17


 

「…今日、これから暇ある?」

 結局なし崩しにセックスして、気付けば空は真っ暗としか言い様のない色になっていた。今度はナギも気を失うことはなく、終わってしばらくしてから服を身につけ、同じようにジーンズだけ履いて水を飲んでいるスイにナギはそう聞いてみた。

「ああ。何か用あるのか?」

「ん、ちょっと見せたいもんあるからウチ来ないかと思って」

「わかった。…じゃあもう出るか?」

「おう」

 ことさら明るくそう返すと、スイは片眉を挙げてかすかに笑った。その笑みは苦しいものにしか見えなくて、ナギも似たような歪んだ笑みしか返すことができなかった。

 家を出て、ナギの家に行くまでの間、ナギもスイも一言も口を利かなかった。

 

「ここ」

 門の前で足を止めてナギがそう言うと、スイは「そうか」と言ってナギの家を見上げた。それを横目に見ながら門扉を開けて中に入る。後ろからスイが付いてきているのを確認してから指紋で鍵を開けると、ピーという電子ロックが開く音が響いた。玄関は相変わらず暗く足元が見えないが、ナギが入ると勝手に電気がつく。人の体温を感知して明かりをつける照明機能はこういうときは便利だなとナギは思った。自分ひとりであれば、別に見えずとも長年の勘でどこに段差があるかも分かってしまっているのだから。

「入れよ。とりあえず軽く飯でも作る」

「悪いな」

「いーよ。つーか俺が腹減った」

 なんだかんだで今日は朝から何も食べていない。スイも朝は軽く食べていたようだが、どちらにしろお互いほとんど何も口にしておらず、そろそろ腹が空腹を訴え始めている。米と卵、そして調味料があればなんとかなるだろうとナギは居間に入るドアを開けた。

 

「お帰り、ナギ」

 

 聞こえてきた声にナギは耳を疑った。

「…遅かったね。いつもこのくらいに帰ってきてるのかい?」

 今日の朝、フランスに発ったはずの零が居間のソファに座っていた。
 ここ半年、このソファに零が座っている姿を見たことは一度もなかったというのに、どうして今日に限ってここにいるんだろうとナギは堪らず目を瞑る。明かりの下に見えた零の金髪が目に焼きついて離れなかった。

「ナギ、後ろにいるのは友達?」

「・……そう」

 目を開け、それでも零を見ることはできずに目を伏せたまま答える。

「そうか。なら挨拶しなくてはね。はじめまして。ナギの父です」

「…日下です。夜分遅くにすみません」

「構わないよ。本当は今日向こうへ行くことになっていたんだけどね、こっちですることがあって1日ずらしたんだ。だからナギを驚かせてしまったようだね」

 穏やかな会話――少なくとも、穏やかに見える会話が二人の間で進んでいく。零の顔には笑みが乗っているし、その口調もいつもと変わらず穏やかだ。
 だが、ただひたすらナギは怖い。
 いつも親子には絶対に見られない綺麗すぎる父親が、ナギは怖くて仕方なかった。

「ちょうどいい。ナギ、材料は冷蔵庫に入っているから何か作ってくれるかい?僕が日本に戻ってきてるのはナギの料理を食べたいからと言っても過言じゃないしね」

「…わかった」

 荷物をソファに置き、ナギは夕食を作るためにキッチンに向かう。

 そのときに見えた零の顔も、そしてスイの横顔も、その自然さが不自然すぎて、できるなら今から10分だけ時間を戻して欲しいとナギは切実にそう思った。

 

 泊まっていくといいという零の誘いをスイは一旦は固辞したものの、それを零はあの綺麗でいて脅迫めいた笑みで許さなかった。人は、無理やり命令されるとそれに従う気など一切起こらないものだが、柔らかい言葉や優しげな表情で勧められるとなかなか断ることは難しい。それに時間という制約がさらについて、スイは零に言われるがままナギの家に泊まらざるを得なかった。そのことにナギは心から申し訳ない気持ちでいっぱいで、見せたいと思っていたものも見せられないままスイは零が用意した客室に入っていく。咄嗟にその後を追おうとして、ナギは零に腕を掴まれた。

「……どこに行く?」

 顔の見えない父親が今どんな顔をしているかナギには容易に想像できた。きっと、その顔に美しいゆえに壮絶に冷たい表情を乗せてナギを見ているに違いなく、それが想像できるからこそナギは零を振り向くことができなかった。

「彼とどういう関係、ナギ?」

「…友達」

「友達が、ここにこんな痕残すはずないだろう?」

 声にならない声が喉の奥から漏れる。零の手はナギの首筋に伸びて、その指が一体なにを押しつぶしているのかナギには見ることはできないが、そこにある何かをナギは確かに知っていた。
 つい数時間前につけられたものが、そこにはあるはずだ。

「おいで、ナギ。悪いが、今日は優しくできないよ」

 ぐいと手を引かれて連れて行かれたのは、居間の隣にある和室。そのことにナギは首を横に振るしかなかったが、部屋についてからなんとか「嫌だ」と声に出すことができた。―――だが。

「…許すはずないだろう?」

 さらに冷たくなった声にナギは自分が失敗したことを悟る。
 途端壁に体を押し付けられて、ナギはとにかく声をあげないことだけに全ての力を尽くそうと思った。

 

  

 

「…起きてたのかい?」

 居間のソファに座っていたスイにそう話しかけてきたのは零だった。振り向いてみれば、そこには肩まである金髪を後ろで結わえている零がいて、その姿はまるで絵から抜け出したように美しい。
 だが、スイにとってその美しさはどこか禍々しいものにしか思えなかった。

「…あんた、本当にナギの父親か?」

「そうだよ。会ったときにそう紹介しただろう?」

 

「なら、どうしてあんたはあいつを抱いてる?」

 

 最初は、わからなかった。
 昼間寝たせいでスイはすぐには寝付けず、ぼうっと天井を見ていたら微かに誰かの声がした。眠れず、他にすることもないスイはなんともなしにその声に耳を澄ましたが、それからほとんど何も聞こえなくなった。幻聴かとも思ったが、そんなものが聞こえるほどスイは疲れてもいないし、聞こえた声は確かにスイの耳に現実のものとして届いていた。
 だから、静かに与えられた客室のドアを開けて廊下に出てみたのだ。そうすれば、さっきの声が一体どこから聞こえてきたのか分かるはずだからと。

「おや。あれだけナギが頑張って耐えたのに意味がなかったようだね」

 クスクスと笑いながら、零はおもしろそうにスイを見た。その笑みにはスイに知られたことへの後悔であるとか罪悪感であるとか、そういった感情はまったく見受けられなかった。

「……異常だな」

「さあ?異常とか正常とか、そんなのは僕とナギにはどうでもいいことだ」

「あんたにとってはそうでも、ナギにとっては違うだろ」

 スイは嫌悪の表情を隠すことなくそう言い捨てた。
 目の前の男はスイの知る誰より美しい。だが、その精神は病んでしまっていて、それこそ狂人と呼ばれるにふさわしい目をしていた。

 ―――と、いきなり零は大きな声で笑い出した。

 そのことにスイが軽く目を剥くと、零は堪えきれないようにまた小さく笑ってソファに腰をおろした。そしてソファの背に肘をついてそれに頭を乗せ、小首を傾げたようにしてスイに視線を向ける。その様はひどく色気のあるものだったが、それに惑わされるほどスイは世間を、そして人間というものを知らないわけではなかった。

 

「僕とナギは、ナギが12のときからセックスしてる」

 

「・・・・・・・・・・・・・・な、に?」

「僕はね、あの子をこの世の誰より愛してるんだ。それこそあの子が生まれたその瞬間から」

 

 そう言って、零は笑った。

 声もなく、けれどひどく嬉しそうに、笑った。

 

 




HOME  BACK  TOP  NEXT

 



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送