俺を殺すことなんて、簡単だ。
 そう、あの生徒は言った。








真っ直ぐな姿勢が好きで、スーツが好きで、黒目が好きで
気付けば全部、他愛もないもの ねぇ貴方をください


 

「…おい磯崎、お前何しに来たんだ?」

「何って、タマちゃんに会いに来たに決まってんじゃん」

「……高校にかよ」

 そう言って、周防はハアとため息をつく。ガキ共の相手をし終え、やっと自分の時間が持てると思えば、放課後になると決まって現れるマヨのせいで周防はここ一週間気が休まる日はない。どれだけ「来るな」と言っても一向に聞く気のないマヨに、さしもの周防もどうすることもできないでいる。

「…お前、何かあったのか?」

 煙草に火をつけながらそう問うと、マヨは別にと言って曖昧な笑みを周防によこした。
 ああいう笑い方をするときのマヨは、大抵精神状態が不安定だということを周防はここ10年の付き合いで否応なしに理解している。基本的に本能に忠実に生きているマヨが、ああやって無理やり笑うしかない状況というのは相当キツいはずだ。
 ――と、動いた気配もなく周防に近寄ってきていたらしいマヨが、何も言わずに正面から周防に抱きついてきた。高めの身長の割には細い体は、大学時代から変わらない。周防が拒絶しないのが分かるとさらにきつく周防に抱きついてきたマヨの背中を、周防はぽんぽんと軽く叩いてやった。

「……ねえ、タマちゃん」

「ん?」

「…なんで、そんな優しいの」

「…何だそりゃ」

 ハ、と小さく笑いながら、周防はマヨに当たらないように静かに煙草を口元に持っていく。

「俺、タマちゃんにひどいこといっぱいしたのに。なんで?」

「………」

 吸い込んだ煙をゆっくりと吐き出しても、周防はマヨの問いに答えない。
 というより、答えようがないというのが正しいのかもしれない。今こうしていることがどうして優しいと思うのか、周防には分からないからだ。別に自分の体に誰が抱きつこうが頓着しない。それが周防という男だからだ。

「…まあ、いいや。こうして、俺とくっついてくれるんなら何でも」

 それを、多分マヨも感じ取ったのだろう。さらに周防に言葉を求めることなく、ぎゅうと周防の首に腕を回す。そんなマヨに「苦しい」と漏らしながら、周防は小さく笑った。その笑いにマヨも同じように微笑んで、それから大きく声をあげて笑った。本当に楽しいと思っているような、とても朗らかな笑い声だった。
 ――だから、周防は気付かなかった。
 準備室のドアを静かに開けて中に入ってきた、ひとりの生徒がいたことに。
 その生徒が、カタンとCDを床に落とすまで。

「…穂積」

「す、みません。ノック、したんですけど、反応がなかったので」

「いや、悪い気付かなくて。――おい磯崎、離れろ」

「はいはい」

 ぶーぶー言いながらも、マヨは思いのほか従順に周防から離れる。そして壁際にあった丸椅子に腰掛けて、「こんにちは、穂積くん」と言った。そして、それに紘も「こんにちは」と返す。その声がかすかに震えていたように聞こえたのは、多分周防の気のせいではないのだろう。

「…CD届けに来たんだろう?」

 その震えに気付かないふりをして、周防は何事もなかったかのように紘に話しかけた。すると、紘は一瞬だけひどく傷ついた眸を見せたが、すぐに目を伏せ、小さく頷いた。

「中に…曲名と作曲者名と奏者名を書いたメモ入れておきました」

「そうか、悪かったな。…ああ、あと何枚かあるけど、ここでやるだろう?」

「…先生が、望むなら」

「ならここで。そうだな、明日の放課後は空いてるか?」

「はい。――それじゃ俺はこれで」

「…ああ」

 首だけを小さく下げ、紘は周防の顔も、そしてマヨの顔も見ることなく部屋を後にする。だが、紘が準備室のドアを閉める直前、マヨが立ち上がって紘の名前を呼んだ。その声に紘がドアを閉めるのをやめると、マヨはおもむろに口を開いた。

「タマちゃんは変わってないね、穂積くん。今日すごく安心した。君っていう人ができて、もしかしたら変わってしまうかもしれないって思ってたけど、やっぱり優しくて、それから、残酷だったよ。俺にも……君にも」

 ――どれくらいかは分からない。だが、結構な時間の沈黙がその場に流れて、それを破ったのは紘の「失礼します」という声だった。そうして紘が出て行ってからも少しの間沈黙が流れたが、マヨは溜息をつきながらぼそりと呟いた。

「……やっぱり、俺、あの子嫌い」

「…え?」

「あんな顔されたら、誰だってあの子に惹かれるよ。俺は嫌いだから、そうならないけど」

「………」

 一体マヨの台詞に紘がどういう表情をしたのか周防がいる位置からは見えなかったが、もしかしたら、前にしていたような、泣き笑いの表情を浮かべていたのかもしれないと周防は思う。どうしてそう思ったのかと問われても答えることはできないが、つい先ほど見せた自分とマヨの光景に、紘が少なからず傷ついていただろうことは予想ができていたからかもしれない。

「…ちょっと、出てくる」

「…ハイハイ。あーあ、ったく今日はツイてんだかツイてないんだか」

 訳の分からない独り言をぶちぶち言っているマヨを放って、周防は早足で準備室を出た。放課後の廊下には誰もいなくて、半ば焦ったような気持ちになりながら周防は階段の方へ向かう。そして階段を降りようとしたところで、踊り場にある窓の側に一人立っている紘を見つけた。窓から漏れる夕日に照らされた横顔は、確かに綺麗だと周防は思う。普段が普段なだけに、眼鏡をつけたときの、どこか放っておけない気分にさせる紘の顔を周防は実は少なからず気に入っているが、それを当の子供に言うことは一生ないだろう。

「穂積」

 そう名前を呼んで、それから己を見つけたときにする顔も、本当はとても好きだと思っていることも。

「…どうか、したんですか?」

「別に何も」

「じゃあ…何か用が」

「ねえよ。お前の顔見にきただけだ」

 そう言ってやると、紘は驚いたように目を小さく見開いた。教室では皆無と言っていいぐらい表情を変えないこの生徒がこうも感情を表に出すのは己の前だけだという事実は、周防の心のどこかを何時になく満足させる。
 それが、きっと独占欲という名のつくものだと周防が気付くのは、それからずっと後のことではあるのだが。

「明日、CDの作業終わったらメシでも食いに行くか?」

「…え」

「恋愛してみるんだろ、俺と。だったら定番だろうが」

 ククと小さく笑って、周防は驚いた表情のまま周防を見返す紘の髪をくしゃくしゃと撫ぜてやる。それは周防にとってとても甘く感じられる時間ではあったが、紘にとってはけしてそうではなかった。
 それを、周防は己の性質ゆえに気付くことができず、そのことが紘をどうしようもなく傷つけていたことにも、やはり周防は気付いていなかった。
 だから、紘があの、泣き笑いのような表情で周防を見つめてきた時、周防はひどく驚いた。

「…どうした?」

「先生は――」

「ん?」

「俺と、恋愛してんの?」

「そのつもりだけど?」

「じゃあ、何で…ッ」

 そこで、紘は堪らなくなったようにきつく歯を食いしばって顔を伏せた。
 それは誰の目から見ても明らかに泣くのをこらえているそれで、当然目の前にいる周防にそれが分からないはずがなかった。

「おい、どうした穂積?」

 だが、周防がそう問うても紘は首を振るだけで、けして食いしばった歯を開こうとはしなかった。そして、周防が紘の肩に手をかけようとしたその瞬間、紘はそれを避けるように一歩後ろへ下がり、それから伏せていた顔を上げた。

「何でも、ないです。じゃあ…明日」

 そう言って、紘は周防に背を向ける。そこにはあからさまな周防への拒絶が見えて、周防は思わず紘の肩を掴んで自分の方へと振り向かせた。
 だが、紘は腕を振り払って、周防の手から逃げた。

「穂積」

「今日は、勘弁してください。…今日は、どうしても先生に触られたくないんすよ」

「――駄目だ」

「…え?」

「お前、俺のモンになるって言っただろう」

 その言葉に、紘はひゅっと息を呑んだ。それが周防にも分かって、周防は今度こそ紘の肩を掴み、近くまで体を引き寄せる。それから紘の頬を両の掌で包んで、「理由を言えよ」と、静かに言った。
 きっとそれは、紘が泣いた、あの声だった。

「――せ、んせい、は」

「…ん?」

「…俺を殺すことなんて、簡単だ」

「……え?」

「俺は…先生のする小さな仕草とか、なんてことのない一言で、一喜一憂するんですよ。…知ってました?」

「…穂積」

「先生は、確かに、残酷ですよ。それに、確かに優しいんです」

 

「これから、俺はアンタに、きっと何度でも殺される」

 

 

 ――それでも、アンタが欲しいんだから、しょうがない。

 

 

 踊り場に一人残された周防は、窓に背をつけ、右手を額に当てた。そして、ついさっきまでの会話を思い出すかのように、ゆっくりと目を閉じる。

 脳みそを直に揺さ振られた。
 そう、本気で思った、頭がクラクラするような感情の吐露。
 そしてそれは紛れもなく。

 

 あの子供から周防への、恋情の告白だった。

 

 

 

                                           

 真っ直ぐな姿勢が好きで、スーツが好きで、黒目が好きで、
 気付けば全部、他愛もないもの ねぇ貴方をください

 

 

                                                  End.

 


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