ぜんぶ欲しかった。

 あいつの心。あいつの笑顔。あいつの体、そして、あいつの過去も未来もぜんぶ。
 現在(いま)すら、俺は手に入れることができないのに、
 欲しがる気持ちだけが膨らみ続ける。
 膨らんで、膨らんで。
 その重さに耐えられなくなっても。

 






 
綺麗なものは触れなければ壊れない
 
綺麗な貴方は触れなければ壊れ な い




  

 1日のはじまりに俺がすることはいつも決まっている。

 

「おっす」

「おお、今日は遅刻してねーじゃん」

「たまにはな」

「そうかよ」

 久しぶりにHRが始まる5分前に学校に着いた。多分2週間前にもしたはずのこの快挙は、今、俺の後ろの席の脇に突っ立っている男しかその珍しさを知らない。
 あいかわらず、うるさい。朝なのにどうしてそんなに声を張り上げられるのか、俺は不思議でならなかった。会話の内容も、ごくつまらないものばかりだというのに、皆が皆大声をあげて笑いあう。
 まるで、そうするしかないのだというように。

 俺は学校が嫌いだ。
 別に大嫌いな教師がいるわけでも、陰湿な苛めにあっているわけでもない。ただ、ときどき想像する。もし、この校舎をとっぱらって、空から俺たちを見たらどう見えるのか。
 俺の想像の中では、その様子はどんな喜劇よりも滑稽だった。一つの箱が、いくつかのパーテンションで区切られていて、そこに教師という監視員と生徒という駒がいる。それは、俺が小学校のときに流行ったゲームによく似ていた。駒同士を競い合わせ、集団同士で競い合わせ、勝者を決める。それは、俺たちの現実とそう変わらない。

 だが、俺が学校が嫌いなのは、そんなことが理由じゃなかった。そんなことが理由で学校が嫌えるほど、俺は高等な脳みそを持っちゃいない。そんなことは生徒の誰しもが思っていて、ただ、皆見ないふりをしているだけだ。
 俺が学校が嫌いなのは、もっと、単純な理由だ。

「ウタ、お前先週の土曜S女の1年ヤリ逃げしただろ」

「あ?」

「Hしたっきり連絡こないっ!・・・ってその1年から彼女通して文句きたんだけど?」

「酔っ払ってて憶えてねーよ、そんなの」

「うっわサイテー」

「知るかよ」

「その1年しのぶと仲良いらしーんだよ。振るなら振るで連絡しろ、オラ、番号」

 しのぶ。
 その名前と、その名前を呼ぶ声が、俺を学校から遠ざける。

「皆見ー、お前からも言ってやれよ、この種馬ヤローに」

「・・・酒、弱いんならやめとけば」

「あぁ・・・?」

「記憶がない状態でセックスできるってのはすげぇ器用だとは思うけど、すげぇ情けねーよ、南?」

 振り向いてそう言ってやると、俺の苗字と同じ読みの名前の持ち主は、何の感情もこもっていない目を俺に向けた。

「つまり、どーでもいいんだろ。嘉人、諦めれば?」

「うっわ、お前も諦めんのかよ信夫・・・っと、皆見」

「・・・・お前もめんどい彼女持ったな」

 一つ溜息をついてから俺は前に体を向きなおした。後ろで「まあなー」という嘉人の声がしたが、それに返事をしてやる気は毛頭なかった。
 嘉人が、俺を「しのぶ」と呼ばなくなっただけで、俺は俺と同じ名前の顔も知らない女にど頭がドロドロになるほど嫉妬する。
 そしてそんな自分が惨めで吐きそうにすらなるのに、それでも俺は嘉人を諦めることができなかった。

「おい、信夫」

 俺の名前を呼ぶのが南だけになっても、それでも、俺の名前は嘉人に呼ばれたがる。けれど、その望みを現実に口に出したことは一度もなかった。

「お前、こないだKホテルに入ってっただろ」

「・・・・・・・・それが」

「一緒に入ってった相手、ずいぶん誰かに似てると思っただけだ」

 後ろで南がしている表情など、見なくても想像できる。必要以上に整ったその顔を、嫌味に歪めているにちがいなかった。

「うっそ!?なに、皆実、彼女いんのか!?」

「いねぇよ」

「・・・うっわ・・・ウタなら分かるけど皆実までそんななのかよ・・・」

「俺は南と違って記憶はあるけどな。つーかワリ、用あるから先帰るわ」

 

 後ろで嘉人が何か叫んでいたが、それを聞かない振りをして俺は教室を出て家に帰った。家に着いてすぐ部屋に入り、ベッドに仰向けに横になって、ふと南の言っていたKホテルに一緒に入っていった相手を思い出す。俺より少しだけ低い身長に、染めていない黒い髪をしていたことは思い出せても、本当は顔の輪郭すらおぼろげだった。
 ただ、その顔が嘉人に似ていたことだけしか、もう。

「あの男、いくらで買ったんだ?」

 何のノックもなく、そしてそれ以前に呼び鈴も鳴らさずに入ってきたのは、ついさっきまで俺の後ろの席にいた男だった。もうこの状況にも慣れっこで、文句を言う気にもなれない。だが、そこは幼馴染ゆえというか、俺が望まないときに南が黙って入ってくることは一度もなかった。

「さぁ?財布から有り金なくなってたから・・・・多分2万ちょっとじゃね」

「・・・ホテル代は」

「カード」

 俺がそっけなく言うと、南はいつものように呆れてものも言えないというような表情をで俺を見た。その表情ももう見すぎるくらい何度も見ていて、仰向けのまま天井の木目を見つめていた。

「どうせ、お前も顔なんて覚えちゃいねーんだろ」

「・・・そうだな」

「なあ、信夫。2週間前、朝方この家から出てきたヤローは誰だ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「お前が時々嘉人に似てる男を買って抱いてんのは知ってた。けどな、2週間前のヤローは、似ても似つかなかったぜ」

「どーせお前だって、朝帰りしたとこを偶然見かけたんだろ」

「話そらすな」

 表情も声色も変えずに南が何かを俺に聞いてくるとき、それは何のからかいもジョークも混じっていない。それでも、その顔は確かに女が放っておかない色を持っていて、ひさしぶりに真っ直ぐに見た南の顔はどこまでも男でしかなかった。

「・・・男買う金稼ぐために、俺が買われただけだ」

 その答えを予測していたのか、それともしていなかったのかは知らない。だが、南はベッドに乗り上げてきたかと思うと、仰向けになっていた俺の頬を容赦なく殴りつけた。そして俺の胸倉を掴み上げて、ここ数年見たことのなかった真剣な表情を俺に向けた。

「いつからだ」

「・・・さあ、もう半年ぐらいにはなるんじゃねーかな。あいつ、金払いいーから」

 もう一度、同じ側の頬を殴りつけられた。その痛みが心地いいと思うのは、おかしいんだろうか。

「・・・・・・みなみー・・・だってさあしょうがねーだろ?嘉人は女がいて、俺は嘉人が好きで、でも嘉人は手にはいんないんなら、嘉人に似たヤロー抱くしかねーじゃん?でー、抱くのに金がいるんだったら、金稼ぐしかねーじゃん」

「諦めろ」

「無理だね」

「なら、男に買ってもらって金稼ぐのだけはやめろ」

「なんでだよ」

「なんででもだ」

「なら、お前が抱いてくれんの?」

 そう言った途端、南の顔はおもしろいくらいに強張った。滅多に感情を表に出すことの無い、というより感情という感情が欠けているこの男の表情を変えさせるような台詞を吐けたことに、馬鹿げた満足すら覚えた。

「だろー?だから、俺はあの男に突っ込まれて、しゃぶって、金稼ぐワケ」

「・・・・俺が、やめろって言ってもか」

「なんでやめさせんの?」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「自分は抱けなくても、俺が他の男に抱かれんのは嫌だってか?」

 

 あの日、人生でいちばん最悪だった時、俺が狂ったように「抱け」と叫んでも、抱いてはくれなかったのに。

 

「お前にんなこと言われる筋合いねーよ、南。てめーは酒でも飲んで女に乗っかられてればいい」

 覆いかぶさる形になっていた南を押しどけ、俺は南の下から出た。そして、畳の上に放り投げてあった煙草の箱から1本取り出し、口に銜えて火をつける。この煙草が、俺がずっと吸っていたものでも、そして南が吸っている銘柄でもないことに南が過剰に反応するだろうことを知りながら、俺はその煙草を吸うのをやめなかった。

「今日は女と約束してねーのか」

「・・・ああ」

「なら飯作るから食ってけ。一人で食べるよりはお前がいた方がいくらかマシだ」

「・・・・・が・・だからか?」

「あ?」

「一人でいんのが嫌だからか?」

 だから抱かれてんのか?と暗に南は聞いてきた。それに、そうだ、と答えるのはひどく容易いようで、難しい。そう答えた途端、南は女との遊びをすっぱりやめて、俺とずっと一緒にいるだろう。冗談でもなんでもなく、ずっとだ。

「ちげーよ。たまに抱かれたくなるだけだ。金も稼げて一石二鳥だろ?」

 だから、本当にしか聞こえないように嘘をつく。南が見たあの男との関係が金と暴力とセックスの繰り返しだと知ったら、目の前の男はどうするだろう。

「…もういーだろ俺のことは。オラ、下行くぞ」

 煙草を銜えたまま立ち上がり、部屋のドアを開けようとしたところで後ろから腕をぐいと引っ張られた。当然俺はバランスを崩して、俺の腕を引っ張った男の胸の上に倒れこむ。そのとき、銜えていた煙草が畳に落ちて、焦げ目を作った。

「とりあえず離せ。このまんまじゃ家が焼ける」

 俺がそう言うと、南は落ちていた煙草を拾い上げ、灰皿にぐしゃりと押し付けた。まだ1センチも吸っていなかった煙草は見るも無残にバラバラになり、勿体ねーなと心の中で呟いた。
 俺を後ろから抱きかかえる男が、抱くために俺を引き倒したわけでないことは俺がよく知っている。知らない男に抱かれた俺を抱きしめることでしか、こいつは自分の隙間を埋められない。首筋に感じる吐息もまったく性的なものはなく、抱かれることを覚えた俺にとってそれはひどく落ち着かなかった。俺の首筋に顔を埋める男は、皆が皆情欲にまみれた眼をしていたから。
 そして、俺は知っている。
 こいつは、誰にでもこうだということを。女にも男にも、そして、多分南が誰より好きだろう俺にすら欲情できない。ラブホでやり逃げなど当然できるはずもない。

 何故なら、南の性器は機能しないのだから。


「信夫、セックスしようぜ」

「……いーぜ」

 

 勃起しない南の性器を舐めながら、俺は南の指に後ろを弄ばれて、達く。
 その時の俺の顔ほど美味そうなものはないと南は言った。

 

 

 

 俺が1日のはじまりにすることは決まっている。
 嘉人に突っ込むことを想像しながら、自分を慰める。
 それはものすごい快感で、嘉人の潔癖そうな顔が愉悦で歪むのを想像すれば俺は何度だって達けると思った。

 なのに、俺はもう、南の指じゃなければ、達くことができない。

 

「何、考えてる?」

「・・・・ン、あ、なに、も」

 



 お前のこと以外、何も。



 


 

 

綺麗なものは触れなければ壊れない
綺麗な貴方は触れなければ壊れ な い

 

                                                    End.

 


HOME  TOP

 

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送