16


 

 抱くことに慣れている。
 抱かれることに慣れている。

 

 

 いつのまにか運ばれてきたらしいベッドの上で、タオルケットに包まれながらナギは目を覚ました。ほとんど気を失うように意識を失くしたせいか、少しだけ頭がぼうっとする程度でいつもよりはっきり目が覚めたとナギは思う。体を捩るとシーツ同士が擦れる音がして、その小さな音が何故かひどく大きな音に聞こえた。
 捩った体には何の痛みも走らなかった。いくらカーペットが敷いてあったとは言え床の上には変わりはないのに、全く体のどこにも痛みがないということはスイが気をつけてくれていたということなんだろう。下半身にも嫌な感触はなく、ほとんど意識が飛んだように行為に溺れていた自分と違って、スイはどれほど理性的だったのかと思うとナギは小さく笑いが零れた。
 記憶に残ってさえいなければ、抱かれたことを忘れられるほど体に何も残さない。

 ―――スイは誰かを抱くことに、とても慣れていると思った。

 肘をついて体を起こし周りを見渡す。すると、そこはまったく見たこともない部屋だった。今いるのもそう大きくはないシングルベッドで、部屋の端には机と本棚、そしてオーディオが置いてあった。

「起きたか」

「うわっ!?」

 自分以外人がいないと思っていた室内から誰かの声が聞こえてナギは冗談じゃなく飛び上がった。その声は机が置いてある方の壁とは反対側から聞こえてきて、そこに顔を向けると窓と人影があった。

「んな驚くこたねーだろうが」

 そう言ってアハハと笑っているのは紛れもなくスイだ。そして、そのスイの後ろにある窓から見える空は赤くなってきていて、その色にナギはどうやら今がもう夕方らしいことに気付いた。

「・・・わ、るい。かなり寝てたみてーだな」

「いや。俺も起きたのは1時間くらい前だ」

「そか。ならいーんだけど」

 そこで会話が止まる。そのことに居心地の悪さを感じながらも、ナギはどうすることもできずにとりあえず着替えを探すべくスイに背を向けた。だが、途端聞こえてきた声にナギの体はぴたりと動きを止めた。

「その傷、何でできたんだ?」

 ―――できることなら、この話はしたくなかったとナギは思う。

「……殴られた」

「殴られたって…そんなでけぇ傷作られるぐらいにか?」

「…棒で思いっきりぶん殴られたんだよ。確か11になったばっかの時だったからな、体もちいせーし、肌も弱ぇだろ?それに医者に見せたの殴られて1ヶ月以上も後だったからな。自然治癒にまかせたら残っちまったんだ」

「……誰にやられた?」

「…10んとき日本来たんだけどさ、こんなナリのせいでクラスの奴らにすぐに苛めにあった。日本語もしゃべれたけど周りと同じようにペラペラってわけでもねーし、言い返すこともできねーまま気付いたときにはエスカレートしてた。いつもはただ殴られたり蹴られたりしてるだけだったんだけど、ずっと蹲って黙ってんのが気に入らなくなったのか、一人が鉄パイプ振り回して背中殴ってきたんだよ。一瞬意識が飛んで、それにビビったのかそれまで俺に群がってた奴らみんな走って逃げてった。結局気付いたら俺一人取り残されてて、しょうがねーから動けるようになってからそのまま家帰った。まあやられた相手が小学生で良かったってことだろうけど」

 過去の話をするのは初めてで、だからこそ同情されないように話すのはひどく難しかった。ナギはとにかく淡々と事実だけを話したつもりだったが、自分の目論見がうまくいったかどうかは分からない。苛めにあっていたのは過去で、だから今の自分が同情される理由はどこにもない。振り向いた先にあるスイの顔が哀れんではいやしないかと不安で、ナギは後ろを振り向くことなくそのままベッドに突っ伏した。顔を埋めたシーツからはスイの匂いがして、その匂いはナギを少しだけ落ち着かせてくれた。

「じゃあ、お前が『変人』の振りしてんのはそのせいか」

 聞こえてきたスイの声はキンと張っているような声だった。別にだからというわけではないが、否定する理由もないナギはそれに何の返事も返さないことでスイの問いを肯定した。

「…なら、家で寝れねーのは何でだ?」

「……別に寝れないってワケじゃ」

「嘘つけ。いくら変人振るったって寝袋まで必要ねーだろうが」

 そんなことは知らない。
 別にそれまで、教室の後ろで寝袋に包まれて眠ることは「変人だから」で済んでいたのだ。だから、その理由などナギは用意していなかった。
 正確には、誰か他の人間に言えるような理由など。

 

 ナギが学校に寝袋を持っていこうと決めたのは入学式の日だ。
 思いのほか春の日が差し込む教室が暖かくて、特に光をよく受ける教室の後ろが気持ちよさそうだと思ったのをナギは憶えている。皆が帰った後に教室の後ろにしばらく座りこみ、朝と昼ここで眠ろうと決めたナギは、帰り道その足でアウトドア用品店に寝袋を買いに行った。
 どうしてそう決めたのかと言えば、理由は簡単だった。家だとよく眠れないからだ。

 眠れない理由が、あるからだ。

 

 

 自分の問いの答える気配を見せないナギの背中を見ながら、スイはその理由の予想もつかない自分を自嘲した。
 あけすけなようでいて、変人ぶってまで人を寄せ付けることをしないナギが過去に受けた傷は大きく、気付けばナギのことはほとんど知らないことに今更気付く。
 知っていることと言えば、父親がいることと、ほとんど一人暮らしのような生活をしているということ。
 そして。

「……誰に抱かれてる、ナギ?」

 ナギが、男に抱かれることに慣れているということだけだ。

 ナギはスイの問いに答えようとはせず、その体もまったく動かそうとしない。そうだろうことは予想していたスイは、窓から離れ、足音を立てずにベッドに近付いた。
 ベッドに乗り上げると、ギシ、というかすかな音がする。
 そういえば、このベッドで誰かを抱いたのは初めてだったと思いながら、スイはナギの顔をクイと上向かせた。

「・…なあ、誰?」

 そんな泣きそうな顔をしても無駄だとばかりにスイはナギに顔を近づける。するとナギはほとんど泣く寸前のような顔になって、その顔にまた欲情しそうになる自分にスイは呆れるしかなかった。

 ナギは、ひどく受け皿が広い。
 ほとんど懺悔をするような気持ちで自分の過去もウリをしていることも話すことができたし、そう言ったところでナギが自分に対して態度を変えないだろうことも確信のように思っていた。そしてその通りだった。それは、スイ自身が当然だと思っているだけで、もしかしたら稀少なことなのかもしれない。

 自分の過去どころか、怒りとか後悔とか、そういう自分の感情全てを受け取ってくれるような気にさせられるのは何故なんだろう。


「ナギ」

 

そう名前を呼んだ時のナギの顔が今にも泣きそうで、スイは堪らずナギに口づけを落とした。 

 

 



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