけた。

「…直知サン、そいつの言うコトは聞かなくていいですからね」

「一応それなりの教育受けてきたコたちだし、僕の合図で君に……っ!?」







「――俺に、何?」




 

 切れた音すら、しなかった。
 だが、己の首の皮の一枚が切れた感触は確かにあって、けれどそこからは何の痛みもない。
 と、すれば。
 ――背筋がゾクリとした。
 己の後ろにいる子供は、血の出ない皮一枚を――0.3ミリ程の厚さしかない表皮だけを――切ることのできる腕を、持っている人間なのだ。
 それも、未だ自分ですら使いこなすことができないそれで。


 主人とともにに消えた「叢雲」の、焼け跡に残った刀身で作った刃で。

 

「…さっさと、後ろの人間引き連れてどっか行ってくださいよ。私は誰の下にもつく気はないですから」

 蜂谷のうんざりしたような声で、男はハッと我に返った。そして、その声と同時に首筋に当てられていた鋼の感触がなくなり、後ろにあった気配が消える。気付くといつの間にか己の左胸に叢雲の小刀が戻されていて、心なし焦ったように横を向けば、道路脇の電柱に背を着けて立っている直知がいた。自分を見返すどこまでも冷めた目つきに、男は以前と同じような目で直知を見ることのできない己を強烈に意識して顔を前に戻した。

「…行け」

 後ろにいる男たちにそう命じる。するとそこにいた5人は微かに頷いて、バラバラに夜の帳に消えていった。
 そして、視線を蜂谷に向ける。
 そこには相変わらず夜でもサングラスをかけたままの蜂谷がいて、当分、この存在の全てにおいて類稀な人間に会うことはできないなと思いながら、男は口を開いた。

「…あの人は、貴方を従えたいんじゃない。貴方が欲しいだけですよ…狂いそうなほどの恋情からね」

 そう言ったところで、蜂谷はやはり別に表情を変える様子はない。
 それが予想できていたのだろう男は、そのままその場から消えるように姿を消した。

 

 

 



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