「・・・ざけんなよ、カイト。こいつと飯食ってんの見りゃ分かんだろ」

「それはこっちの台詞だよ。今日の8時から明日の朝まで、約束していたはずだけど」

「はぁ?んな覚えねーよ」

「留守電聞いた?」

 カイト、という名前らしい男がそう言ってすぐ、スイは携帯を取り出して耳に当てた。多分留守電を聞いているんだろう。その顔がだんだんしかめっ面になっていくのが、少し可笑しいとナギは思った。

「そっちのミスだよね。でもまあいいよ。今日はお友達も一緒でも」

 と、男がいきなりナギの方に体を向けた。

「はじめまして、あーー名前はカイトだから、もし呼ぶ機会があればそう呼んで。君は?」

「ナギ。朔田凪」

「・・・おいカイト」

「いーでしょ別に。へーナギか。それってどんな字?苗字は作るに田んぼ?」

「風が凪いでるの凪。朔田は新月の朔に田んぼの田」

「・・・ふうん・・・なんかキレーな名前だね。でもずいぶん実際のイメージと違う気もするけど」

 なんだ失礼な、と思いながらも、ナギは何も言い返さなかった。
 目の前にいるカイトという男は、以前遠目に見たときも思ったがひどく綺麗な顔をしている。背が低いというわけではないが、華奢な体つきと、日本人にしては白い肌、そして色素の薄い髪はその容貌を引き立てることはあっても、マイナスの方向には働かないだろう。

「けっこう色黒いし、お日様のが似合いそうだね」

 初めて言われた台詞にナギは内心少し喜んだ。昔から肌が弱くて、肌に何もつけずに太陽の下に出ようものなら、1時間も経たないうちに肌は赤くなり、ひりひりと物凄い痛みが走った。かと言って肌を少しでも黒くしたいというナギの野望に近い試みは止むことはなかったが、結局様々な試行錯誤の上で分かったのは顔と首なら赤くならずに焼ける、ということぐらいだった。
 だが、あまり黒いとは言われたことがなく、焼けても周りの日本人のようには黒くならないと思っていたナギにとって、カイトに言われた台詞は少しだけナギの心を浮上させた。
 それがいい意味で言われたにしろ悪い意味で言われたにしろ、どちらでもよかった。

「珍しい組み合わせに見えるけど、どこで知り合ったの?」

「・・・高校」

 ぶつくさ言いながらも、ちゃんとスイはこの乱入者の相手をしている。そのことに、ああ、やはりスイは優しいと思いながら、ナギはスイと同じ焼酎を近くにいた店員に頼んだ。そしてメニューに視線を落とし、今度こそメニューの中身をちゃんと見ようとしてやはり見ることはできなかった。

「高校に友達なんていたっけ日下くんって。男友達と二人で遊んでるのなんて初めて見た」

「さーな」

「・・・ふぅん。ずいぶん仲いいんだ。なんか妬ける」

「なんだそりゃ。つーかこないだ知り合ったばっかだぜ、ナギとは」

「知り合ったばっかりでこの店連れてきたの?一番気に入ってるでしょ、この店」

「家から近いってだけだ」

 入っていくことのできない二人の会話。いたたまれない気持ちになって、ナギは無意識に目を閉じそうになった。そこに店員が焼酎が運んできて、ナギは閉じかけていた目を開ける。そして、その焼酎を最初の一杯と同じようにグイと半分飲み干した。

「おいナギ。それ焼酎だろうが。んな飲み方するんじゃねーよ、酒弱ぇのに」

「おう」

「・・・・既に酔っ払ってんじゃねーかよ」

 そんなことはない、そう答えようとしたが呂律が回らなかった。そして頭もぐらぐらする。体も浮いているような気もする。
 そうか、これが酔うってやつか、と己の体の変化に少しばかり感心しながら、ナギは残っていた焼酎を飲み干してしまった。

「あーあー・・・」

「何、このコお酒初めてなの?」

「ああ。ったくこいつ運ぶのかよ・・・」

「でも見た感じ細いしヘーキじゃない?僕も手伝うし」

「は?おい、今日は帰れよ。明日埋め合わせするから」

「嫌だね。明日は出版社行かなくちゃなんないから」

「マジかよ・・・」

「ちゃんと『予約』は取ったからね、日下くん」

 別に、なんとも思っちゃいない。
 こんなことを聞いても、全然何も思わない。
 そう言い聞かせても、それでも二人の会話はナギの心臓の奥深くに結構な痛みとともに響いた。
 どうせ酔うのなら、何もかも聞こえないぐらいに酔えればいいのに。そう思っても、手も足もどうにも動かない状態ではこれ以上酒を飲むこともできない。
 それなら目を閉じればいいのか。
 五感の一つを閉ざしてしまえば、きっと少しはマシになる。

 遠くでスイの声が聞こえた気がしたが、ナギはそれに返事をすることはできなかった。

  

 

 目が覚めると、真っ暗な暗闇が広がっていた。その暗さから今がまだ夜中であることが分かる。だが思いのほかはっきりと目が覚め、一つ欠伸をしたところで周りが少しずつ見えるようになってきた。

「・・・・どこだよここ」

 どう見てもまったく見たことのない部屋だった。ナギはともすればパニックになりそうな頭をなんとか鎮めながら、ことさらゆっくり部屋を見渡す。そして向こうにドアがあるのを見つけ、ホッとしたナギは静かにベッドから降りた。
 ドアを開けて外に出ると、廊下だった。どうやら誰かの家らしいということが分かり、そのまま歩いていった先にあった居間は確かに見覚えがあった。
 あちゃー・・・と頭を抱えるしかない。
 どうやら酔っ払って記憶をなくしてしまったようだが、確実にあの飲み屋からここまでスイが運んできてくれたに違いなかった。
 さてどうするかな、と近くにあったソファに腰掛けようとして―――ナギは呼吸を止めた。 

 遠くで、けれど確かにこの家のどこかから、誰かの喘ぎ声が聞こえた。

 一度その声を耳が拾ってしまうと、まるで耳の傍で聞こえるかのようだった。
 そして今度はその声だけでなく、スプリングが軋む音まで聞こえてくる。ギシ、ギシ、という音は無機質でありながら、ひどく生々しかった。

 この声が誰のものなのか。
 この音が誰が鳴らしているものなのか。

 そんなことは絶対に知りたくなかったのに。

 

 

 こみ上げてくるのは吐き気ではない。
 けれどそれでも何かが体の奥の方からせりあがってくるのは確かで、ナギは堪らずその場に蹲った。
 そして両手で耳を塞いで、目を閉じる。けれど、あの声も音も耳から離れてはくれず、ナギは耳に当てている手を動かしてその音から逃れようとした。

 けれど。

 目じりに浮かんでくる涙の意味が分からなかった。
 別に泣く必要なんてどこにもない。
 いや、泣く理由が自分にはない。
 この部屋のどこかで、スイとカイトという男がセックスをしていようが、それはナギに全く関係ない。
 そうだ、約束していたとカイトは言っていたじゃないか。それをスイが忘れていただけだと。
 なのにどうしてあの時あの場から立ち去らなかったのか。

 カタカタと震える自分の体をどうにもできず、ナギはふと窓の方に目をやる。
 すると、全面の窓から綺麗な夜景が見えた。

 ―――綺麗だな。

 そう思ったのを最後に、ナギは浅い眠りに入った。

  

 それは、ナギの体が覚えている「逃げ道」にちがいなかった。

 

  



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