ふと思い出すときがある。
あの、背徳としか言いようのない時間を。
そして、忘れようもない、父の手のひらを。

  







 
歪んだ時計 新しい参考書 有名講師の授業 規則的生活
 
いつか終わる日は来るよと夢も見ずに いいえ、いつも見ていた



  

 父親の胸が規則的に上下するのを確認して、ナギは静かに肩に回された腕を外し、ゆっくりとベッドから降りた。降りる瞬間、ギシとベッドが軋む音がして、一瞬ビクリと肩を震わせる。だが、振り返った先の零の目は閉じられたままで、ナギはそのことに安堵しながら音を立てないように部屋のドアを開けた。
 何もつけずに部屋の外に出た体は、廊下を一歩、一歩と進むたびに肌寒さに悲鳴を上げる。だが、それに構うことなく、ナギは部屋から離れるためだけに廊下を歩き続けた。
 こんなことをしても、どうせ朝にはあの腕に戻らなければならないのに。
 そう心の中で呟いて、ナギは自分をあざ笑うかのように小さく笑う。歩くたびに軋む下肢も、後腔から流れ落ちてくる白濁した液体も、そして、体中に散る赤い痕も。その何もかもが、今こうして零から離れていることの無意味さをナギに見せ付けているようにさえ思えた。
 なのに。なのにそれでも、少しの間でいいから彼の腕から逃れようと思うのは、あの背徳の行為だけのせいではきっとない。
 離れている少しの間だけは、父と子に。
 たとえそれが一時の虚構の夢でしかなくても、普通の親子だと、自分を誤魔化すことができるからだ。

「ナギ」

「――っ!?」

 突然聞こえてきた声に、ナギはビクリと肩を震わせ、息を呑む。どうして気づかれたのだろうかと思えたのはほんの一瞬で、後ろから引き寄せられた零の裸の胸の感触に、ナギの思考は停止した。

「…どこに行くつもりだった?」

 ナギの髪に顔を埋めて零はそう問いかける。そして零の腕はナギの体を包むように抱き込んでいて、ナギは、彼は誰なんだろうと思った。
 ――稀に。時々。何度も。
 時が経つたびに‘そう’感じる頻度は増していったように思う。
 最初はそう感じることの原因はただ一つだとナギは思っていた。だが、年月を重ねるたびに、理由はそれだけではないのだろうと感じるようになった。
 一体、今自分を抱きしめるこの人は、誰なのか。
 本当に、父なんだろうか。
 実は、零は本当の父親ではなくて、何の血の繋がりもない、他人ではないんだろうか。
 そんなことを本気で考えて、そして、そうなのだと本気で思い込もうとしていた。というより、そう思い込むしか、自分を保てる方法をナギは知らなかった。
 そう思う原因の全てが、零とナギが、何もかもに背いた行為をしているせいなのだと思えている頃は、まだよかった。その行為をすることに、たとえ身体だけでも慣れてしまってからは、それ以外の理由が必要になった。
 セックスをしたとしても、彼は、父親なのか。――多分、そうなんだろう。
 じゃあ、父親とセックスをすることが当たり前の自分は、彼の子供なのか?
 実の父との交わりに、快感を覚えるような子供が、本当にいるのか?
 ――その問いの答えを幾度となく探して、結局辿り着いたのは、なら、自分を抱くこの人は誰で、そして、彼に抱かれる自分は何なのかという、出口のない迷路だった。

 

「このごろ、よく部屋を抜け出すね」

「―――」

 気づかれていた。なら、そうする前に父親の寝顔をじっと見ていた己のことも、目の前のこの人は気づいていたというんだろうか。
 寝顔を見つめながら、たまらなくなって嗚咽をもらした夜があったことも。
 それから、とうさん、と。繰り返し呼び続けたことも。

「眠ろう、ナギ。まだ夜は明けない」

「……本当に?」

「…どうして?」

 

「本当に、夜は明けないのか、父さん?」

 

 なあ。
 せめて、一筋でいい。
 光に向かうどころか、光の差さない方へ方へと進むこの身に、一筋でいいから。

 

「明けないよ、ナギ」

 そう言われると同時に、喉元に噛みつかれた。
 数刻前の情交を色濃く残すナギの白い肌に、もはや零が口付けていないところなどないかもしれない。そして、12の頃から吸われ続けた肌は、所々小さな痣になってさえいる。

「……ッッ!?」

 突然、零がナギの後ろ髪を強く引く。あまりの痛さに息を呑んで零を見上げると、零はしばらく見たことのないような表情のない貌を浮かべていた。

「…とうさ、ん?」

 しばらく続いた沈黙、ナギは思わず零を呼ぶ。
 だが、そう言った途端に浮かんだ酷薄な笑みに、ナギは己がどこかで誤ったことを知った。

 
 部屋に強引に連れ戻され、ベッドの上に放り投げられた時、まだナギには何かを考える余裕はあった。だが、その後押さえ込まれるようにしてうつ伏せた後で、突然二の腕を針のようなもので刺されたのだ。

 

 ――それからのことは、もう、二度と思い出したくもない。

 

 まだ、ガクガクと身体が震えていた。
 手足は絶えず痙攣し、首も小刻みに震えたまま。
 体の中心は凍えるように寒いのに、表面は触れたら火傷しそうに熱かった。――後で思えば、あまりに馬鹿らしい。自分の肌でどうやって火傷ができるというのか。

「ねえ、ナギ」

「……ハ、イ」

 カチカチとなる歯もそのままに、ナギは掠れた声で返事をする。返事をしなければ、またさっきのことを繰り返されそうで怖かったからだ。

「僕はね、君以外に欲情しない。君しか、一生抱かない。もちろん、君が僕以外の誰かに抱かれることもない」

「―――」

「そうする相手が、僕にとっては子供である君で、君にとっては父親である僕だった。ただそれだけのことだよ」

 そう淡く微笑みながら言った零は、どこまでも美しかった。
 太陽の金、空の青。生まれたときから、ナギは零のすべてに焦がれていたように思うのに。

「…ヒ…ッ」

 ズルリと、己の中に入っていたものが出てゆく。
 白く綺麗な零の手は、醜悪としか言いようのないそれを持っていても尚美しかった。

「これからは、月に何度かこれを使おうか?ナギが、余計なことを考えずに済むように」

「い…嫌、だ……嫌だ…!」

「何故?ずいぶん悦んでいたようだったよ。ああ、今度は別のものを用意しようか?」

「お願いだ…も、もう嫌だ…父さん…っ」

 泣きそうだった。――いや、そうじゃない。もう、泣いていた。
 そんなナギを、父である零はあの道具のせいで泣いているのだと思っていたようだが、本当は違う。「嘘だよ」と微笑んでナギを抱きしめた零の胸に縋りつきながら、ナギは、ようやく己がすべてを失っていることに気がついたからだ。
 どうしても、どうしてもしがみついていたかった、目の前の人と自分との、あたたかな繋がりを。

「苛めすぎたね…ごめんねナギ。大丈夫、もうしない。約束する」

 背中を撫ぜるのは、このときだけは体温の高い零の手のひら。
 あたたかなものだったはずのそれは、ナギをもはやあたためることはない。ただひたすら、ナギを少しずつ焼いてゆくだけ。

「さ、今度こそ眠ろう。君が眠るまで、ずっと見ていてあげるから」

 動けないナギに手際よく寝着を着せ、零はナギを抱え込むようにしてベッドに横になる。
 肌に触れた零の寝着は、どこまでも柔らかかった。

「…Bonne nuit,Nagi

 慣れ親しんだ言葉が、ナギの耳に届く。

 

 その言葉を、向こうにいたときどれほど幸福な気持ちで聞いていたか、ナギは忘れようと思った。

 





 

歪んだ時計 新しい参考書 有名講師の授業 規則的生活
いつか終わる日は来るよと夢も見ずに いいえ、いつも見ていた







                                                    End.

 


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