髪の中に他人の指が入ることは、それほど心地いいものではない。
だが、その手はなぜか周防を全く不快にさせなかった。









つまり私は知らなかったし知ろうともしなかった
「関係ナイ」 適切な関係


 

 ここ2週間、周防は3時間以上眠った日がない。大学の恩師にどうしてもと頼まれて、鍵盤曲用のフーガを一つ急いで作らなければならなかったせいだ。
 その曲を作り終えたのがちょうど今日の朝。高校に行く途中でそれをポストに入れ、午後に2時間分の授業をこなした周防の疲れはピークに達していた。このままでは帰りがけに事故でも起こしそうだと、周防は準備室のピアノの椅子で仮眠をとることにした。
 それから、どのぐらい時間が経ったのか分からない。ふと目を覚ますと――と言っても目を開けてはいないが――、己の前に誰かが立っている気配がした。
 その気配に、周防は心の中だけで小さく笑う。顔を見なくても誰なのか分かった己は、まるで思春期のガキのようだと。
 と、その手が、おそるおそるというように己の髪に触れてきた。
 まるで、触れることが許されないものに触れるようにして髪を撫ぜる指。その指が静かに、そう、恐ろしく静かに己の額に降りたとき、とてつもなく冷たくて熱い何かが一気に周防を浸食した。
 それの名を――その時膨れ上がった情の名を、周防は知らない。
 周防すらその存在を知らなかった感情の塊は、周防の意思に関係なく体の奥から這い出、胸の中を――そして周防自身を、焼き尽くした。

「…先、生」

 触れるということの、意味。
 人の身体に触れることも、そして触れられることも、これまで意味を感じたことなど一度もなかった。それは、今誰より気に入っているこの子供ですら変わらなかった。

 けれど。

「……ごめん」

 そう言って、己の髪をもう一度撫ぜた手の、燃えるような熱さ。それが、物理的なものではありえないことを知ったときに、この子供に触れることの怖さを、周防は知ってしまった。
 同時に、同じように、子供は己に触れることにどうしようもなく怯えているのだろうことも。

「…好きになって、ごめん…っ…」

 そう紘が言って、そして周防の前から立ち去ろうしたところを、後ろから乱暴に引き寄せた。
 これまでも、何度もこうして紘の身体を抱いた。それは今のようにただただきつく抱きしめるときもあれば、小さな動物にするように優しくしたそれもあったように思う。
 だが、今ほど切実にこの子供に触れたいと思ってこうしたことはない。それから、誰にも。

「…穂積」

 もう幾度となく呼んだ名を、呼ぶ。

「穂積…穂積」

 それに返る返事はない。返す言葉を己が望んでいないことを、この子供はきっと分かっている。
 この、腕の中にいてさえ周防を焼き尽くそうとする人間は。

 

 ふと、この子供が己の髪を撫ぜた感触を思い出した。
 まるで己が何よりも大事なものであるかのように触れた、あの、柔らかな指。

 

 あの指を知ってしまった己は、きっともう、この子供以外触れない。

 

 

 


 つまり私は知らなかったし知ろうともしなかった
 「関係ナイ」 適切な関係

 

 

                                                  End.

 


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