「ねー見た?昨日さ、日下くん校門のとこで女とキスしてたよね」

 ん?とその声に反応したのは、そこにスイの名前が出たからだ。そろそろ時間なのかと思いながら寝袋をごそごそ出る。すると女子生徒たちはそんなナギに全く頓着することなく、スイの話を続けていた。

「こないださ、3年の湯月先輩、告ったんだって」

「うっそ!とうとううちの高校のミスまで日下くんにやられちゃったか〜」

「でもやっぱり振られたらしいけどねー」

「誰も成功したって人聞かないしね」

 そうなのかと、半ば感心するようにその話に耳をそばだてていると、そこに予鈴が鳴る。やばいと思いながら寝袋から完全に体を出し、ナギはなんとか教師が教室に入ってくる前に席に着くことができた。
 そしていつものように窓の外に目を向ける。今日もいい天気だな〜と呑気なことを思いながらふと坂の下に目をやると、校門のところに男が一人立っていた。視力が両目とも2.0あるナギでも、その顔ははっきりよく分からない。だが、朝っぱらから目深に帽子を被っているあたり高校生ではないだろうなと、絶対に因果関係がないことをナギは思った。
 まあどうでもいいかと思いつつさっきの女子生徒の話を思い出す。そして、スイがその湯月さんとやらの告白を断ったことに何故か少しだけ安堵している自分に気付いた。
 
 その感情が一体なにから来るものなのか、ナギは知らない。
 ずっと変人と呼ばれ、誰の好意も知らないナギにとって、スイという存在が誰よりも優しかったということだけが、ナギにとってすべてだった。


 授業も終わり、さて寝るかと思ったところでナギは喉が渇いていることに気がついた。
 食堂脇に設置されているジュースの自動販売機は、ナギのクラスから少し離れたところにある。ナギのいる高校は校舎が二つに分かれていて、一つに1年と2年の1〜4組、もう一つに2年の5〜8組と3年というようにクラス分けされている。ナギは2年1組だが、職員室や保健室などはナギのクラスのある第一校舎に、食堂や生物室などは第二校舎にあり、ヤキソバパン命のナギにとって2年1組になったときの悲しみといったら一言では言い表せなかった。が、クラスでのナギの席があの坂道が見下ろせる窓際だったことで結構簡単に帳消しになったわけだが。
 寝る前にはウーロン茶かな、やっぱり。と全く理論的でないことを考えながら廊下を歩いていると、第一校舎と第二校舎の間の渡り廊下にスイがいるのを見つけた。自動販売機はその渡り廊下を渡ったすぐ先にある。
 だが、さしものナギもその渡り廊下を渡る気にはなれなかった。
 スイの前には明らかに泣いているように見える女子生徒がいて、どう見てもただならぬ空気がぷんぷん漂う。
 ジュースは諦めるか、とその場を去ろうとしたとき、渡り廊下からその女子生徒が走ってきて、涙を拭きながらナギの横を通り過ぎていった。
 彼女が見えなくなったのを確認してからナギが渡り廊下の方を視線を向けると、そこにはスイの姿はもうなかった。

 なぜか、やるせなかった。

「・・・おい」

「へ?・・・うおっ、スイ!?」

 いきなり真後ろに当のスイ本人がいて、ナギは一瞬スイが瞬間移動でもしたのかと思った。

「さっきから後ろにいたんだけどな、お前全然気付いてねーみたいだし」

「え、あ、そうか」

「見たんだろ?・・・財布持ってるっつーことは自販にでも行くとこだったのか?」

「おお、相変わらず勘いいな。寝ようと思ったら喉渇いてさ」

「・・・・お前は、ほんと「いい」な、ナギ」

 そう言って、スイは静かに笑った。

 

 ―――綺麗だった。

 

「・・・スイがモテんの分かる気がする」

「え?」

 スイは怪訝そうな表情をナギに向けてきたが、ナギはそれには何も返さず少しだけ口の端を上げた。
 多分、スイは冷たいようでいて、誰より優しいのだ。
 誰にも媚びず、誰にも迎合しない、そんなスイのあんな笑みを見せられて、スイに惹かれない人間など誰もいない。
 スイのような笑みをできる人間を、ナギはほかに知らない。
 多分、優しいということを人よりずっと知っているから、誰にでも優しくすることはないのだと思う。
 ここの生徒の誰をも嫌悪しているようなスイは、中途半端に優しくするということを知らないだけなのだろう。

 本当に、綺麗で。 

「・・・ナギ?」

「へ?」

「お前ぼーっとすんの得意だよなあ。つーか学校で寝るんだったらウチ来て寝れば?」

「・・・・・・なんで」

「どーせ一人暮らしだし。たまには人と飯食うのも悪くねーし、来いよ」

 この手を取ってもいいんだろうか。

 何故かそんな問いがナギの頭に浮かんで、そして消えた。かわりに頭の中に浮かんだのは、ナギの知らない男とホテルに入っていくスイと、ナギの知らない女とキスをするスイの姿だった。

  

 もし、その手を今取っても、欲しがることはできないんだろう。
 きっと、その手を欲しがる人間は他に何人もいる。
 それでも、その手が欲しいと思ってしまうんだろうか。
 まるで、赤子が母親の乳を求めるように。

 

「いくよ」

 

 その綺麗な笑みを、できるだけ長く見ているためなら。

 

 



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