こんな感情になる必要はない。そして、こんな感情になる理由もない。
 そう頭に言い聞かせながら、ナギは一歩、一歩と校門に近付いて行った。段々とその顔がはっきりと見えてくる男の顔をできるだけ見ないようにしながら、それでも自分の顔には笑みを乗せて歩を進めた。

「おはよー、スイ」

 ニコリと笑ってそう言った。
 本当は笑いたくなくとも笑うことは、ナギにとってはひどく簡単なことだった。
 ずっと、そうやって生きてきたのだから。

「・・・ああ」

「随分顔色悪そうだけどヘーキか?朝飯はちゃんと食わねーと駄目だぞ」

「ナギ」

「あ?なんだ?」

「飯、付き合って」

「え、ヤダよ。遅刻するし」

「いーから付き合え」

 そう言ってグイとナギの腕を掴み、スイはどんどん今ナギが来た道を戻っていく。そんなスイに引きずられながらも、なんとか抵抗を試みるがいかんせんスイの力が強すぎた。

「ちょ、ちょ、待てってスイ!」

「イヤだね」

 こいつはこんな男だっただろうかと思いながら、ナギはなんとか転ばないように引きずられるのが精一杯だった。

 

 

「いつ帰った?」

 あれから、突然タクシーを止めたスイに押し込まれるように座席に乗せられ、気付けばあまり来たことのない街にいた。その街の、一人では絶対に入らないようなカフェレストランに連れてこられたナギは、とりあえずスイに急かされるままにオレンジジュースを頼んだ。そしてウェイターがいなくなった途端、スイは口頭一番にそう聞いてきた。

「・・・は?」

「朝、起きてお前のこと寝かせた部屋に行ったらお前はいない。居間にいたカイトに聞いてみたら『知らない』の一点張りだ」

 知らないはずねーんだけどな、という台詞はナギの心の中に留めておいた。

「・・・朝早くだけど」

「フツー、昨日酔っ払ったお前を担いで運んでベッドに寝かせてやった俺に、礼の一つや二つあってもよくねーか。それに、ほらコレ」

 そう言ってスイに手渡された紙袋には、ナギの制服とカバンが入っていた。

「おお、さんきゅ。朝困ってたんだ」

「・・・じゃなくて、なんで俺に何もいわねーで帰ったんだよ」

 そんなことを言われても、ナギにそこまで考える余裕などあの時なかった。
 カイトのどう考えても友好的でない態度にブチ切れ、カバンすら忘れてしまうほど何も考えられなかったというのに、どうやったらスイに何か一言言うなんてことができたのか。
 昨日の夜の間のことすら、全然耳から離れてはくれないというのに。

 ――そこまで思って、ナギは固まった。

 今、腕が触れ合うほど近くにいる男は、あの時カイトとセックスをしていたのだと、何故か急激に意識した。

「ナギ?」

 そう自分の名を呼んで、顔を覗きこんできた男からつい離れてしまったのは、そのせいだ。

「・・・・おい?」

「わ、るい、スイ。俺用事思い出した。か、カバンさんきゅな」

「・・・嘘つけ。・・・・・・昨日のことは謝るから、とにかくここ座れ」

 そう言ってナギの腕を掴もうとしたスイの手を、咄嗟に振り払ってしまったのも。

「あ、ご、ごめん!」

「・・・・・・・別にいい。だから座れ」

 本当は座りたくなどなかった。このままここから逃げて、教室の後ろで、寝袋に包まれて眠りたかった。
 けれど。

「座れ」

 低い、低い声で、そうナギに命令する男の声に、ナギは逆らえなかった。

 

 

「・・・聞こえたのか、昨日」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「・・・悪かった。お前の部屋防音だったから」

 そんなことを謝ってほしいんじゃない。
 スイの台詞にナギは心の中だけでそう呟いて、そしてすぐに何も考えられなくなった。
 ―――なら、何に謝ってほしいんだ?
 そんな問いが頭に浮かぶ。けれどその答えを考えようとしても、ナギの体はそれを考えることを許さなかった。
 
 テーブルに運ばれてきたスイの朝食は、ピザトーストとサラダとコーヒー。全く匂いの強いものなどない。なのに、このこみ上げてくる吐き気は何なんだろうと思って、ナギは、つい昨日も似たような吐き気に襲われたことを思い出した。

「カイトに何か言われたか?」

「・・・いんや別に。ただあんまりムカつくことばっか言うから、スイんちのソファー蹴ったけど」

「そりゃ別にいーけど。何言われたんだ」

「ケタクソ悪いことばっかだよ。つーかもういーだろこの話は。さっさと飯食えって」

「ナギ」

 そう名前を呼ばれて、目を見つめられて、一体どうすればいい。

「・・・もういいだろ。お前があの男と何しようが俺には関係ないし。昨日のこと謝ってんなら、それはもーいー。」

「・・・・・・・・・。」

「クッソ・・・昨日からなんでんな気持ちワリーんだ・・・?・・・スイ、悪ぃけど帰るわ、今日調子良くねーみたいだ」

 

 

「あいつは客なんだ」

 

 

「・・・・・・え?」

「・・・カイトは・・・それに、お前が前見たあの女も、俺の客なんだ」

 

「俺は、ウリ、してるから」

 

 

 その言葉の意味が分かるまで、ナギには長い時間がかかった。

 というより、その意味を理解したくなかっただけなのかもしれない。

 

  



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